2009年11月 4日 (水)

・「オリンピックの身代金」奥田英郎

1964年。昭和39年。私が小学校高学年の時に東京オリンピックは開かれた。奥田英郎は昭和34年生まれ。5歳。かすかな記憶がある程度だろう。そこは作家。見事に当時の日本の空気を描いている。作家にかかれば、戦国時代でもあたかも自身が体験したかのように描けるものではあろうが、実際にリアル体験した人が多く世の中にいる時代を描くのは勇気がいったことだと思う。

東京大学大学院生島崎国男が、出稼ぎ労務者であった兄の死をきっかけに、戦後復興のシンボルであったオリンピックの影で、まだその復興の恩恵を受けていない農村や工事現場の底辺の人の生活実態を知るに至り、オリンピックの開会式を人質にして身代金を奪おうとする話だ。

全編通じての主人公は島崎であるが、この小説は56章から構成されている。各章ごとに主役が変わり、ひとつの出来事が複数の目で描かれている。この手の構成の小説は最近多いが、成功するには各章を短くすることだ、と私は思っているので、この小説は○の評価になる。

1章は昭和39年8月22日。後でわかるのだが、第1章はこの話のかなり佳境の時期から始まっている。4章で7月13日の話の始まりまで戻る。各章ごとに主役もかわり日付も前後するが、あまり混乱はしない。それが効果的に聞いてくる面もある。できれば、メモを用意して、各章の日付と出来事を記録しながら読めばもっと作者の思惑がわかったかもしれない。

日雇い労務をしながら、国を脅迫するきっかけが直接描かれていなくて、突然話が大きくなった感じがしたが、そこはわざと読者に考えさせようとしたのだろうか。

暴力団や過激派学生まで、オリンピックに協力して成功させようとした時代の空気はたしかにそうだったのであろう。2016年の五輪ははやり同じ空気を感じさせたリオでよかったと思った次第である。
オシムが初来日して、感激した日本人の素朴なホスピタリティは今どうなってしまったのだろうか。

初奥田英郎は読み応えがあった。

<角川書店HPより>
昭和39年夏、オリンピック開催に沸きかえる東京で警察を狙った爆発事件が発生した。しかし、そのことが国民に伝わることはなかった。これは一人の若者が国に挑んだ反逆の狼煙だった。著者渾身のサスペンス大作!

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2009年10月22日 (木)

・「終の住処」磯﨑憲一郎

2009年上半期、第141回芥川賞受賞作品。
綿矢りさ、青山七恵、山崎ナオコーラら若い女性作家が、身の回りの日常生活を丁寧に描いた作品を世に送り出している。文章は上手いのだが、一体何を描いているのか、読んだ後なんとも落ち着かない気分になってしまう。

今回の芥川賞受賞作家は44歳で三井物産に勤務する現役サラリーマン。冷えた中年夫婦の生活を描いている。あまりに日常的なテーマを描く女性作家の作品と違って、サラリーマン生活の葛藤や常に不機嫌な妻、他の女性との不思議な浮気など、しっかりとした素材を集めているのだが、肝心の文章が読んでいて腹に落ちない。何かふわふわしている。観覧車や家を建てることに何かを表現しているのだろうが、中途半端な抽象化は賛同できない。

11年間妻と口をきかない。帰宅時間を遅らせたり、休日出勤をしたりして妻と相対する時間を少なくする、など興味深いいいテーマを扱っていただけに、無理に抽象化しないで、普通の文章で描いてほしかった。抽象化は、表現不足を誤魔化せる部分があるから、小説家でも脚本家でも初期作品で陥りやすい表現方法だと私は思っている。

<新潮社HPより>
妻はそれきり11年、口を利かなかった――。
30
を過ぎて結婚した男女の遠く隔たったままの歳月。ガルシア=マルケスを思わせる感覚で、日常の細部に宿る不可思議をあくまでリアルに描きだす。過ぎ去った時間の侵しがたい磐石さ。その恵み。人生とは、流れてゆく時間そのものなのだ――。小説にしかできない方法でこの世界をあるがままに肯定する、日本発の世界文学! 第141回芥川賞受賞作。

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2009年10月 3日 (土)

・「ダブル・ファンタジー」村山由佳 

村山由佳が渡辺淳一になってしまった。
「随分年の離れた年上の女性と若い男の子の恋を、せつなく描く村山由佳に戻ってきて!」と思いながらも、「ダブル・ファンタジー」の世界に取り込まれていった。

女性が描く女性の性。赤裸々に性とその性にまつわる女性の心情を描いたこの小説は見事だ。反面、読んでいる男性にとっては堪ったものではない、いたたまれない話だ。うっかり女性とセックスはできない、と感じさせる。

6人との男性とのセックスとその男性そのものへの35歳脚本家奈津の心情・評価で全編構成されている。
役者を目指す出張ホスト。仕事をやめ家事一切を引き受けながらも奈津の仕事に口出す夫の高遠省吾。実力演出家で女遊びの経験豊富な志澤一狼太。大学の先輩で仕事先の香港で再開、演劇・映画の編集者の岩井良介。精神科医で僧侶の松本祥雲。生きるためにいろいろな職業を経て、現在は役者、将来は奈津と同じ脚本家を目指す大林一也。

出張ホスト、夫、松本祥雲への評価が極端に低く、志澤一狼太、岩井良介、大林一也への評価が極端に高いのは、小説の構成もあるだろうが、野心のある女性固有の評価基準にかかるとこうなることをよく表わしている。そして、評価の低い3人への目線は、あまりにも厳しく、かつ正確だ。

夫への評価がつらい。(本文から引用させていただく)

「このひとは、この歳にして、ある意味ものすごく純粋なのだ。だから不器用だし、だから狭量で、だから頑固なのだ。一度信頼した相手に対しては期待値が大きくて、だからこそ裏切られると過剰に傷つく。
……。
人間関係をもっとゆるやかにとらえ、人のことなど適当にあきらめてしまえば許せないことも減るだろうに、おそらく彼のそういう部分はもう変わらないのだろう。」

この作品。第4回中央公論文芸賞を受賞している。選考委員が渡辺淳一、林真理子、鹿島茂と聞いておもわず微笑んでしまった。ここまで本格的に性を描いてしまった村山由佳は。今後どのような作品を世に出すのであろうか、

<文藝春秋HPより>
“もういちど誰かとめくるめく恋がしたい。性愛をともなう、相手のことを考えただけで、吐息まで乱れてしまうような”――これが村山由佳さんの新しいヒロイン・奈津の心の声でした。35歳。売れっ子シナリオライターとして活躍しながらも家庭での夫の支配的な態度に萎縮する日々を送っていた奈津は、年上の敬愛する演出家との情事を機に自らの女としての人生に目覚めていきます。彼女が通過していく男たちも今まで村山さんの小説には見られなかった生々しい姿をそれぞれさらけ出す、迫力の長篇となりました。著者の野心的挑戦作。読み逃せない1冊です。

<関連記事> 
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「おいしいコーヒーのいれ方 Second Season Ⅰ 蜂蜜色の瞳」村山由佳
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2009年9月30日 (水)

・「太陽を曳く馬」(上)・(下)高村薫

高村薫がドフトエフスキーになってしまった。

「晴子情歌」、「新リア王」に続く福澤一族の3部作の完結編。前2作とも読んでいない。正確に言うと、「晴子情話」の最初50ページほどで挫折して、その後編である「新リア王」は手が出せなかったのだ。3作目を読んだのは、刑事、合田雄一郎が登場するという書評を読んだからだ。

高村先生。ついていけないですよ。ドフトエフスキーやトルストイを、内容も充分理解できないまま、必死に読み込んだ学生時代を思い出した。高村薫が大作家になってしまって、人間の内面を深くえぐらないと、高村の存在価値が無くなる、と主張しているようだった。

そのような中、第三者的な視線で合田を登場させたのは成功だったかもしれない。宗教論の展開に合田がいたおかげで、一定の歯止めが利いたように思える。

高村薫がミステリーの形態を使って、人間の内面を表現する純文学作家であると理解しているが、松本清張の世界で留まってほしいものだ。

高村先生。あっちの世界にいってしまわないで下さい。

以下粗筋

福澤彰之という正体不明の僧侶を巡る二つの事件を通して、理由なき殺人と宗教論が展開される。

一つ目の事件は、彰之の息子で画家の秋道が起こした殺人事件。秋道は幼い頃からた他者と交わらず、ただ絵を描くことだけに没頭するが、風呂場で出産中の同居女性と隣家のエリート大学生を「うるさい音を消したかった」といって殺してしまう。彼はそれ以外の理由を語らない。捜査・公判でも殺人動機は明かされない。ないのかもしれない。昨今の、理由なき殺人、キレル殺人、命の尊厳なき殺人の典型のような事件をベースに、父彰之の息子への一風変わった思いなど描いている。

二つ目の事件は、彰之が関わっていた赤坂の禅寺にて修行中の元オウム真理教信者で、てんかんの持病を持つ僧侶が、施錠されていたはずの寺から飛び出し車にはねられて死んでしまう事件。死んだ僧侶を寺へ迎えたのが彰之だった。

20019月のアメリカ同時多発テロを時代背景に描きながら、事件の解明に合田が取組むがこれも、なにが真実かわからないままとなる。

複雑な事件や宗教論を実に無駄のない文章で的確に表現している。でも、サラリーマンが通勤電車の中や、自宅での団欒として読むには難しすぎる。ついていけなくなっただけなのか、高村薫が大作家へ向かう途中の彼女の消化不良なのか、どちらだろう。

<関連記事> 理由なき殺人

200976日「就職氷河期世代の凶悪事件の兆しは身近にも

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2009年9月12日 (土)

・「キミは他人に鼻毛が出てますよと言えるか」北尾トロ 

この本の<はじめに>に

【ちょっと勇気を出せば胸のつかえが取れるかもしれないのに、何もしないまま死んでいくのは悔しいではないか。……。「やってみたかったけど、できなかったこと」をいまこそ実行に移してみてはどうか】と書かれていた。

ちょっとした勇気の話がずらりと並ぶ

①知り合いに鼻毛が出てますよと面と向かって言う

②知人に貸した2000円の返済を迫る

③激マズ蕎麦屋で味の悪さを指摘する

④好きだった高校の同級生に23年ぶりに会って告白する

⑤母親に恋愛時代の話を聞く

⑥電車で知らないオヤジに声をかけて飲みに誘う

など

ちょっとした勇気も、①②など身に覚えのある切実なものから、⑥のように首をかしげるものが混じっていたが、つい読み込んでしまった。ノウハウとかコツとかを語ったものはなく、単にそういうトライをした、というだけの話であるが、随分共感してしまった。

①②のような話は日々葛藤している。

①のように親切こころで言ったために逆に恨まれる

②のようにセコイと思われないかと自問する

とか。

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2009年9月 8日 (火)

・「介護現場は、なぜ辛いのか -特養老人ホームの終わらない日常」本岡類

本岡類という人は、作家らしい。郷里にいる本岡の母親が脳溢血で倒れ、軽くない後遺症が残り、介護ヘルパーの助けを借りることになった。そのような折、「ヘルパー2級取得」の折込み広告が入る。

「技術を学べば、両親の介護にも使える。最近よく耳にする地域のボランティアにも役立つ。もちろん、小説家としては、取材になるかもしれないという思いもあった。」と冒頭に書いている。

いくら認知症になっているとはいえ、下の世話を受けるのは、ある意味尊厳にかかわるつらいことである。

いくら福祉の仕事とはいえ、他人の下の世話をするのも、またきついものである。

認知症の母がまだ施設に入所する前に、姉がご主人の実家で帰省した折、数日いっしょに過ごしたことがある。お尻にこびりついた大を数度処理した。いくら息子とはいえ、かえって息子だから、母の尊厳を傷つけることであった。舛添要一のようにはいかない。

介護は福祉で、人のお世話をするやりがいのある職業だとはいえ、下の世話は文字通りきれいごとではない。母が入所している施設に、3ヶ月に1度帰省して見舞っているが、なんといっても下の世話が大変そうだ。この本はそのような老人介護施設の実態を、5ヶ月間ヘルパーとして働いた作者が描いたものだ。

もともと短期間の体験就業ではあったが、働く人にとっても、そして入所している人にもいい方向へ向かうよう、いろいろな提言や試みを行う。が、壁は厚い。

この本の最後に、高齢者に食事を届ける配食サービスに従事している人のことも触れている。配達人との会話を楽しみにしている一人暮らしの高齢者ともコミュニケーションに工夫をし、楽しそうに仕事をやっている人たちのことを。施設で働く人達より生き生きとして、かつ時間給高い。なにかヒントがあるように思う

新潮社HPより

<書籍案内>

その施設は、信頼できそうに見えたのだが……。終の棲家の知られざる現実。苛立つスタッフ、荒っぽい介護、低下するモラル。職員も入居者も、心をすり減らす24時間……。ヘルパー2級を取得、時給850円で働いた作家が実感した「老いの現場」の苦闘、高齢者の本音、そして希望。人は介護を受けるために生きているのではなく、生きるために介護を受けるのだ――。老親を持つ世代必読のノンフィクション。

<作者案内>

1951年生まれ。早稲田大学卒業後出版社に入社。1981年「歪んだ駒跡」でオール讀物推理小説新人賞を受賞しデビュー。取材をもとにした多くのエンターテインメント作品を執筆、『夏の魔法』『愛の挨拶』(新潮社刊)などがある。

<関連記事>

200769日 「「介護士が希望を失う前に」コムソンに行政処分」http://yamaken38.cocolog-nifty.com/blog/2007/06/post_d319.html

<関連記事>

200749日 「「母に襁褓をあてるとき - 介護闘いの日々」舛添要一」http://yamaken38.cocolog-nifty.com/blog/2007/04/post_287b.html

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2009年8月15日 (土)

・「奇跡の人」真保裕一

読書感想関係のブログをみると、よく「以下ネタバレにご注意」などと書かれている。書籍販売の一環を担っている書評家たちにとっては「ネタバレ」はご法度のマナーかもしれないが、単なる読書好きな一般人は、そのようなことを気にしたり断ったりする必要はないと思う。

など、くどくど書いたのはこの本の感想・記録のためには「ネタバレ」は必須であることと、いちいち「ネタバレ」に気を使うのはうんざりであること、によるものである。

事故で脳死判定を受けた相馬克己は奇跡的に命をとりとめた。さらに、植物人間になるであろうという医師の診断も覆し、意識を取り戻す。が、事故前の記憶は一切ない。学力も小学校へあがる前の状態に。母や医師の懸命の介護の結果、8年後、31歳になった相馬克己は宮崎の病院でついに退院の日を迎える。学力は中学1年まで戻った。彼は「奇跡の人」と呼ばれていた。8年の間に、母は克己が一人で自活できるよう準備をして亡くなってしまう。

退院後、周囲の人の努力もあって、印刷工場で働きだすことになる。ここまでは感動の小説だった。

克己は自分探しを始める。母は過去の記録を消して亡くなったが、克己は記憶を失う前のことを知ろうとする。克己は東京で交通事故を起こしていたことが分かる。話の後半は東京での過去の自分を探すことで展開される。

かつての仲間に会い、当時恋人がいたことを知る。当時その恋人が他の男性に一時心を動かし、克己がその男性に暴力を振るい怪我をさせ、警察に追われ逃げる途中で交通事故を起こし、66歳の男性を死亡させている。克己の母は、その恋人に克己は死んだと告げた。

心の傷を抱えたまま、その恋人は結婚し、子供が生まれる。その恋人の前に、8年前に死んだはずの克己が現われる。

東京で克己は、自身を取り戻そうとするあまり、あまりに自分勝手で、かつ凶暴である。

一体この小説はなんなのだろうか。ヘレンケラーを思い起こさせる「奇跡の人」とタイトルをつけ、そのイメージどおり前半は感動小説のような展開をしておいて、後半は単なる自制の利かない人間を描いている。一体なにを描きたかったのだろうか。かなり不愉快な読後である。

ここが作者の狙いなのかもしれないが。

<新潮社HP

31歳の相馬克己は、交通事故で一度は脳死判定をされかかりながら命をとりとめ、他の入院患者から「奇跡の人」と呼ばれている。しかし彼は事故以前の記憶を全く失っていた。8年間のリハビリ生活を終えて退院し、亡き母の残した家にひとり帰った克己は、消えた過去を探す旅へと出る。そこで待ち受けていたのは残酷な事実だったのだが……。静かな感動を生む「自分探し」ミステリー。

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2009年6月16日 (火)

・「ポトスライムの舟」津村記久子

2008年下半期、第140回芥川賞受賞作品。

2006年下半期、第136回の青山七恵の「ひとり日和」や山崎ナオコーラらの作品と同様、身の回りの日常生活を丁寧に描いている。しかし、小説の習作を読まされているような気分にさせられる。どうしてこのような小説ばかりが次々と出てくるのだろうか。

契約社員として工場のラインで働くナガセ。年収をそっくり貯めて世界一周を夢見ている。生活費を稼ぐため、夜は友人が経営するスナックで、休日はパソコン教室で副業に励む。でも淡々としていてガツガツはしていない。

が、友人が離婚を前提に一人娘をつれてナガセの家へ転がり込んでくる。経済的なことが私は少し気になったが、この話の後半でこの友人が、かかった生活費などを順次返済するところなど、妙に手堅い地道な姿勢も描かれている。

ポストは非常にポピュラーな観葉植物。ポストライムはポストの種類(?)で葉っぱ全体がライム色になるものを指すらしい。ポピュラーな観葉植物に夢を育てることを象徴させたものかもしれない。

いい構成なのだけど、人生の残りが少なくなってきたおじさんにとって、ちょっと退屈でつらい。当面、私小説的な今の若い女性作家の作品は少し避けて、読む作品を選んで行きたい。

<講談社HPより>

本当に大事なことは、きっと毎日すこしずつ育ってる。

お金がなくても、思いっきり無理をしなくても、夢は毎日育ててゆける。

契約社員ナガセ29歳、彼女の目標は、自身の年収と同じ世界一周旅行の費用を貯めること、総額163万円。

<関連記事> 今の若い女性作家

200955日「「長い終わりが始まる」山崎ナオコーラhttp://yamaken38.cocolog-nifty.com/blog/2009/05/post-813d.html

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2009年5月 5日 (火)

・「長い終わりが始まる」山崎ナオコーラ

大学のマンドリンサークル。そのサークルに属する男女の日常生活を山崎は例によって淡々と描いている。

主人公は小笠原。小笠原とだけ書かれて、物語がはじまった。会話を交わす相手も男性と思える発言をしていたので、てっきり男性だと思っていたら、女性だと途中で気づく。読み直し。山崎の策にはまったようだ。

講談社のHPには賛同できない。「マンドリンに命をかけている」。「とても好きな人がいる」。

本当?。小笠原は実に淡々としている。サークルの役職にも、好きな人にも一応の葛藤を示しているが、そんなには立ち向かっていかない。今風の心の温度の低い若者なのか。

でも、案外日常生活はそんなものかもしれない。一体何の話なんだ程度の生活。平凡な生活も、案外刺激的で面白く悲しいことを教えてくれた向田邦子とは、対角線にあるような世界だ。

文章というか、心情の描写は実に上手いと思うだけに、身の回りのありふれた淡々とした生活を、単に淡々とデッサンするような話にはちょっと飽きてきた。もうお付合いできない、と言う気分だ。

しっかりした物語を書かせてみたい。と、出版社の人は思わないのだろか。

目立つペンネームやタイトル、芥川賞に拘る点などを考えると一筋縄でいかない作家かもしれない。

<講談社HPより>

サークルとは、世界のことだ!

大学4年生の小笠原は、マンドリンサークルに入っている。未来になんて興味がなく、就職活動よりも人間関係よりも、趣味のマンドリンに命をかけている。そして、とても好きな人がいる。

いつまでも流れていく時間を描いた青春文学

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200833日「「カツラ美容室別室」山崎ナオコーラhttp://yamaken38.cocolog-nifty.com/blog/2008/03/post_431e.html

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200843日「「浮世でランチ」山崎ナオコーラttp://yamaken38.cocolog-nifty.com/blog/2008/04/post_5d7f.html

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2009年4月29日 (水)

・「駅路」松本清張

今年は、松本清張生誕100年ということで、記念番組が目白押し。「駅路」が11日()、フジテレビで放映された。

「駅路」。<えきじ>と読む。大辞林をひくと「宿場のある街道。宿場」とのっている。文学的造語かと思ったが、そうではないようだ。初めて心に留まった言葉だ。宿場というのも時代ががっている。その少々古臭い単語が、重い人生の岐路を表わす効果をもたらせている。

学歴のない身で体を張り、銀行でかなりの重いポストにまで上り詰めて定年を迎える主人公(石坂浩二)。定年という駅路で、今まで歩んできた道の延長戦ではない道を選択する。全てを捨てて、単身赴任時代に出会った幸せの薄い女性(深津絵里)との残りの人生を選択しようとする。

主人公はいいところから、美人だが冷たい感じのする妻(十朱幸代)を迎え、子供2人を一人前にし、妻には一定の財産を残す。自分は恋人との年2回の逢瀬のため、つつましい生活と株投資で、資金をつくる。

心の寂しさを抱える妻。二人の連絡役から犯罪に手を染めるいとこ(木村多江)。そして事件を追う刑事(役所広司)。ありふれた話といえばそうなのだが、皆葛藤しながら、かつ地道に悲しく生きている様子が見事に描かれていた。

テレビを見て感動して、原作を読む。よくあるパターンだ。

驚くほどの短編だ。ピンポイントで読まなければさっと読み終えていたかもしれない。清張の原作がしっかりしていることもあるが、2時間ちょっとのこのドラマの出来は、なんといっても脚本家の腕だと思う。脚本は故向田邦子。松本清張と向田邦子の組合せはこの一作だけだそうで、1977年にNHKで放映されたものを、今般、「北の国から」シリーズを手がけた杉田成道が演出をつとめ、生き返らせた。

平凡な日常生活にスポットあて、人間の暖かさや性を描く向田邦子の世界が充分堪能できた。主人公の銀行員やその恋人はあまり画面に登場せず、役所広司が演じる刑事が、ゴーギャンの彷徨える人生にあこがれた主人公に自身を投影することによって、より一層人生の悲しみとそして喜びを描き出している。深津絵里と木村多江が従姉弟だというキャスティングも見事。

人生の終着駅が見え始めた頃。どのように考え、どのように行動するのか。山田太一の「それぞれの秋」の父親は、「人生を随分無駄に使ってしまった。」と後悔するが、同じ立場にある私は、どうすればいいのだろうか。

<あらすじ>新潮社HPより

平凡な永い人生を歩き、終点に近い駅路に到着した時、耐え忍んだ人生からこの辺で解放してもらいたいと願い、停年後の人生を愛人と過ごそうとして失踪した男の悲しい終末を描く「駅路」。

<関連記事> 山田太一の世界では

200941日「「それぞれの秋」山田太一 「ありふれた奇跡」の原点

http://yamaken38.cocolog-nifty.com/blog/2009/04/post-0b42.html

<関連記事> 向田邦子

20071210日「「父の詫び状」向田邦子 <再読>http://yamaken38.cocolog-nifty.com/blog/2007/12/post_6a87.html

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