2009年11月 4日 (水)

・「オリンピックの身代金」奥田英郎

1964年。昭和39年。私が小学校高学年の時に東京オリンピックは開かれた。奥田英郎は昭和34年生まれ。5歳。かすかな記憶がある程度だろう。そこは作家。見事に当時の日本の空気を描いている。作家にかかれば、戦国時代でもあたかも自身が体験したかのように描けるものではあろうが、実際にリアル体験した人が多く世の中にいる時代を描くのは勇気がいったことだと思う。

東京大学大学院生島崎国男が、出稼ぎ労務者であった兄の死をきっかけに、戦後復興のシンボルであったオリンピックの影で、まだその復興の恩恵を受けていない農村や工事現場の底辺の人の生活実態を知るに至り、オリンピックの開会式を人質にして身代金を奪おうとする話だ。

全編通じての主人公は島崎であるが、この小説は56章から構成されている。各章ごとに主役が変わり、ひとつの出来事が複数の目で描かれている。この手の構成の小説は最近多いが、成功するには各章を短くすることだ、と私は思っているので、この小説は○の評価になる。

1章は昭和39年8月22日。後でわかるのだが、第1章はこの話のかなり佳境の時期から始まっている。4章で7月13日の話の始まりまで戻る。各章ごとに主役もかわり日付も前後するが、あまり混乱はしない。それが効果的に聞いてくる面もある。できれば、メモを用意して、各章の日付と出来事を記録しながら読めばもっと作者の思惑がわかったかもしれない。

日雇い労務をしながら、国を脅迫するきっかけが直接描かれていなくて、突然話が大きくなった感じがしたが、そこはわざと読者に考えさせようとしたのだろうか。

暴力団や過激派学生まで、オリンピックに協力して成功させようとした時代の空気はたしかにそうだったのであろう。2016年の五輪ははやり同じ空気を感じさせたリオでよかったと思った次第である。
オシムが初来日して、感激した日本人の素朴なホスピタリティは今どうなってしまったのだろうか。

初奥田英郎は読み応えがあった。

<角川書店HPより>
昭和39年夏、オリンピック開催に沸きかえる東京で警察を狙った爆発事件が発生した。しかし、そのことが国民に伝わることはなかった。これは一人の若者が国に挑んだ反逆の狼煙だった。著者渾身のサスペンス大作!

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2009年10月22日 (木)

・「終の住処」磯﨑憲一郎

2009年上半期、第141回芥川賞受賞作品。
綿矢りさ、青山七恵、山崎ナオコーラら若い女性作家が、身の回りの日常生活を丁寧に描いた作品を世に送り出している。文章は上手いのだが、一体何を描いているのか、読んだ後なんとも落ち着かない気分になってしまう。

今回の芥川賞受賞作家は44歳で三井物産に勤務する現役サラリーマン。冷えた中年夫婦の生活を描いている。あまりに日常的なテーマを描く女性作家の作品と違って、サラリーマン生活の葛藤や常に不機嫌な妻、他の女性との不思議な浮気など、しっかりとした素材を集めているのだが、肝心の文章が読んでいて腹に落ちない。何かふわふわしている。観覧車や家を建てることに何かを表現しているのだろうが、中途半端な抽象化は賛同できない。

11年間妻と口をきかない。帰宅時間を遅らせたり、休日出勤をしたりして妻と相対する時間を少なくする、など興味深いいいテーマを扱っていただけに、無理に抽象化しないで、普通の文章で描いてほしかった。抽象化は、表現不足を誤魔化せる部分があるから、小説家でも脚本家でも初期作品で陥りやすい表現方法だと私は思っている。

<新潮社HPより>
妻はそれきり11年、口を利かなかった――。
30
を過ぎて結婚した男女の遠く隔たったままの歳月。ガルシア=マルケスを思わせる感覚で、日常の細部に宿る不可思議をあくまでリアルに描きだす。過ぎ去った時間の侵しがたい磐石さ。その恵み。人生とは、流れてゆく時間そのものなのだ――。小説にしかできない方法でこの世界をあるがままに肯定する、日本発の世界文学! 第141回芥川賞受賞作。

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2009年10月 3日 (土)

・「ダブル・ファンタジー」村山由佳 

村山由佳が渡辺淳一になってしまった。
「随分年の離れた年上の女性と若い男の子の恋を、せつなく描く村山由佳に戻ってきて!」と思いながらも、「ダブル・ファンタジー」の世界に取り込まれていった。

女性が描く女性の性。赤裸々に性とその性にまつわる女性の心情を描いたこの小説は見事だ。反面、読んでいる男性にとっては堪ったものではない、いたたまれない話だ。うっかり女性とセックスはできない、と感じさせる。

6人との男性とのセックスとその男性そのものへの35歳脚本家奈津の心情・評価で全編構成されている。
役者を目指す出張ホスト。仕事をやめ家事一切を引き受けながらも奈津の仕事に口出す夫の高遠省吾。実力演出家で女遊びの経験豊富な志澤一狼太。大学の先輩で仕事先の香港で再開、演劇・映画の編集者の岩井良介。精神科医で僧侶の松本祥雲。生きるためにいろいろな職業を経て、現在は役者、将来は奈津と同じ脚本家を目指す大林一也。

出張ホスト、夫、松本祥雲への評価が極端に低く、志澤一狼太、岩井良介、大林一也への評価が極端に高いのは、小説の構成もあるだろうが、野心のある女性固有の評価基準にかかるとこうなることをよく表わしている。そして、評価の低い3人への目線は、あまりにも厳しく、かつ正確だ。

夫への評価がつらい。(本文から引用させていただく)

「このひとは、この歳にして、ある意味ものすごく純粋なのだ。だから不器用だし、だから狭量で、だから頑固なのだ。一度信頼した相手に対しては期待値が大きくて、だからこそ裏切られると過剰に傷つく。
……。
人間関係をもっとゆるやかにとらえ、人のことなど適当にあきらめてしまえば許せないことも減るだろうに、おそらく彼のそういう部分はもう変わらないのだろう。」

この作品。第4回中央公論文芸賞を受賞している。選考委員が渡辺淳一、林真理子、鹿島茂と聞いておもわず微笑んでしまった。ここまで本格的に性を描いてしまった村山由佳は。今後どのような作品を世に出すのであろうか、

<文藝春秋HPより>
“もういちど誰かとめくるめく恋がしたい。性愛をともなう、相手のことを考えただけで、吐息まで乱れてしまうような”――これが村山由佳さんの新しいヒロイン・奈津の心の声でした。35歳。売れっ子シナリオライターとして活躍しながらも家庭での夫の支配的な態度に萎縮する日々を送っていた奈津は、年上の敬愛する演出家との情事を機に自らの女としての人生に目覚めていきます。彼女が通過していく男たちも今まで村山さんの小説には見られなかった生々しい姿をそれぞれさらけ出す、迫力の長篇となりました。著者の野心的挑戦作。読み逃せない1冊です。

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2009年9月30日 (水)

・「太陽を曳く馬」(上)・(下)高村薫

高村薫がドフトエフスキーになってしまった。

「晴子情歌」、「新リア王」に続く福澤一族の3部作の完結編。前2作とも読んでいない。正確に言うと、「晴子情話」の最初50ページほどで挫折して、その後編である「新リア王」は手が出せなかったのだ。3作目を読んだのは、刑事、合田雄一郎が登場するという書評を読んだからだ。

高村先生。ついていけないですよ。ドフトエフスキーやトルストイを、内容も充分理解できないまま、必死に読み込んだ学生時代を思い出した。高村薫が大作家になってしまって、人間の内面を深くえぐらないと、高村の存在価値が無くなる、と主張しているようだった。

そのような中、第三者的な視線で合田を登場させたのは成功だったかもしれない。宗教論の展開に合田がいたおかげで、一定の歯止めが利いたように思える。

高村薫がミステリーの形態を使って、人間の内面を表現する純文学作家であると理解しているが、松本清張の世界で留まってほしいものだ。

高村先生。あっちの世界にいってしまわないで下さい。

以下粗筋

福澤彰之という正体不明の僧侶を巡る二つの事件を通して、理由なき殺人と宗教論が展開される。

一つ目の事件は、彰之の息子で画家の秋道が起こした殺人事件。秋道は幼い頃からた他者と交わらず、ただ絵を描くことだけに没頭するが、風呂場で出産中の同居女性と隣家のエリート大学生を「うるさい音を消したかった」といって殺してしまう。彼はそれ以外の理由を語らない。捜査・公判でも殺人動機は明かされない。ないのかもしれない。昨今の、理由なき殺人、キレル殺人、命の尊厳なき殺人の典型のような事件をベースに、父彰之の息子への一風変わった思いなど描いている。

二つ目の事件は、彰之が関わっていた赤坂の禅寺にて修行中の元オウム真理教信者で、てんかんの持病を持つ僧侶が、施錠されていたはずの寺から飛び出し車にはねられて死んでしまう事件。死んだ僧侶を寺へ迎えたのが彰之だった。

20019月のアメリカ同時多発テロを時代背景に描きながら、事件の解明に合田が取組むがこれも、なにが真実かわからないままとなる。

複雑な事件や宗教論を実に無駄のない文章で的確に表現している。でも、サラリーマンが通勤電車の中や、自宅での団欒として読むには難しすぎる。ついていけなくなっただけなのか、高村薫が大作家へ向かう途中の彼女の消化不良なのか、どちらだろう。

<関連記事> 理由なき殺人

200976日「就職氷河期世代の凶悪事件の兆しは身近にも

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2009年9月12日 (土)

・「キミは他人に鼻毛が出てますよと言えるか」北尾トロ 

この本の<はじめに>に

【ちょっと勇気を出せば胸のつかえが取れるかもしれないのに、何もしないまま死んでいくのは悔しいではないか。……。「やってみたかったけど、できなかったこと」をいまこそ実行に移してみてはどうか】と書かれていた。

ちょっとした勇気の話がずらりと並ぶ

①知り合いに鼻毛が出てますよと面と向かって言う

②知人に貸した2000円の返済を迫る

③激マズ蕎麦屋で味の悪さを指摘する

④好きだった高校の同級生に23年ぶりに会って告白する

⑤母親に恋愛時代の話を聞く

⑥電車で知らないオヤジに声をかけて飲みに誘う

など

ちょっとした勇気も、①②など身に覚えのある切実なものから、⑥のように首をかしげるものが混じっていたが、つい読み込んでしまった。ノウハウとかコツとかを語ったものはなく、単にそういうトライをした、というだけの話であるが、随分共感してしまった。

①②のような話は日々葛藤している。

①のように親切こころで言ったために逆に恨まれる

②のようにセコイと思われないかと自問する

とか。

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2009年9月 8日 (火)

・「介護現場は、なぜ辛いのか -特養老人ホームの終わらない日常」本岡類

本岡類という人は、作家らしい。郷里にいる本岡の母親が脳溢血で倒れ、軽くない後遺症が残り、介護ヘルパーの助けを借りることになった。そのような折、「ヘルパー2級取得」の折込み広告が入る。

「技術を学べば、両親の介護にも使える。最近よく耳にする地域のボランティアにも役立つ。もちろん、小説家としては、取材になるかもしれないという思いもあった。」と冒頭に書いている。

いくら認知症になっているとはいえ、下の世話を受けるのは、ある意味尊厳にかかわるつらいことである。

いくら福祉の仕事とはいえ、他人の下の世話をするのも、またきついものである。

認知症の母がまだ施設に入所する前に、姉がご主人の実家で帰省した折、数日いっしょに過ごしたことがある。お尻にこびりついた大を数度処理した。いくら息子とはいえ、かえって息子だから、母の尊厳を傷つけることであった。舛添要一のようにはいかない。

介護は福祉で、人のお世話をするやりがいのある職業だとはいえ、下の世話は文字通りきれいごとではない。母が入所している施設に、3ヶ月に1度帰省して見舞っているが、なんといっても下の世話が大変そうだ。この本はそのような老人介護施設の実態を、5ヶ月間ヘルパーとして働いた作者が描いたものだ。

もともと短期間の体験就業ではあったが、働く人にとっても、そして入所している人にもいい方向へ向かうよう、いろいろな提言や試みを行う。が、壁は厚い。

この本の最後に、高齢者に食事を届ける配食サービスに従事している人のことも触れている。配達人との会話を楽しみにしている一人暮らしの高齢者ともコミュニケーションに工夫をし、楽しそうに仕事をやっている人たちのことを。施設で働く人達より生き生きとして、かつ時間給高い。なにかヒントがあるように思う

新潮社HPより

<書籍案内>

その施設は、信頼できそうに見えたのだが……。終の棲家の知られざる現実。苛立つスタッフ、荒っぽい介護、低下するモラル。職員も入居者も、心をすり減らす24時間……。ヘルパー2級を取得、時給850円で働いた作家が実感した「老いの現場」の苦闘、高齢者の本音、そして希望。人は介護を受けるために生きているのではなく、生きるために介護を受けるのだ――。老親を持つ世代必読のノンフィクション。

<作者案内>

1951年生まれ。早稲田大学卒業後出版社に入社。1981年「歪んだ駒跡」でオール讀物推理小説新人賞を受賞しデビュー。取材をもとにした多くのエンターテインメント作品を執筆、『夏の魔法』『愛の挨拶』(新潮社刊)などがある。

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200769日 「「介護士が希望を失う前に」コムソンに行政処分」http://yamaken38.cocolog-nifty.com/blog/2007/06/post_d319.html

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200749日 「「母に襁褓をあてるとき - 介護闘いの日々」舛添要一」http://yamaken38.cocolog-nifty.com/blog/2007/04/post_287b.html

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2009年8月15日 (土)

・「奇跡の人」真保裕一

読書感想関係のブログをみると、よく「以下ネタバレにご注意」などと書かれている。書籍販売の一環を担っている書評家たちにとっては「ネタバレ」はご法度のマナーかもしれないが、単なる読書好きな一般人は、そのようなことを気にしたり断ったりする必要はないと思う。

など、くどくど書いたのはこの本の感想・記録のためには「ネタバレ」は必須であることと、いちいち「ネタバレ」に気を使うのはうんざりであること、によるものである。

事故で脳死判定を受けた相馬克己は奇跡的に命をとりとめた。さらに、植物人間になるであろうという医師の診断も覆し、意識を取り戻す。が、事故前の記憶は一切ない。学力も小学校へあがる前の状態に。母や医師の懸命の介護の結果、8年後、31歳になった相馬克己は宮崎の病院でついに退院の日を迎える。学力は中学1年まで戻った。彼は「奇跡の人」と呼ばれていた。8年の間に、母は克己が一人で自活できるよう準備をして亡くなってしまう。

退院後、周囲の人の努力もあって、印刷工場で働きだすことになる。ここまでは感動の小説だった。

克己は自分探しを始める。母は過去の記録を消して亡くなったが、克己は記憶を失う前のことを知ろうとする。克己は東京で交通事故を起こしていたことが分かる。話の後半は東京での過去の自分を探すことで展開される。

かつての仲間に会い、当時恋人がいたことを知る。当時その恋人が他の男性に一時心を動かし、克己がその男性に暴力を振るい怪我をさせ、警察に追われ逃げる途中で交通事故を起こし、66歳の男性を死亡させている。克己の母は、その恋人に克己は死んだと告げた。

心の傷を抱えたまま、その恋人は結婚し、子供が生まれる。その恋人の前に、8年前に死んだはずの克己が現われる。

東京で克己は、自身を取り戻そうとするあまり、あまりに自分勝手で、かつ凶暴である。

一体この小説はなんなのだろうか。ヘレンケラーを思い起こさせる「奇跡の人」とタイトルをつけ、そのイメージどおり前半は感動小説のような展開をしておいて、後半は単なる自制の利かない人間を描いている。一体なにを描きたかったのだろうか。かなり不愉快な読後である。

ここが作者の狙いなのかもしれないが。

<新潮社HP

31歳の相馬克己は、交通事故で一度は脳死判定をされかかりながら命をとりとめ、他の入院患者から「奇跡の人」と呼ばれている。しかし彼は事故以前の記憶を全く失っていた。8年間のリハビリ生活を終えて退院し、亡き母の残した家にひとり帰った克己は、消えた過去を探す旅へと出る。そこで待ち受けていたのは残酷な事実だったのだが……。静かな感動を生む「自分探し」ミステリー。

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2009年6月16日 (火)

・「ポトスライムの舟」津村記久子

2008年下半期、第140回芥川賞受賞作品。

2006年下半期、第136回の青山七恵の「ひとり日和」や山崎ナオコーラらの作品と同様、身の回りの日常生活を丁寧に描いている。しかし、小説の習作を読まされているような気分にさせられる。どうしてこのような小説ばかりが次々と出てくるのだろうか。

契約社員として工場のラインで働くナガセ。年収をそっくり貯めて世界一周を夢見ている。生活費を稼ぐため、夜は友人が経営するスナックで、休日はパソコン教室で副業に励む。でも淡々としていてガツガツはしていない。

が、友人が離婚を前提に一人娘をつれてナガセの家へ転がり込んでくる。経済的なことが私は少し気になったが、この話の後半でこの友人が、かかった生活費などを順次返済するところなど、妙に手堅い地道な姿勢も描かれている。

ポストは非常にポピュラーな観葉植物。ポストライムはポストの種類(?)で葉っぱ全体がライム色になるものを指すらしい。ポピュラーな観葉植物に夢を育てることを象徴させたものかもしれない。

いい構成なのだけど、人生の残りが少なくなってきたおじさんにとって、ちょっと退屈でつらい。当面、私小説的な今の若い女性作家の作品は少し避けて、読む作品を選んで行きたい。

<講談社HPより>

本当に大事なことは、きっと毎日すこしずつ育ってる。

お金がなくても、思いっきり無理をしなくても、夢は毎日育ててゆける。

契約社員ナガセ29歳、彼女の目標は、自身の年収と同じ世界一周旅行の費用を貯めること、総額163万円。

<関連記事> 今の若い女性作家

200955日「「長い終わりが始まる」山崎ナオコーラhttp://yamaken38.cocolog-nifty.com/blog/2009/05/post-813d.html

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2009年5月 5日 (火)

・「長い終わりが始まる」山崎ナオコーラ

大学のマンドリンサークル。そのサークルに属する男女の日常生活を山崎は例によって淡々と描いている。

主人公は小笠原。小笠原とだけ書かれて、物語がはじまった。会話を交わす相手も男性と思える発言をしていたので、てっきり男性だと思っていたら、女性だと途中で気づく。読み直し。山崎の策にはまったようだ。

講談社のHPには賛同できない。「マンドリンに命をかけている」。「とても好きな人がいる」。

本当?。小笠原は実に淡々としている。サークルの役職にも、好きな人にも一応の葛藤を示しているが、そんなには立ち向かっていかない。今風の心の温度の低い若者なのか。

でも、案外日常生活はそんなものかもしれない。一体何の話なんだ程度の生活。平凡な生活も、案外刺激的で面白く悲しいことを教えてくれた向田邦子とは、対角線にあるような世界だ。

文章というか、心情の描写は実に上手いと思うだけに、身の回りのありふれた淡々とした生活を、単に淡々とデッサンするような話にはちょっと飽きてきた。もうお付合いできない、と言う気分だ。

しっかりした物語を書かせてみたい。と、出版社の人は思わないのだろか。

目立つペンネームやタイトル、芥川賞に拘る点などを考えると一筋縄でいかない作家かもしれない。

<講談社HPより>

サークルとは、世界のことだ!

大学4年生の小笠原は、マンドリンサークルに入っている。未来になんて興味がなく、就職活動よりも人間関係よりも、趣味のマンドリンに命をかけている。そして、とても好きな人がいる。

いつまでも流れていく時間を描いた青春文学

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200833日「「カツラ美容室別室」山崎ナオコーラhttp://yamaken38.cocolog-nifty.com/blog/2008/03/post_431e.html

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200843日「「浮世でランチ」山崎ナオコーラttp://yamaken38.cocolog-nifty.com/blog/2008/04/post_5d7f.html

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2009年4月29日 (水)

・「駅路」松本清張

今年は、松本清張生誕100年ということで、記念番組が目白押し。「駅路」が11日()、フジテレビで放映された。

「駅路」。<えきじ>と読む。大辞林をひくと「宿場のある街道。宿場」とのっている。文学的造語かと思ったが、そうではないようだ。初めて心に留まった言葉だ。宿場というのも時代ががっている。その少々古臭い単語が、重い人生の岐路を表わす効果をもたらせている。

学歴のない身で体を張り、銀行でかなりの重いポストにまで上り詰めて定年を迎える主人公(石坂浩二)。定年という駅路で、今まで歩んできた道の延長戦ではない道を選択する。全てを捨てて、単身赴任時代に出会った幸せの薄い女性(深津絵里)との残りの人生を選択しようとする。

主人公はいいところから、美人だが冷たい感じのする妻(十朱幸代)を迎え、子供2人を一人前にし、妻には一定の財産を残す。自分は恋人との年2回の逢瀬のため、つつましい生活と株投資で、資金をつくる。

心の寂しさを抱える妻。二人の連絡役から犯罪に手を染めるいとこ(木村多江)。そして事件を追う刑事(役所広司)。ありふれた話といえばそうなのだが、皆葛藤しながら、かつ地道に悲しく生きている様子が見事に描かれていた。

テレビを見て感動して、原作を読む。よくあるパターンだ。

驚くほどの短編だ。ピンポイントで読まなければさっと読み終えていたかもしれない。清張の原作がしっかりしていることもあるが、2時間ちょっとのこのドラマの出来は、なんといっても脚本家の腕だと思う。脚本は故向田邦子。松本清張と向田邦子の組合せはこの一作だけだそうで、1977年にNHKで放映されたものを、今般、「北の国から」シリーズを手がけた杉田成道が演出をつとめ、生き返らせた。

平凡な日常生活にスポットあて、人間の暖かさや性を描く向田邦子の世界が充分堪能できた。主人公の銀行員やその恋人はあまり画面に登場せず、役所広司が演じる刑事が、ゴーギャンの彷徨える人生にあこがれた主人公に自身を投影することによって、より一層人生の悲しみとそして喜びを描き出している。深津絵里と木村多江が従姉弟だというキャスティングも見事。

人生の終着駅が見え始めた頃。どのように考え、どのように行動するのか。山田太一の「それぞれの秋」の父親は、「人生を随分無駄に使ってしまった。」と後悔するが、同じ立場にある私は、どうすればいいのだろうか。

<あらすじ>新潮社HPより

平凡な永い人生を歩き、終点に近い駅路に到着した時、耐え忍んだ人生からこの辺で解放してもらいたいと願い、停年後の人生を愛人と過ごそうとして失踪した男の悲しい終末を描く「駅路」。

<関連記事> 山田太一の世界では

200941日「「それぞれの秋」山田太一 「ありふれた奇跡」の原点

http://yamaken38.cocolog-nifty.com/blog/2009/04/post-0b42.html

<関連記事> 向田邦子

20071210日「「父の詫び状」向田邦子 <再読>http://yamaken38.cocolog-nifty.com/blog/2007/12/post_6a87.html

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2009年4月14日 (火)

・「For You」五十嵐貴久

映画雑誌の編集部に勤め、若手韓流スターの来日取材で悪戦苦闘する佐伯朝子。1歳の時、母を交通事故で亡くし、父に育てられる。その父の子育てを母の妹、朝子の伯母である吉野冬子が支援して、朝子は成長した。

話は、伯母が44歳で急死し、遺品を整理していたら、伯母の日記が出てきたことから始まる。朝子の編集者としての生活と、日記に綴られた叔母の静岡での高校生活。2つの話が交互に展開する。

私が小説を読むのは、自分が経験できない世界を疑似体験できることにあるのと、ひととき別の世界に入り込んで今の自分を忘れさせること、にあるのだが、せっかくその世界に張り込んでいたのに、突然中断して別の話が始まる展開は、どうも苦手だ。

しかも、年上の叔母の話が高校時代で、姪の朝子の話が社会人というのも、ややこしい。叔母と姪の関係はあっても、二つの話は全く別の話で、どうして同時進行させるのか、と疑問一杯で読み進んだ。どちらも面白いのだが、途中で中断するたび、力が抜ける思いだった。

どうして同時進行させたか。は、最後に解決する。ミステリーのような構成だ。

青春小説が好きだ、と言っても50歳半ばの男性が読むには、甘すぎる。構成もそう凝ったものでもない。でも。でも、つい夢中になって読んでしまった。

冬子、U、ナオ、ピータン、みかりんの女子高生5人組み。女子生らしく、お互いおせっかいだが、それでいてあまりベタベタしないいい関係だった。

<あらすじ>祥伝社HPより

これほどまでに心を揺さぶる純愛があっただろうか──

誰にも言えなかった

たった一度の恋。

遺された日記帳には、叔母の意外な青春が記されていた……

一体どれだけの人間が唯一無二の恋に出会えるだろうか。冬子さんのまっすぐで一途な恋。私には、その控えめな行動が、もどかしくさえあった。しかし、生涯変わらぬ想いを貫いた冬子さんに、最後には拍手を送ってしまった。「いつでも恋はしている」そう堂々と胸を張る冬子さんを羨ましく思った。仕事では泣かないと決めていたのに、この原稿を読んでいて、いつのまにか目に涙をにじませていた。

──担当編集者 KN

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2009年4月 9日 (木)

・「ブラザー・サン シスター・ムーン」恩田陸

恩田陸といえば、「夜のピクニック」。

いい年をして、青春小説が好きだ、というのも気恥ずかしいものだが、「夜ピク」は楽しい話だった。次に読む恩田作品に困っていた。恩田陸はSF、ミステリー作家ではないか。この分野の小説はあまり読まない。楽しくないのだ。

そこへ出版社のコピー。「青春小説の新たなスタンダートナンバー」。飛びついた。

話自体は悪くはないけど、肩透かし。

肩の力を思い切り抜いた青春回顧録といったところかな。

東京から2・3時間の中途半端な田舎の高校生。1年生の6月に、クラスの垣根を取っ払って、3人1組で町に出て調査をするのが伝統。夜ピクの行事のようでもある。

そこで一緒になった3人、楡崎綾音、戸崎衛、箱崎一の距離を置いた深い友情。話は社会人になった3人が、大学時代を回顧することで展開していく。

第1章は楡崎綾音が主人公で、小説を書くことに自分を見出す。

第2章は戸崎衛が主人公で、音楽に。この章が一番青春小説ぽい。

第3章は箱崎一が主人公で、映画に。

東京へ出て同じ大学に通いながら、お互いの交流はわずか。が、3人の原点はあの高校の調査学習。その後3人は三又路をそれぞれ歩む。

一体なんの暗示なのだろうか。

「ブラザー・サン シスター・ムーン」自体、映画のタイトル。何の暗示なのだろうか。

3つの章にもそれぞれタイトルが。

第1章:あいつと私

第2章:青い花

第3章:陽のあたる場所

なんの意味を持たせているのだろうか。

「あいつと私」って石坂洋次郎の原作のあれ!かな。テレビでは松原智恵子主演で、舟木一夫が主題歌を歌っていた。松原智恵子と川口恒のキスシーンに大興奮。私が小学生のころだ。となると違うか。

いずれにしろ、青春小説のスタンダードと思わず、気楽に読むといい本だ。

<あらすじ>河出書房新社HPより

ねえ、覚えてる? 空から蛇が落ちてきたあの日のことを――本と映画と音楽……それさえあれば幸せだった奇蹟のような時間。青春小説の新たなスタンダードナンバー誕生!

<関連記事>

2008年1月9日「「ドミノ」恩田陸

http://yamaken38.cocolog-nifty.com/blog/2008/01/post_b53a.html

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2009年4月 1日 (水)

・「それぞれの秋」山田太一 「ありふれた奇跡」の原点

最後の山田太一の連続ドラマ「ありふれた奇跡」が終了した。

「ありふれた」と断っただけのことはあり、物語の展開になる出来事は平凡だったが、人の心のひだを、はやりうまく描いていたと思う。視聴率は高くなかったようだが、代表作「岸辺のアルバム」も高くなかったのだから、そんなものだろう。

じっくり考えさせる、ということ自体が時代に合わなくなっているのかも知れない。

最後が「ありふれた奇跡」なら原点は「それぞれの秋」だ。

1973年(昭和48年)。私が大学に入った年の作品だ。山田太一の実質的なデビュー作で、当時タブーとされていたナレーションの多用、そしてなによりも衝撃的な展開でホームドラマのお約束(多少の波乱がありながらも毎回ハッピーエンドで終わる)を破壊した画期的なドラマだった。

家族それぞれが秘密を持ち、それを知った小倉一郎が演じる次男の葛藤が始まる。でも一番の事件は、小林桂樹が演じる父が脳腫瘍に冒され、久我美子が演じる(次男の)母への隠し持っていた思いや、子供たちへの不満をぶちまける、ことから始まる。

それは本心ではなく、病気が言わしめることだ、との説明があるが全く心当たりのないことではないので、母や家族は苦しめられる。

人間内心何を思っているか、わからない。病魔に冒されて、心のバランスを失い、普段は話してはいけない、と思っていることをしゃべっているのではないか。とテレビの前で恐ろしくなったことを覚えている。

認証症になった私の母がしゃべることへも、同じ思いがある。母の本心なのであろうか。誰もが母ならそういうことを言いそうだ、そう心の中で思っていたはずだ、という内容ばかりだ。

でも本心ではないのだ。心のバランスで成り立っている思いというのは、言いたいことを隠している、というのとは異なると思う。

今回、その原作をはじめて読んでみた。ドラマの後出版されたようであるが、脚本形式になっているので、当時読みづらいと思いパスした記憶がある。

印象的な一説を引用させていただく

********************************

「私は、もう随分人生を使ってしまいました。随分、無駄に使っちまいました。」

「ジーパンをはきたいですね。グズグズドスドスボコボコとはきたくないけれど、スラリーッと、ブルーのジーンズをはきたいですねえ。」

結局それが、手術前の、父の最後の言葉となった。家族の事には少しも触れず、失った若さを歎く言葉だけをくりかえしたのだ

********************************

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2009年3月23日 (月)

・「シズコさん」佐野洋子

なんと読みにくい小説だろう。回顧と現在の状況が交錯する。切り替えが上手くいかない。しかも、直前の記述と今の記述の内容が異なる。シズコさんの子供の構成が合わない。全部で7人の子供生んだと後でわかり、いずれもうそではなかったが、その時は一部しか表現していないので、混乱した。

途中で、小説ではないことに気がついた。回顧録か。それならあまり事実にはこだわらず心情を読んでみようと思ってからは、ようやく前へ進むことができた。

母と娘の葛藤。よくある話だが、実にリアル。母と娘の葛藤の原因は夫を娘にみるため、と思う。私の妻が長女と折り合いが悪いのもそのせいだ。姉と母の折り合いが悪いのもそのせいだ。

その母を物理的に面倒見ているのも姉なので、この話は身につまされる。

認知が進行する具合が記されていた。私の母はどう感じていたのだろうか。誰も親身にならなかったような気がする。最後に作者と母親である「シズコさん」の和解。現実にはそうならないケースが大半だろう。

佐野洋子の心情を吐き出した作品なのだろう。読みにくいが重い、インパクトのある作品だ。引揚者、戦争末期から敗戦のどさくさでの子供の死、障害を持つ妹、弟を妹へ押し付けても、生き抜かなければならなかった「シズコ」さん。スカーレット・オハラのようでもあった。

<あらすじ>新潮社HPより

私は、母の手をさわったことがなかった。抱きしめられたこともない。あの頃、私は母さんがいつかおばあさんになるなんて、思いもしなかった――。シズコさんは洋子さんのお母さん。結婚して北京で暮し、終戦、引揚げの間に三人の子供を亡くし、波瀾の人生を送る。ずっと母親を好きではなかった娘が、はじめて書いた母との愛憎。

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2009年3月13日 (金)

・「冬の旅」立原正秋

昭和43年(1968年)から翌年にかけて読売新聞に連載された作品。

5歳で父を亡くした行助は9歳の時に母が再婚したため、義父と義兄との生活が始まる。行助はあらゆる面で優等生であったが、義兄を2度刃物で指し、2度少年院へ送られる。1度目は義兄が母を犯そうとしたところを止めようとして、2度目は義兄が実の父を殺そうとしたところを阻止して。

行助、義父のなんと高尚なことか。なんと凛とした精神なのだろうか。非行少年たちも心の弱さから非行に走っているが、壊れてはいない。登場人物の生真面目さはこの時代の雰囲気だったのだろうか。連載当時私は中学生で充分記憶があっていいのだが、時代の空気は徐々に変わっていくので思い出せない。

行助の行動や考え方は少々不自然とも思う。今の真面目な高校生がこの小説を読んだらどう思うのだろうか。でも、不自然さを感じながらも引き込まれて一気に読んでしまった。なぜだろう。決して春の来ない「冬の旅」でも、古きよき時代を感じたからなのであろうか。自分でも良くわからない。

行助の義父からラーメン店の開業資金を借りた少年院時代の友人安。汗水たらしてやっと借金を返したその帰り道に交通事故で命を落とす。肩の荷を降ろした安堵感で、心に油断が生じて事故に遭遇するというのは、小説の話でなくともありえることだ。人生の悲しさを感じた一節であった。

おそらく30年ぐらい前のことになると思うが、立原正秋の小説を何冊か読んでいる。代表作「冬の旅」を外して読んだようだ。「紬の里」、「舞いの家」、「春の鐘」。これらは、よく言えば大人の恋愛小説。身も蓋もない表現をすると不倫小説。「冬の旅」とは随分印象が異なる。初期の社会派作品から、売れる小説を書いて崩れていった渡辺淳一ほどのひどさではないが、少々残念。

<あらすじ>新潮社HPより

美しく優しい母を、義兄修一郎が凌辱しようとした現場を目撃した行助は、誤って修一郎の腿を刺して少年院に送られる……。母への愛惜の念と義兄への復讐を胸に、孤独に満ちた少年院での生活を送る行助を中心に、社会復帰を希う非行少年たちの暖かい友情と苛烈な自己格闘を描き、強い意志と真率な感情、青春の夢と激情を抱いた若い魂にとって非行とは何かを問う力作長編。

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2009年2月23日 (月)

・「漂流」吉村昭

事実は小説より奇なり、の見本のような話だ。

高知沖でしけに出会い、黒潮にのって命からがらたどり着いたのは、伊豆鳥島。鳥島は活火山で岩だらけの土地で植物は育たず、動物も存在せず、水も湧かない死の島。唯一の生物はアホウドリ。鳥島はアホウドリの群生地で、食料はこのアホウドリと、海岸でわずかにとれる海草と貝。

そのアホウドリも渡り鳥で、一定の季節は島からいなくなる。そのことに瞬時に気づき、魚の干物のつくり方を知っていてそれを鳥に応用できたことが、まず生存できたことのポイントになっている。

次に絶望感から、鳥ばかりを食べて寝てばかりいたため、脚気(?)にやられ、4人の仲間は長平を残してみんな死んでしまう。偏食防止に積極的に貝や海草を食べ、体を動かす必要性を発見したことが生き延びたポイントの2点目。

巨大なアホウドリの卵のからで雨水を受ける工夫をしたこと、適度の雨が1年を通じてあったことが3点目。

が、絶望感のなかでの1人暮らしはつらい。ここへ大坂船や薩摩船が難破して仲間が出来たことがなんといっても大きい。しかも規律ある船乗り。先住で、生活のノウハウを提供する長平への敬意を持った大坂船や薩摩船の面々の態度は見事だ。大坂船の頭である儀三郎は打ち上げら時、わずかに残っていた米を惜しみもなく長平に食べさせ、長平も蓄えていたアホウドリや水を躊躇なく提供している。極限の中で行為。かなり感動的だ。

生きるための創意工夫と志の高さと幸運が生還の奇跡を生んだのだろう。

鳥島は潮の流れの関係で、漂着する例がたくさんあったようだ。多くは死の島で命を落としたらしい。この小説のなかでも、長平たちは島のなかで多くの遺体に遭遇する。が、一方で生還した例もいくつかあるようで、長平の12年半を上回る、19年も島で生活をした後生還した記録もあるようだ。壮烈な事実だ。

吉村昭はこのような記録を丹念に集め、まるで見ていたようにこの「漂流」を書いている。取材力と物語に仕上げる構成力は見事というしかない。

<あらすじ>新潮社HPより

江戸・天明年間、シケに遭って黒潮に乗ってしまった男たちは、不気味な沈黙をたもつ絶海の火山島に漂着した。水も湧かず、生活の手段とてない無人の島で、仲間の男たちは次次と倒れて行ったが、土佐の船乗り長平はただひとり生き残って、12年に及ぶ苦闘の末、ついに生還する。その生存の秘密と、壮絶な生きざまを巨細に描いて圧倒的感動を呼ぶ、長編ドキュメンタリー小説。

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2009年1月26日 (月)

・「B型自分の説明書」Jamais  Jamais(じゃめ じゃめ)

よくできた本だ。

昨年の12月30日の朝日新聞にこの本の出版社である「文芸社」が打った広告によると

(1)「B型自分の説明書」 155万部

(2)「O型自分の説明書」 130万部

(3)「A型自分の説明書」 125万部

(4)「AB型自分の説明書」 90万部

売れたらしい。

また株式会社トーハンが発表した2008年年間ベストセラー(集計期間=200712月~200811月)調べでは

(1)「B型自分の説明書」  3位

(2)「O型自分の説明書」  4位

(3)「A型自分の説明書」  5位

(4)「AB型自分の説明書」 9位

となっている。

要はよく売れたということだ。

血液型と性格は関係ないのにどうしてこの手の本が売れるのだろうか。私が学生だった頃から、女性がいる飲み会で、血液型の話から入ると盛り上げには、まずはずれがなかった。女性に持てるために「血液型うんちく」に走るヤツらがいて、女性に縁のなかった私はにがにがしく思ったものだ。その後も血液型の話は避けてきた。

あまり血液型と性格とは無関係と力説すると

「やまけんさんの血液型は?」と聞かれる。

「B」と答えると質問者はニマっとして

「そうですか」と言って血液型と性格の無関係検証にはのってこない。

むきになるとますます世間の「B型」のイメージにはまってしまう。

この本の発売日を確認してみると

(1)「B型自分の説明書」  20079

(2)「O型自分の説明書」  20088

(3)「A型自分の説明書」  20084

(4)「AB型自分の説明書」 20086

さらに日本人の血液型の分布でみてみると

A:O:B:AB = 4:3:2:1

B型の本を出したところ、今年になって火がついたので、あわてて他の血液型も発売したようだ。人口比を考えると「AB型」が健闘している。全部買う人がいるからだろう。

さて、そもそもなぜB型をターゲットにしたのだろうか。飲み会で皆の餌食になるのと同じ発想のように思える。ブームに火をつけたのは山本モナのブログとTBSの王様のブランチらしい。

山本モナの200829日のブログから引用させていただく

「で、他の血液型のもあるのかと思ったらBだけらしい。 さすがた…。」

さすがた が効いている。

「血液型ウンチク」をばかにしながら随分紙面をさいてしまった。

これだけチュックポイントがあると当たっている項目もあり外れている項目もある。適度に世間のB型イメージを散らばらして構成されている。

楽しめる。よくできた本だ。

反「血液型ウンチク」の私がついついはまってしまった。

最最高チェックポイント

・自分論がみじろおし

最高チェックポイント

・「変」と言われるとなんだがウレしい。

・でっかいペロペロキャンディはなめ始めたら最後まで。

・誘われたのに行けない集まりが気になる。

・誰かが熱弁している内容を本人より熱く語る。

・やたらカバンが重い。

はずれポイント

・人の顔、名前、あんまり覚えてない。というか覚えない最初から。

・1時間へーきで待たす。

・説明書読まないのにだいたい分かる。

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2008年11月11日 (火)

・「東京島」桐野夏生

無人島に男31人と女1人が流れ着いた。

すごいテーマを考えたものだ。しかもその女性の設定年齢が見事。46歳。若くては駄目だけど、どこまで上げるか。46歳は私より年下であるが、仮に20台の若者だとしても充分性の対象になる年齢だ。さらに出産という観点で考えてみても、46歳は絶妙。50歳を超えた出産は、広く世界を探せばあるかもしれない非現実的な年齢。40台前半だと、平均的な事態ではないが、芸能人でなくても周辺やその周辺を探せばありそうないわば現実的な年齢。その合間をぬった見事な設定だと思う。

「ロビンソン漂流記」、「十五少年漂流記」、「エンデュアランス号漂流」などの話は本当の漂流記であるが、「東京島」は漂流を題材にした人間の日常の駆け引きの物語だ。唯一の女性という武器も、女なしで生きる術をみんな身につけてしまえば、価値を失うところなどは絶妙だ。最後はどうなるのだろうか、は想定を超えて少し残念な結末だったが、この小説の目的はエンディングではないので、問題なしといったところ。

桐野夏生と言えばはやり「OUT」。東京郊外のコンビニ弁当工場で働く深夜パートの主婦たちの日常からの脱出を、強烈な事件を中心に展開し、主婦の抱える悩みを見事に浮かび上がらせた。あまりにインパクトがありすぎたので、直木賞を受賞した「柔らかな頬」は肩の力の抜きすぎのようで物足りなった。他の読者も同じ反応だったのか、出版社の意向だったのか、世の中で起きた鮮烈な事件を題材にした小説を次々発表する。どれもうまく描かれ、事件をモチーフに独自の物語に展開していたものの、事実の解説小説の印象をぬぐえなかった。すべて「OUT」の後遺症である。

が、「魂萌え!」でようやく「OUT」から脱却できたと私は思っている。「東京島」もしかり。今後の作品が楽しみである。

<内容>新潮社HPより

私は必ず脱出してみせる

無人島に漂着した31人の男と1人の女

本能をむき出しにする女。

生にすがりつき男たち。

極限状態での人間の本質を

現代の日本人に突きつける

著者渾身の問題作!

32人が流れ着いた島に、女は清子ひとりだけ。

無人島に助けの船は来ず、いつしか皆は島をトウキョウと呼ぶようになる。

果たしてここは地獄か、楽園か?いつか脱出できるのか

生と欲に縋る人間の極限状態を容赦なく描き、読む者の手を止めさせない傑作!

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2008年11月 5日 (水)

・「ありったけの話」中山智幸

23歳の大学生のユキヒロは高校生の時の恋人でスイスにて深刻な皮膚の病気の治療をしている静佳に会いに行くためアルバイトでお金をためている。

しかしながら、メインテーマの静佳との関係はバックグランドミュジックのような扱い。姉の子供で9歳の甥っ子葎との生活。友人エザミとその恋人鴇田。この小説のメインとなる話の展開はそれなりに面白い。親しくなった鴇田と葎。葎を通じてユキヒロと鴇田の関係もとてもいいものに。二人は出来てしまうのではないかと思わせる。

静佳とのわかりにくい関係が本当はメインだよ、と言われるとなんとなく腑に落ちない。一体何の話だったのだろうか。こういう小説は難解だ。やはりしっかりした物語の展開のある読物の方が落ち着く。

<内容>光文社HPより

いっそ命に関わる病気だったらよかったのに――

6年前に別れた恋人・静佳にはある事情があった。

彼女を一度は受け入れると決めたのに、突き放す形になってしまった過去。ユキヒロはその謝罪をしたいと思っているが、なかなか一歩を踏み出せないでいる。そんなユキヒロのところに、父親を雪山の事故で亡くした甥っ子の葎が預けられることに。葎との生活のなかで、少しずつ前へ進み始めたユキヒロは、静佳に手紙を書こうとするが――

2008年『空で歌う』が芥川賞候補となった期待の新鋭、初の書き下ろし長編。

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2008年9月23日 (火)

・「西の魔女が死んだ」梨木香歩

大学の同級生(女性)と今年の同窓会の開催要領をやり取りしていたメール中に、なにげに「西の魔女が死んだ」が彼女の推薦書として記されていた。50歳代も半ばに達した男性に、中学1年生の少女が主人公の小説をよくも推薦したものだと思う。彼女の若干世間とは歯車があっていない感覚に、今回は感謝したい。連日の会社での苦難に弱りきった私には最高の推薦書だった。

「西の魔女が死んだ」。1994年に単行本が、2001年には文庫本が出版されている。今年6月には映画化もされたようだ。文庫本も毎年10万部をコンスタントに売上げ、今年は映画の影響もあってさらに部数を伸ばしているとのこと。累計も100万部を軽く超えているようで、児童文学の大作のようだ。おじさんなら当然かもしれないが、私も知らなかった。

44回小学館文学賞受賞、児童文学者協会新人賞受賞、新美南吉文学賞受賞と肩書きも華やかだ。

私はちょっと読み違いをしてしまった。書き出しで、<まい>が中学1年生だということは認識していたのだが、あまりに祖母との交流が自然でほほえましかったので、いつの間にか<まい>が小学校低学年になってしまっていた。<まい>を小学校低学年として最後まで読んでしまった。でも、<まい>が純粋な気持ちでの生活を取り戻していくプロセスでは、中学生も小学生もあまり関係なかったようだ。

冒頭<まい>の母が単身赴任先にいる父へ電話をしている場面がある。「………。あの子はともかく……。何ていうのかしら。感受性が強すぎるのね。………。昔から扱いにくい子だったわ。生きていきにくいタイプの子よね。…」と、母が父に話している。<まい>の耳にも入る。こういう評価は親が口に出してはいけないものだ。登校拒否は学校になじめなったことにあるが、その底にこの母の存在があったのかもしれない。仕事をも持つ母とそのことを望まない魔女である祖母との葛藤も<まい>に影響したのかもしれない。

祖母がイギリス人という設定も魔女らしくていい。<まい>の魔女の修行は登校拒否児の社会復帰の訓練でもある。規則正しい生活。自分の意思で決定すること。すべての責任は自分にある。そうだ。他人のせいにしては駄目だ。言い訳をしていても駄目だ。

この祖母がすごい。

食料の多くを自給しながら、自然の中で秩序あるマイペースで生活している祖母。そのような生活の中で死の準備をしている。<まい>に「人は死んだらどうなるの」と聞かれ「分かりません。実を言うと、死んだことがないので」と答える魔女としての柔軟性も持っている。

「自分が楽に生きられる場所を求めたからといって、後ろめたく思う必要はありませんよ。サボテンは水の中に生える必要はないし、蓮の花は空中では咲かない。シロクマがハワイより北極で生きるほうを選んだからといって、だれがシロクマを責めますか」自身は自然の中で暮らすが、自分で決めた生き方をすれば、どのような生き方も素敵なのだ、と魔女は語っている。

<まい>の立場でも、働く母親の立場でも、死の準備をしている祖母の立場でも多様的に読むことができる物語である。

<内容>小学館HPより

「西の魔女」とは、中学生の少女・まいの祖母のこと。学校へ行けないまいは、田舎の祖母のところで生活することに。まいは、祖母の家系が魔女の血筋だと聞く。祖母のいう魔女とは、代々草木についての知識を受け継ぎ、物事の先を見通す不思議な能力を持つ人だと知る。まいは自分も魔女になりたいと願い、「魔女修行」を始める。この「魔女修行」とは、意志の力を強くし、何事も自分で決めること。そのための第一歩は規則正しい生活をするといった地味なものだった。野苺を摘んでジャムをつくったり、ハーブで草木の虫を除いたりと、身近な自然を感じながらの心地よい生活が始まる。次第にまいの心は癒されていく。魔女はいう。「自分が楽に生きられる場所を求めたからといって、後ろめたく思う必要はありませんよ。サボテンは水の中に生える必要はないし、蓮の花は空中では咲かない。シロクマがハワイより北極で生きるほうを選んだからといって、だれがシロクマを責めますか」そしてまいは、この「西の魔女」から決定的なメッセージをうけとるのだった……。

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2008年9月20日 (土)

・「夏から夏へ」佐藤多佳子

2008年7月25日発売。北京五輪4×100決勝は8月22日。

2007年の大阪陸上から4×100のリレーメンバーを佐藤多佳子は追いかける。1走:塚原直貴、2走:末慎吾、3走高平慎士、4走:朝原宣治。そしてリザーブ:小島茂之。大阪陸上で日本チームの4人は、日本新記録、アジア新記録を出すも5位。個人の能力差はいかんともしがたい。日本チームの勝つ道はバトンタッチ。即席で速い選手でチームを構成しても勝てる強豪国に対抗するためチームとして団体競技として日本は準備をする。その団体競技であるリレーを選手の人間としての個性や、リレー選手としての特性を丁寧に取材したノンフィクション。

北京五輪に間に合わせるよう出版された。結果は佐藤の取材どおりの展開で、強豪国がバトンミスで決勝に進めず、選手の特性をよく分析した走る順番とバトンリレーの方法で準備した日本チームが、銅メダルを獲得した。トラック種目では1928年アムステルダム五輪女子800メートル銀メダルの人見絹枝以来80年ぶり2度目の表彰台。

他のノンフィクション作家とは一味異なる人間が前面に出た作品だ。タイミングも良かった。が、ノンフィクションなら、冷静に分析する他の作家の方がはやり餅屋の強みがあると思う。佐藤のノンフィクションはこれだけにして、今後は「一瞬の風になれ」以来の、若者の心情を描いた物語を書いてほしいと思う。

<内容>集英社HPより

日本代表リレーチーム、メダルへの熱き挑戦!

『一瞬の風になれ』で本屋大賞を受賞した著者が、2007年の世界陸上から日本陸上選手権大会までを日本代表チームに取材し、世界に挑む日本のトップアスリートたちの熱き闘いを描いたノンフィクション。 

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2008年9月16日 (火)

・「おいしいコーヒーのいれ方 Second Season Ⅰ 蜂蜜色の瞳」村山由佳

このシリーズを50過ぎのおじさんが図書館で借りるのはかなり勇気がいる。

「リクエストが着いたみたいです」とカウンターに図書カードを差し出す。カウンターの職員はカードを読み込ませパソコンの反応を待つ。「届いていますね。」と言って職員はパソコンに表示された「おいしいコーヒーのいれ方」なる本を棚から探し出し始める。念のため「背表紙にはサブタイトルがのっていると思う」と私が恐る恐る言っても耳に届かない。

志田光郷の少女マンガのごとき表紙の本がようやく見つかる。実用書と思って探していた職員は今回も「これか?」という顔をする。

「おいしいコーヒーのいれ方」シリーズも「蜂蜜色の瞳」が11作目。「Second Season Ⅰ」と銘を打って、前半は総集編、後半は相変らずのゆったりしたラブストーリー。村山由佳の他の作品「天使の卵」、「天使の椅子」に比べても極端にのんびりした世界が展開する。それでも同シリーズの既存作品を次々読んでいるうちは良かったが、追いついてしまって、年1冊の発行を待つ状態になるとさすがにつらい。でも、甘い世界に魅せられてまた読んでしまった。

<総集編>

高校3年生<勝利>は、幼い頃に母をなくし父と二人暮らしを続けてきた。おかげで家事は万能。その父が九州へ転勤することになった。ちょうど時を同じくして叔母夫妻が海外赴任となり、二人の子供<かれん>と<丈>は日本に残る。それまで、あまり交流のなかった従姉弟3人の共同生活が始まる。<勝利>は5歳年上の<かれん>に惹かれ、二人の交際が始まる。<かれん>には出生の秘密があり、やがて介護施設で働くようになる。

<本編の集英社のHPの紹介>

かれんと勝利の物語、新章突入!

夏、鴨川でついにかれんと勝利が初めて結ばれてから3か月。10月も終わりに近づくが、二人に「2回目」はまだ来ない。そんなある日、久しぶりに東京に出てきたかれんが勝利の下宿に泊まることに 

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2008年9月 3日 (水)

・「神様がくれた指」佐藤多佳子

神様がくれた指。スリの指先。スリで捕まって出所したマッキーこと辻牧夫。彼のことを思う幼馴染の早田咲。スリをやめろといわない。辻もどうしたものか迷っているうちに事件に巻き込まれ結局スリの道へ。

マルチャラこと昼間薫。司法試験崩れで占い師へ。彼もまた将来への迷いを持ったまま。辻との奇妙な共同生活を始める。

佐藤多佳子の作品にしては、珍しく大人が描かれているが、皆、何を生きる拠りどころにするか試行錯誤している。50歳を過ぎても私はまだウジウジしている。

<あらすじ>新潮社HPより

出所したその日に、利き腕に怪我を負ったスリ。ギャンブルに負けて、オケラになったタロット占い師。思いっ切りツイてない二人が都会の片隅でめぐりあった時、運命の歯車がゆっくり回り始めたことを、当人たちはまだ知らない。やがて登場するもう一人がすべてを変えてしまうことも――。「偶然」という魔法の鎖で結ばれた若者たち。能天気にしてシリアスな、アドベンチャーゲームの行方は

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2008年8月16日 (土)

・「神田川デイズ」豊島ミホ

バイトに精出すわけでもなく、サークル活動に夢中になるわけでもなく、将来やりたいことがはっきりしているわけでもなく、友達も沢山いるわけでもない大学生の不安と期待がうまく描かれている。

特に地方から出てきてうまくなじめないと非常に狭い世界に入りこんだ学生生活を送ることになりそうなリスクを持っている。受験生活からの解放感と、どう対応していいのかわからない漠然とした不安感との折り合いが付かないまま、雀荘での日々を過ごしてしまった同級生がたくさんいたことを思いだした。

さすがに今の学生なので雀荘は出てこなかったが。

6つの章から出来ていて、それぞれの章で主人公が替わるが、他の章でもその主人公は脇役として登場してくる。

中野道子:青森県出身の真面目な学生。母親から友達を沢山つくれといわれ上京してきたがうまくとけこめないまま、素敵な先輩及川緑に誘われ政治サークルに。クラスでも星子ちゃんやアズマや赤Tシャツとなじんでいく。

塩屋星子:2部を1年やった後の再受験生。明るく元気なのだけど、何をやっていいのか方向性をみつけられない。

<あらすじ>角川HPより

根拠のない自信に、過剰な自意識と鬱陶しいまでのナイーブさを抱え、僕たちは、惑い、傷つき、夢を見つけようと上を見上げては途方に暮れる。大学生たちの息遣いと切実な思いをリアルに描く、傑作青春グラフィティ。

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2008年6月26日 (木)

・「赤朽葉(あかくちば)家の伝説」桜庭一樹

なんとも不思議な小説だ。「山の民」に置き去られた赤ん坊。千里眼を持つ万葉をして育つ。ここらまでは非現実的な話が進むのかと思ったが、やがて物語は、鳥取県からみた日本の戦後史の様相を帯びてくる。次々と戦後のなつかしい事件を背景に話はテンポよく進んでいく。

話したいことが一杯あるのに時間が足りない。慌しく早口で次々と色々なことをしゃべっている人の話を聞いているようだった。落ちつかないし、話が表面的であっという間に終わってしまう。

が、反面小気味よく、飽きることなく読めてしまう。

跡取り息子の生き方、婿養子の行き方、管理売春の話、不良少年・少女の実態、地方に設置されるコールセンターの問題、時代の変化に取り残される職人の問題。欲張り過ぎた話だった。最後は急に推理小説になるところの変でこの作品らしい。

桜庭一樹。初読み。この作品は「第60回日本推理作家協会賞」受賞。2007年上期第137回直木賞候補作品となった。桜庭としては、2007年下期第138回直木賞を「私の男」で受賞している。

<あらすじ>東京創元社HPより

「山の民」に置き去られた赤ん坊。この子は村の若夫婦に引き取られ、のちには製鉄業で財を成した旧家赤朽葉家に望まれて輿入れし、赤朽葉家の「千里眼奥様」と呼ばれることになる。これが、わたしの祖母である赤朽葉万葉だ。――千里眼の祖母、漫画家の母、そしてニートのわたし。高度経済成長、バブル崩壊を経て平成の世に至る現代史を背景に、鳥取の旧家に生きる3代の女たち、そして彼女たちを取り巻く不思議な一族の血脈を比類ない筆致で鮮やかに描き上げた渾身の雄編。著者の新たなる代表作、桜庭一樹はここまで凄かった!

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2008年6月19日 (木)

・「阪急電車」有川浩

とてもいいテーマを取り上げた作品だと思う。毎日同じような時刻に電車に乗っているといつも見かける顔、というのができる。気になる女性にも遭遇する。次の駅に着くとお別れと言うには少々寂しい気分になってくることがある。

が、そういう人に声をかけたら、下手をすると騒がれ取り押さえられることになる。電車での出会いが現実の出会いになることは、相当な偶然が重なり合わない限り発生しない。大げさに言うと、人と人の出会いのむなしさを感じてしまう。

「袖触れあうも多生の縁」とはいかないのだ。

出会いのない現代社会の電車の中で、素敵な出会いが小話のように次々と展開していく。地味だけど、夢のような話が続く。

舞台は阪急今津線。宝塚発西宮北口行。宝塚・宝塚南口・逆瀬川・小林・仁川・甲東園・門戸厄神・西宮北口の8駅、各駅停車の運行しかなく所要時間15分。8つの駅がそれぞれ1章になっている。途中下車する駅もあれば、駅と駅の間の出会いが描かれていることもある。各章で主人公が異なる。前の章で脇役人が主人公になり、主人公だった人は下車していく。そして新たな脇役が乗車して、微妙に各登場人物が重なり合う。

西宮北口に着いた電車は、再び宝塚に向かって折り返す。折り返し後は、前半の話の後日談の様相。映画や小説の続編のようだ。続きが知りたいという欲望を満たしてくれる。が、多くの続編にありがちな少々の失望感があったこと否めない。

「阪急電車」のタイトルにやられた。しかも舞台は今津線。関西出身者である私にとってとても懐かしい、郷愁の念がわく舞台だ。ついつい友人に「読んだ?」とメールしてしまった。

<主な登場人物>

・図書館でお互い意識していた社会人の男女。図書館帰りに宝塚駅で、偶然か必然か同じ電車にのり会話がはじまる。

・「同僚の女性に彼氏を寝取られた女」として当人たちの結婚式にでる怨念のOL。阪急電車での出会いで穏やかな心を見つけていく。

・孫娘と乗ってきた元気なおばあちゃん。主人とは死別。息子夫婦とは別に暮らし、自由を謳歌している。電車の中での一言が若い女性たちを救っていく。

・イケメンだが切れやすいだめ男とその男に献身的に仕える彼女。

・意外にしっかりした女子高生

・地方出身者同士の大学生男女出会い

・やりたい放題のおばちゃんの集団にいやいや入っている気弱な女性の目覚め。

<参考>

阪急今津線は宝塚から今津まで。線路は西宮北口で一旦遮断され、小説の舞台となった北の部分が今津(北)線。西宮北口・阪神国道・今津の間が今津(南)線になっている。私が学生のころは、南北に分断されておらず、西宮北口で神戸線と平面交差していて、鉄道マニアにはこたえられないスポットだったようだ。

西宮北口は、梅田(大阪)と三宮(神戸)の中間駅。我が阪急ブレーブスのホームグランド西宮球場があった。

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2008年4月23日 (水)

・「花の回廊」流転の海 第五部 宮本輝

宮本輝の父をモデルに、自身のルーツを書き綴った「流転の海」シリーズ。

第一部 流転の海 1984年

第二部 地の星  1992年

第三部 血脈の火 1996年

第四部 天の夜曲 2002年

第五部 花の回廊 2007年

抽象的であまりに周辺の小さな話題をとりあげた若手作家の作品を続けて読んだ後に、物語の展開がしっかりしたこういう小説に接すると、ほっとする。はやり小説はこうでなきゃ。

宮本輝は物語の構成・展開のうまい作家だと思う。競走馬をめぐる生産者・馬主・調教師・騎手などを描いた「優駿」は私の宮本輝ベストだ。

さて、「流転の海」シリーズ。宮本輝のお父さんをモデルに自身の存在の根源を探っていく話。宮本輝版「青春の門」。第一部が発刊されたのが、1984年。20年以上も前。前作からも5年。さすがに話も骨格程度しか覚えていない。四部までを読んでなくても充分楽しめるものの、前作までの話を前提に記述されているところもある。もう少し間隔を詰めて発刊してほしい。「青春の門」も完了したら読み直そうと思っていてそのままになっている。そもそも「青春の門」は終わったのだろうか。

この「花の回廊」の次の展開を暗示して終わっている。海老原太一の領収書代わりの名刺。美貌の中学生の津久田咲子。熊吾と男女の関係に発展していくのだろうか。

小学生の伸仁。熊吾の妹宅に預けられる。妹宅といっても安アパート、欄月ビル。

在日朝鮮人問題、給食のパンの残りと夕刊売りで得たわずかなお金で食べるたこ焼きで飢えを凌ぐ兄弟。この時代の社会の底辺で格闘する人々が強烈に描かれている。

このシリーズの中で一番面白かった。

出版社 / 著者からの内容紹介

昭和32年、財産を失った松坂熊吾は、電気も水道も止められた大阪・船津橋のビルで、来る自動車社会を見据えた巨大モータープールの設立に奔走し、妻の房江は小料理屋の下働きで一家を支える。一方、小学生の伸仁は尼崎の貧しいアパートに住み、壮烈な人間ドラマの渦に巻き込まれていく。大河小説の最高峰「流転の海」シリーズ最新作

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2008年4月18日 (金)

・「高血圧の常識はウソばかり」桑島巌

昨年の秋の健康診断で軽い高血圧と診断され、あたかもダイエットを楽しむような感覚で血圧を下げることに取組んでいる。以下のメモはこの本の中から知識として(本音はうんちくのネタとして)記録しておきたいものを抜粋したものである。

・「脳卒中」・「心臓病」・「腎臓病」はいずれも「血管病」で主な原因は高血圧。

「脳卒中」は「脳出血」と「脳梗塞」に大別される。

「脳梗塞」は「脳血栓」と「脳梗塞」に大別される。

⇒「脳出血」:脳の血管が破れる

⇒「脳血栓」:動脈硬化で狭くなった血管に血栓が詰まる

 ⇒「脳梗塞」:心臓から血栓が飛んできて詰まる

 「心臓病」は「狭心症」と「急性心筋梗塞」に大別。

⇒「狭心症」:冠状動脈が狭くなるため起きる

⇒「急性心筋梗塞」:詰まって血液が行きとどかなくなる

・血圧は低ければ低いほど「血管病」になりにくい。

60歳を過ぎると下の血圧は低くなる。

・上の血圧は年齢とともに高くなる。

・上の血圧-下の血圧=脈圧

 脈圧は小さいほうがいい。

・利尿薬はナトリウムを尿から排泄させる。

・高血圧にならないために

⇒全身を使う運動

⇒塩分は1日6g以下

 ナトリウムの2.5倍が塩分

⇒水の飲みすぎは高血圧によくない

⇒カリウムはナトリウムを体から押し出す

 リンゴやみかんに多く含まれている

・風呂場は危険がいっぱい

 ⇒浴室とお湯の温度の差を減らす

  厚いシャワーで浴室を暖める

 ⇒食後の入浴は避ける

<関連記事>

200848日 「高血圧との長い戦いの始まり その2」

http://yamaken38.cocolog-nifty.com/blog/2008/04/post_ec7e.html

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2008年4月 9日 (水)

・「もう一言の極意」林文子

ダイエーの取締役副会長の林文子著。高校卒業後事務職として働いた後、結婚を契機に

BMW ジャパンへ転職。営業職として驚異的な成績をあげ、社長まで登りつめた。その実績を買われダイエー再建を委ねられる。

その営業の神様が人間関係構築には、もう一言が必要だと訴えている。当たり前の事ばかりだが、改めて思いめぐらせると、ちょっと気をつけてみようと思うことが結構あった。

下記に書き出してみた。

02は「2008年今年の目標」で「プラスワンストローク」として書いたことと同じだ。人間関係構築の基本のようだ。

12もなかなか深い。

01.どんなときも笑顔を習慣づける

  ⇒笑顔を惜しんではいい人間関係はつくれません

02.「おはようございます」プラス「特別な一言」で印象は大きく変わる

  ⇒一瞬動きを止めて挨拶

03.どんな忙しいときでも、いきなり仕事の話へは入りません

04.「自分の情報」を出せば相手は言葉を返してくれる

  ⇒会話の主導権は徐々に相手に渡す

05.「ポジティブは言葉」は不思議な力を持っている

06.出会ってすぐに相手の良いところを見つけ、それを自然に言葉に出す

07.別れぎわにも「もう一言」

  ⇒最後に「相手の心が喜ぶ一言」を残す

08.別れ際に何か一言具体的にお礼を言う

09.相手の自信のあるポイントをほめる

 「ほめぐせ」をつけることが大切

  ⇒「内心ちょっと自信を持っているところ」をすかさずほめる

10.断るときには感謝の言葉を添える

11.「ほめる力」は叱るときにこそ光る

  相手のいいところをほめてから叱る

  ⇒怒ってしまったら何もかも台無し

12.自分20%、相手が80% これが感じのよい会話のバランス

  ⇒聞き上手は「話せるヤツ」と思われる

<関連記事>

200811日 「2008年今年の目標http://yamaken38.cocolog-nifty.com/blog/2008/01/post_7368.html

<関連記事>

2007616日 「人のいいところを見つけるhttp://yamaken38.cocolog-nifty.com/blog/2007/06/post_2187.html

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2008年4月 3日 (木)

・「浮世でランチ」山崎ナオコーラ

二つの話が交互に展開する。

25歳のOL君江は、会社での人間関係が煩わしくてランチはコンビニで買った弁当を一人公園で食べている。会社は辞めることに。

もうひとつの話は、君江が中学生の頃の話。幼馴染みの犬井はミヤンマー人の母と日本人の父を持つ登校拒否児。その犬井を君江は学校へ誘う。なぜかその犬井。いじめにあう君枝を守ってくれる。やがて同級生数人と犬井の家で宗教ごっこが始まる。

一体何を目的にこの君枝の中学生生活を描いているのだろう。と、思い始めた頃に話はOLの君枝に戻る。

会社を辞めた君枝は東南アジアの旅行へ出かける。旅先でもエピソードの描き方はきめ細かく上手い。が、一体何の話?。山崎ナオコーラの旅行記かな?と、疑念がわいたころに再び中学生の頃へ。

昨年の今頃、国際ボランティアのために今の会社を辞めていった派遣社員のことを思いだした。

<あらすじ>河出書房新社HPより

明日の私は、誰とごはんを食べるの? ――丸山君枝は25歳のOL。何も起こらない日々から旅立ち、日常に戻った君枝が触れた、一瞬の奇跡とは? 人と人が関わる意味を問う文藝賞受賞第一作。

<関連記事>

200833日 「「カツラ美容室別室」山崎ナオコーラ」

http://yamaken38.cocolog-nifty.com/blog/2008/03/post_431e.html

2007228日 「ハケンの未来」

http://yamaken38.cocolog-nifty.com/blog/2007/02/post_52de.html

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2008年3月19日 (水)

・「あなたの呼吸が止まるまで」島本理生

舞踏一筋の父親に愛想をつかし母親は家を出て行った。父親は残された娘を大事にはしてくれるけれど、人生の第一は舞踏。そんな寂しさを、物語を書くことで埋めていく小学6年生、野宮朔。父親の舞踏仲間との交友もあり、十分大人である。学校では当然のように浮いてしまう。転校生の鹿山さんも物事をはっきり言い過ぎてクラスで浮いている。朔と鹿山さんは仲良くなる。そして素朴な同級生田島君とのほのぼのとした交際と鹿山さんとの微妙な三角関係。一方で、父親の舞台のチラシ作成者で年の離れた兄のような存在の佐倉に頼る気持ちもうまく描かれている。

おませな女の子の微妙な思春期の話として充分楽しんでいたのに、最後とんでもない展開となる。朔が性的暴力を受ける。その事件のプロセスで信頼の情が、嫌悪の情に変わってところの描写はきめ細かい。

朔は宣言する。物語を書く人になりたい。今回の事件を周りの人には誰かわかるように何十年後になっても物語として書く。と。

急に重い話になって、暗いものを読者に与えて終わってしまう。島本理生の母親は舞踏家で、母子家庭。この話は実話ではないかと思わせる。仮に実話だとすると、島本の復讐に我々読者が付き合わされたことになる。いい迷惑ではないか。

創作だとすると、インパクトのある話にするための仕掛けということか。

創作か実話か考えさせることを狙ったものか。まんまと作者の思う壺にはまってしまっている。

島本理生  1983年生まれ

青山七恵  1983年生まれ

金原ひとみ 1983年生まれ

綿矢りさ  1984年生まれ

島本は史上最年少の芥川賞受賞かと騒がれたが、過去3回候補にあがっているが芥川賞はまだ受賞していない。同世代の3人に先を越された形になっている。

<あらすじ> Amazon.cojp より

十二歳の野宮朔は、舞踏家の父と二人暮らし。夢は、物語を書く人になること。一風変わった父の仲間たちとふれ合い、けっこう面倒な学校生活を切り抜けながら、一歩一歩、大人に近づいていく。そんな彼女を襲った、突然の暴力。そして少女が最後に選んだ、たった一つの復讐のかたち――。『ナラタージュ』から二年、新たな物語の扉が開く。

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2008年3月 3日 (月)

・「カツラ美容室別室」山崎ナオコーラ

平成19年下期芥川賞候補作品。作者の「人のセックスを笑うな」も平成16年下期芥川賞の候補作品。題名も個性的だが、「ナオコーラ」という名前も奇妙だ。コーラ好きらしい。

27才のサラリーマン、淳之介。どういうわけかその友人で小卒の就職経験のない32才の梅田さん。淳之介は梅田さんが常連の「カツラ美容室別室」の花見に誘われるところから物語が始まる。美容室は47才の桂さんと27才のエリと24才の桜井さんで切り盛りしている。本店は九州でお母さんが経営している。

話は次の花見までの1年間のまったりした展開。淳之介とエリはデートまでは行くがそれ以上は発展しない。青山七恵の「ひとり日和」のような淡々とした日常が描かれている。が、退屈はしない。

淳之介とエリ。案外今の若者、とりわけ、なかなか女性と付き合うことができない若い男の心情をよく描いているのではないだろうか。作者は女性なのだが。

エリからのメールは、相手からの返事よりも間隔をあけて出す。お互いそうしているうちに間隔がどんどんあいていく。「お互い大人なのだから、テンションの上がらないままにつき合いをスタートさせてもいいのではないか、と考えながら眠った。」

もう少しでそういう関係になれそうなのにブレーキをかけてしまう。「一ヶ月以上合わないでいると、エリへの気持ちが発酵していく。恋愛感情、ではない。知り合いへの。深い情に。」

そのうち、「疲れる女といるよりも、アパートで牛乳を温める方がいい。」となってしまう。

<あらすじ> Amazon.cojp より転記

こんな感じは、恋の始まりに似ている。しかし、きっと、実際は違う。 カツラをかぶる店長・桂孝蔵の美容院で出会った、淳之介とエリ、梅田さんたちの交流のゆくえは? 大人の事情、大人の友情に迫る。各紙絶賛、話題の最新作!

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2008年2月27日 (水)

・「イグアナくんのおじゃまな毎日」佐藤多佳子

佐藤多佳子は、昨年の2月にこのブログを開設してから読み始めた作家なので、読んだ佐藤作品はすべて読書記録が残っている。

<読んだ佐藤多佳子作品> 読んだ順

「一瞬の風になれ」2006

「しゃべれどもしゃべれども」1997

「黄色い目の魚」1993

「サマータイム」1989年 デビュー作

「九月の雨」  1990

「イグアナくんのおじゃまな毎日」1997

今回読んだイグアナくん。50歳を過ぎたおじさんが読むにはちょっと無理があったかもしれない。でも樹里の奮闘記は楽しかった。孫娘を見守る感覚とはこんなものかなとも思った。憧れのクラスメイトの日高君への思いもほほえましい。

私の孫娘の誕生はいつ頃だろう。会えるだろうか。

第38回日本児童文学者協会賞、第21回路傍の石文学賞作品。

<あらすじ> Books より転記

樹里が誕生日プレゼントにもらったのは、生きている恐竜イグアナ。世話がたいへんなうえに成長すると2mにもなるという。

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2008年2月18日 (月)

・「名もなき毒」宮部みゆき

今さら、宮部みゆきに勲章はいらないと思うが、この作品は2007年の吉川英治文学賞を受賞している。「誰か」に続く<杉村三郎>シリーズの第二作。

愛犬と散歩中の老人が、その途中に寄ったコンビニで買ったウーロン茶を飲んだ直後に死んでしまう。青酸カリが混入していたからだ。被害者の娘(シングルマザー)と孫娘(高校生)。犯人と疑われる娘と、母に反発しながらも気遣う孫娘。

もうひとつの物語の柱は、杉村三郎の所属する社内報編集室をトラブルで退社したアシスタント原田いずみ。退社後も執拗にクレームをつけてくる。

この二つの人たちを中心に、元刑事の私立探偵と人気ルポライターと杉村三郎の妻と娘がからみ事件の謎解きが進められていく。

宮部みゆきだから、はやりミステリー仕立てにしないといけないのであろうか。

日常を普通に生きていると、この世に蔓延している見えない毒(現代社会のいろいろな問題)に侵食されていく。宮部みゆきの世界は皆いい人で、この毒を解毒していく。

無差別犯罪の問題、介護の問題、老人の生活費の問題、アレルギーの問題、他人を異常に攻撃しないと生きていけない人の問題、成功者の虚無感など大きな問題を穏やかに描いている。

深刻な話なのにゆったりとしたとした気分にさせてくれた。そう複雑でない謎解きを無理に挿入する必要はないと思う。

<あらすじ> Books より転記

どこにいたって、怖いものや汚いものには遭遇する。それが生きることだ。財閥企業で社内報を編集する杉村三郎は、トラブルを起こした女性アシスタントの身上調査のため、私立探偵・北見のもとを訪れる。そこで出会ったのは、連続無差別毒殺事件で祖父を亡くしたという女子高生だった。

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2008年2月13日 (水)

・「モルヒネ」安達千夏

すべり出しはすごい話かなと感じさせた。どんな展開になるのだろう、と引き付けられた。

小学6年生の姉と2年生の妹。母は自殺してこの世にはいない。父は遠距離通勤のためめったに帰ってこない。たまに家に帰ると子供に暴力を振るう。ある日父に脚を蹴られ、後ろに倒れた姉。翌朝妹が姉を起こそうとするが起きない。

姉は亡くなり、父は逮捕され、妹は施設へ。その妹である真紀はやがて医師夫妻の養女となり、自身も医者になった。母や姉のところへ行くにはその手段を持つ医者が一番いいと。

ここまではこの小説の導入。読んでいて緊張してくる。

が、後がいけない。婚約者で真紀が勤める病院の院長ほか登場人物は、それぞれ味のある人たちで、病院での話もおもしろい。

でも、死に直面したかつての恋人に惹かれる真紀。理解に苦しむ。元恋人との関係だけが妙に浮き上がった話になっている。作者が表現したかったのは、ここだったかもしれないが、難解な恋愛小説になり、少々退屈だった。

<あらすじ> Books より転記

在宅医療の医師・藤原真紀(ふじわらまき)の前に、元恋人の倉橋克秀(くらはしかつひで)が7年ぶりに現われた。ピアニストとして海外留学するため姿を消した彼がなぜ? 真紀には婚約者がいたが、かつて心の傷を唯ひとり共有できた克秀の出現に、心を惑わせる。やがて、克秀は余命三ヶ月の末期癌(がん)であることが発覚。悪化する病状に、真紀は彼の部屋を訪れた。すばる文学賞作家が描く、感動の恋愛長編!

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2008年2月 2日 (土)

・「空飛ぶタイヤ」池井戸潤

三菱自動車のリコール隠し事件をモデルに描かれ、平成18年下半期の直木賞候補になった作品。その時の直木賞は「該当なし」という結果になったが、佐藤多佳子「一瞬の風になれ」、北村薫「ひとがた流し」、荻原浩「四度目の氷河期」など力作が並び,票が割れたものと思われる。

取材力と創造力がすごい。

かなり細かい情報収集をしている。モデル小説だからここらが命である。作者はこの小説舞台になる銀行の元行員で、銀行の描写はさすがである。

そうした情報を元に話を組み立てて行く。それぞれの立場で事故と立ち向かったり、問題に目をつぶったり、日常で起こりうるテーマばかりだ。長い小説につきものの中だるみもない。最後まで飽きさせることなく読ませてくれる。読み物としてはお勧めである。

でも、なにか引っかかる。何でも評論家気取りでけちをつける必要はないのだが。

ベースにできる実話があるのだから、物語の展開を考えるのは楽だ。かなり精緻に取材していると思うが、小説にしてしまうのだから多少間違いがあっても問題はない。モデル小説は何かプラスアルファーがほしい

水上勉の「飢餓海峡」や高村薫の「レディー・ジョーカー」のように実話は単なる材料で後は作家が自ら世界を作り出す。そういったもう少し独自性というか独創性がほしかった。桐野夏生の「グロテスク」・「残虐記」はやり過ぎだが。

PTAの片山。会社でも家でもこういう女性には勝てない。

勝気で負けん気が強い。自らの要求レベルと実力のギャップに苛立ち、その矛先を他人に向け、とにかく相手を攻撃することによって自分を守っていく。都合の悪い話は「聞いていない」、「関係ない」とわめく。おとっと。そんな愚痴を言う場ではなかったようだ。

<あらすじ> Books より転記

トレーラーの走行中に外れたタイヤは凶器と化し、近くを歩く母子を襲った。タイヤが外れた原因は整備不良なのか、それとも……。自動車会社、銀行、警察、被害者の家族タイヤ母子死傷事故に関わった人それぞれの苦悩。そして、「容疑者」と目された小さな運送会社の社長が、家族・仲間のために、たったひとつしかない真実に迫る、試練と格闘の数か月! 「命」と「カネ」の人間群像、そして、巨大企業が犯した「罪」と「罰」を描く傑作企業小説。

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2008年1月22日 (火)

・「あなたに似たひと」澤地久枝

昨年、向田邦子の「父の詫び状」を再読した。その中で澤地久枝と南米旅行した時の話があり、澤地久枝を思い出した。25年ぐらい前に読んだ本をもう一度読んでみようと思った。その本は「愛が裁かれるとき」だったのだが、間違って「あなたに似たひと」を読んでしまった。

よって初読である。

1977年に出版され、「11人の女の履歴書」という副題がついている。著者が後書きで「女なら誰でも通らざるを得ない人生での出会い。そのごく平凡な日常的な出来事をどう生きてきたかという女の智恵―。だからあなたに似た女の、あるいはこれからあなたがめぐりあうであろう出会いとよく似た人生の、秘めた物語として読んでいただければと思っています。」と記している。

が、どの話も劇的でごく平凡とは言えない。ただ、そんなぎりぎりのところで女の人生を生きてきた人は他にも大勢かつ身近にもいるように思えるし、誰もが一歩間違うとそんな人生になる、とも思わせた。

11人。25年前に澤地が関心を持って取材した11人。ほとんど知らない。

01.榎本美佐江 02.浅香光代  03.高杉早苗

04.マダム路子 05.長嶺ヤス子 06.胡暁子

07.エリザベス寺岡  08.石牟礼道子

09.澤田美喜  10.壇より子  11.大宅昌

浅香光代はミッチー。壇より子は壇ふみの御母さん。大宅昌は大宅映子の御母さん。

特に胸を打ったのが次の3人

1.エリザベス寺岡。

第二次世界大戦の末期、外交官寺岡がハンガリーに赴任。ハンガリー人エリザベスは寺岡と恋に落ち結婚。後に料理家となるバーバラ寺岡を生む。戦後夫の母国日本へ。が、夫は肺がんで亡くなってしまう。母国は共産化されエリザベスは娘と日本で生き抜いた。

2.石牟礼道子

有機水銀公害水俣病を地元住民の立場から描いた「苦海浄土 わが水俣病」の作者で、公害告発の運動家でもあったようだ。この作品第1回大宅壮一ノンフィクション賞を受けたが辞退したそうだ。読んでみたい。

3.澤田美喜

戦後日本で、進駐した米軍兵と日本人女性の間に子供が生まれ、米軍兵が帰国してしまって子供を抱え生活に困った女性から子供を引き取って育てた女性らしい。そのためにエリザベス・サンダースホームを開設。2000人近い混血孤児を育てたとのこと。

そのような社会問題があったことは知らなかった。

<関連記事>

20071210日 「父の詫び状」向田邦子 <再読>」

http://yamaken38.cocolog-nifty.com/blog/2007/12/post_6a87.html

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2008年1月 9日 (水)

・「ドミノ」恩田陸

恩田陸といえば、「夜のピクニック」。「夜ピク」の後、続いて恩田陸作品を読もうと何がいいか調べてみると恩田陸はSF、ミステリー作家ということに気づいた。私にとって、推理小説は松本清張、高村薫、宮部みゆき限定なのだ。つまりあまり好きではない。

ということで、「夜ピク」の後恩田陸は敬遠していたが、「ドミノ」は書評などで面白いという評判だし、あまり推理小説ぽくなさそうなので、読んでみた。

表紙を開くと東京駅の地図。さらにめくると登場人物の紹介がイラストとともに簡単に記されている。27人と一匹。この地図と人物一覧がないと読むのはちょっと大変。的確な挿入だ。

28人もの登場人物がいるのに、一覧表で一度確認すると後はごちゃごちゃになることはない。それぞれしっかりした個性を持っているためだ。ここらは恩田の技量なのだろう。

これだけの出番ではもったいない人々ばかりだ。

話もおもしろい。でも。

「夜ピク」とは当然異なる分野。それを覚悟(?)で読み始めたのだからそれはそれでいいのだけど。「OUT」の後、桐野夏生の作品を読む毎にしっくりこなかった、あれかな?

<あらすじ>

Amazon.co.jp より 転記


7月のある蒸し暑い午後、営業成績の締め切り日を迎え色めき立つ生命保険会社から、差し入れ買い出しのためにOLが東京駅に向かって走りだす。ここを物語の出発点として、ミュージカルのオーディションを受ける母娘、俳句仲間とのオフ会のため初めて上京した老人、ミステリーの会の幹事長のポストを推理合戦によって決めようとする学生たち、従妹の協力のもと別れ話を成功させようともくろむ青年実業家、訪日中のホラー映画監督など、さまざまな人間が複雑に絡みあうなかで、物語は日本中を揺るがす大事件へと発展していく。

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2007年12月21日 (金)

・今年読んだ本

今年読んだ本は、今日現在で28冊。年賀状書きもあるので最終はまあ30冊といったとこだろう。このブログを始めた動機のひとつに、読んだ本の記憶が年とともにすぐ薄れてくるので、備忘録的に記録しよう、ということであった。

読んだ本、すべて記事を書いたわけではないが、振り返ってみるとその効果が出ている。回顧趣味的かもしれないが、もう一度その時の感動(?)を再現できるのはいいことだと思う。人生において自分自身で経験できることは限られている。それをいろいろな世界を疑似体験できる読書は魅了的だし、その感動をなんども味わえるのもうれしいことだ。

普通の人にとって、感動の反芻は人生の醍醐味と思う。

例年1年で読む本は40冊から50冊程度。顔面神経麻痺にかかって夏にあまり本を読めなかったこともあるが、今年読書冊数が減った最大の原因はこのブログだ。

逆説的だが、このブログを書いたり、他の人のブログを読んだりに時間をとられて本を読む時間が減ってしまったのだ。

本末転倒。まあ、それはそれでいいことだけど、来年は少し考えよう。

私にとって今年は佐藤多佳子の年だった。

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2007年12月10日 (月)

・「父の詫び状」向田邦子 <再読>

「始めて現れた、“生活人の昭和史”」(矢沢永一)

「向田邦子は突然あらわれてほとんど名人である」(山本夏彦)

と言われた向田邦子。出版社勤務から放送作家。そして随筆家・小説家へと転じていった。

向田邦子の随筆はまさに名人芸。どの話もついつい引き込まれていく。話の内容はそう変わったものはない。誰でも経験しそうな話ばかりである。子供の頃の生活風景。子供から見た大人の世界。日々の生活での出来事。すべて日常のありふれたささやかな出来事である。

これがこのように素晴らしい出来事に変わっていく。手品のような名人芸である。

好奇心。と、対比する冷静な観察力。人や物へのこだわりと愛情。後は文才。でも文才がなくても、ちょっとだけ前向きな気持ちを日々加えるだけで平凡な生活も味のある世界になるということを教えてくれる。

私のブログに「昔のこと」というカテゴリーを作っている。向田邦子の昔話のような記事を書きたいと思ってのことだ。当然のことながらうまく書けない。もう少し世の中や人の心を見る目を磨かないといけないようだ。

1981822日(土)。当事土曜日はまだ半ドン。私は、翌週少し遅めの夏休みをとっていた。仕事を終え北海道旅行のため、羽田に向かった。台風が近づいていた。札幌行きの便はまだ欠航にはなっていない。機内に入り出発を待つ。前方の大きなスクリーンにNHKのニュースが映し出されていた。台湾で飛行機事故。遭遇者に作家の向田邦子の名があった。

198112月に私の手元にある文庫本が出版された。

※ 2月24日にこの「肩の力を抜いて」を立ち上げて10ヶ月。これが200本目の記事である

<関連記事>

2007611日 「「見えない誰かと」瀬尾まいこ」

http://yamaken38.cocolog-nifty.com/blog/2007/06/post_db0f.html

<関連記事>

200754日 「「パンパカパーン、今週のハイライト」の横山ノック死去」

http://yamaken38.cocolog-nifty.com/blog/2007/05/post_0763.html

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2007年12月 4日 (火)

・「結婚写真」中江有里

女優中江有里による初の小説単行本。「結婚写真」と「納豆うどん」が収載されている。

<結婚写真>

うまい。実にうまく話を展開させている。登場人物が交互に主人公になって話が進行していく小説は結構多い。一つの出来事が双方の視線で語られとても面白いけど、主人公が代わる度に、話が大幅に戻って進行が中断する欠点がある。せっかくその世界に浸っていたのに、水が入ったような気がする。

その欠点をうまくカバーしている。全体が21章から出来ていて、頻繁に主人公が交代する。同じ話が繰り返されることもあるが、基本は前へ進む。テンポがいい。前へ進みながらも双方の気持ちをうまく対比させている。

保険の外交員をするバツイチの母(和歌子)と中学生の娘(満)。そして年下の母の恋人(林くん)。母と娘はお互い依存しながらも、相手に負担をかけまいとそれぞれ自立を目指している。ホテルが募集したウエディングドレスを母と娘で着て、写真をとる。その写真がキーワードになって話が急転する。

中学でのいじめ、幼馴染との初恋。ごく日常的な出来事に、母子家庭の親子の葛藤が自然に描かれている。重たい話がのんびりとさわやかな緊張感を保ちながら進んでいく。引き込まれて行く。

後半はやや不自然さが出たが、読み終わってとてもいい気分になっていた。

<納豆うどん>

父は脱サラでこだわり弁当屋を開業。母は父の行動についていけずに心を病む。由実は高校1年生。夏休みに入ったのに、店を手伝わなくならない。そこへ由実の中学の時の副担任(桂田)が臨時のパートで雇われてくる。

こちらも重たいテーマを淡々と、ひと夏で成長する女子高生主人公をさわやかに描いている。

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2007年11月 2日 (金)

・「岸辺のアルバム」山田太一 <再読>

30年前。良妻賢母のイメージそのものだった八千草薫が、テレビドラマで良妻賢母の則子の役を演じた。その則子が浮気をする。相手は竹脇無我が演じた渋い中年。

主題歌 ジャニス・イワンの「ウィル・ユー・ダンス」と

多摩川の水害で家が流される実報道フィルムと

八千草薫の浮気が強烈な印象を残した、

1977年に放送されたテレビドラマ「岸辺のアルバム」。

田島謙作(夫) :杉浦直樹

田島則子(妻) :八千草薫

田島律子(長女):中田喜子

田島繁  (長男) :国広富之(デビュー作)

北川(浮気相手):竹脇無我

わが国のホームドラマに革命を起こしたといわれる不朽の名作。

その原作を30年ぶりに読んでみた。

1974年。台風により多摩川が決壊。住宅ローンで購入したマイホームが濁流に飲まれ流される事件があった。ぷかぷかと家が流される衝撃的な映像をニュースが伝えた。後に、被害にあった住民たちが河川管理者の国に対して「多摩川水害訴訟」を起こしてもいる。

被害者の一人が、「家を失ったことに加え、家族のアルバムを失ったことが大変ショックだった」とインタビューに答えたのを山田太一がみて、この作品のモチーフになったといわれている。

中堅の総合商社に勤める仕事一筋の夫田島謙作。会社が傾き、医療関係の事業拡大の手かがりとして、解剖用に死体を東南アジアから輸入する仕事を任される。

中途半端に頭が良く、他人への思いやりの欠ける女子大生の娘律子。外人に強姦され妊娠・中絶する。

父親・母親・姉。ばらばらの家族の秘密を知り、なんとか家族をまとめようと奮闘するうち、自らは、さほど難しくない大学を落ちてしまう息子の繁。

やっと手に入れた家と、一見幸福そうな表情で家族が写ったアルバムにこだわる謙作。しかしながら、仕事一筋で日々暮らしているうちに家庭は崩壊。サラリーマンの惨めさ、辛さが良く表現されている。自身の等身大を見ているようでもある。でもなぜか共感できない。30年前とおなじ繁の目で読んでしまったからだろうか。

家が流される直前、家族4人でアルバムを持ち出す。

きれいごとのアルバム。一家はすべてを失ってようやくしがらみから逃れたように解放され再出発へ向かっていく。

「浮気の提案です」。竹脇無我が無表情に八千草薫に静かに無表情で話す。男女の関係をせまるのにそんな表現の仕方があるのか、と30年前、衝撃を受けた。

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2007年10月24日 (水)

・「サマータイム」、「九月の雨」佐藤多佳子

単行本「サマータイム」には

①「サマータイム」(四季のピアニストたち・上)

②「五月の道しるべ」 が

単行本「九月の雨」には

③「九月の雨」(四季のピアニストたち・下)

④「ホワイト・ピアノ」 が収納されている。

4つの中篇は、それぞれ独立した物語にもなっているが、進、佳奈、広一、広一の母と

ピアノ、自転車をキーワードに、全体でもひとつの物語を構成している。

「サマータイム」(夏)

進が小学5年生。姉佳奈が小学6年生。二人の友人広一が中学1年生の夏に「サマータイム」が始まる。どしゃぶりの雨の日、プールで進は交通事故で父親と左腕とピアニストになる夢を失った広一と知り合い、広一に惹かれる。

やがて広一と奇抜でわがままで、息を飲むほどキレイな佳奈の小さい恋も生まれる。

佳奈は事故の後、自転車に乗れなくなった広一に自転車にのれるように手伝うがうまくいかない。

やがて、広一は引越していく。進はピアノを習い始める。そして話は飛んで3人はそれぞれ成長して、6年後に再会。他の3篇のとりまとめのような作品。

「五月の道しるべ」(春)

佳奈が小学校1年生の時に、ピアノが届き、弟の進には自転車が。佳奈はピアノが嫌いで両親に抵抗する。「サマータイム」と同じ話を進の姉の目で語る形なのかと思ったが、そこまで行かずに話は終わってしまう。この一連の話の中で重要な位置を占めるピアノと自転車が登場する。佳奈の気質の紹介のような小品。

「九月の雨」(秋)

広一が高校1年生になっている。広一と新しく父親になる種田との出会いと小さな戦い。

広一の母は、夫を失った後、夫の面影のある男性と次々恋し、次々破綻する。やがて夫とは異なるタイプの種田と出会う。広一は、種田と葛藤しながらも種田に心を開いていく。種田の手助けで乗れなかった自転車に乗れるようになる。そして、未練のあったピアノをきっぱり止める。この話の顛末はサマータイムの後半に語られる。

「ホワイト・ピアノ」(冬)

佳奈と26歳のピアノ調律師千田との出会い。14歳の彼女は、2年前の広一への思いが捨てられない。でも千田には、「私は、十四じゃなくて二十四歳だったら、センダくんのお嫁さんになってもいいと思う。好きとか恋とか、そんなんじゃなくて、ただなんとなく、そう思うの。」という思いを持っている。

好きなのと、ずーとそばに居たいは違うのかも。女の子はそう思うのかな。

人との出会いが、自分に戻ってきて成長させる。

「サマータイム」はジャズのスタンダート。

「九月の雨」は古い映画の主題歌。

<佐藤多佳子>

「サマータイム」1989年 デビュー作

「九月の雨」  1990

「黄色い目の魚」1993

「しゃべれどもしゃべれども」1997

「一瞬の風になれ」2006

「一瞬の風になれ」がブームにならなかったら、私は読むことのなかった素晴らしい作品の数々。これも出会いの不思議さかもしれない。

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2007年10月12日 (金)

・「あの日にドライブ」荻原浩

<本の内容>(セブンアンドワイ より)

元エリート銀行員だった牧村伸郎は、上司へのたった一言でキャリアを閉ざされ、自ら退社した。いまはタクシー運転手。公認会計士試験を受けるまでの腰掛のつもりだったが、乗車業務に疲れて帰ってくる毎日では参考書にも埃がたまるばかり。営業ノルマに追いかけられ、気づけば娘や息子と会話が成立しなくなっている。

ある日、たまたま客を降ろしたのが学生時代に住んでいたアパートの近くだった。あの時違う選択をしていたら

過去を辿りなおした牧村が見たものとは? 『明日の記憶』著者の最新長編!

「人生、今からでも車線変更は可能だろうか。」元銀行員のタクシー運転手は、自分が選ばなかった道を見てやろうと決心した。『明日の記憶』の著者・荻原浩、待望の長編

<感想>

人生は日々小さな分岐があり、それなりに判断して道を選んでいる。それが大きな分岐点であったり、後で大きな分岐点だったと後で気づくこともある。

振り返るとうまくいったこともあるし、うまくいかなかったこともある。各々後々まで引きずることもある。

後悔することしきりもあるし、しかたがないと諦めることもある。主人公のように、分岐点で別の道を選んだ自分をいいように妄想することもある。

誰でも経験しそうな話。

さすが元銀行員。いい客を乗せるのはただの偶然ではなく法則があることに気づく。その法則を次々みつけ、情報を集め、成績を伸ばしていく。

ノルマがあるけれど、車の中では自分の世界だ。次第に運転手の仕事が面白くなり、元気を取り戻していく。

すごいいいテーマだし、面白い内容だったし、おそらく銀行員や運転手の世界もよく取材されているのだと思う。

ただ、素材のわりにはやや雑な構成だったように思う。残念。

衝撃的な話であった。

身につまされる内容だった。

たった一言でそれまで積み上げてきたものを失ったわが身を彷彿させられた。

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2007年7月30日 (月)

・「黄色い目の魚」佐藤多佳子

<あらすじ>

第1章と第2章を読んでいると、絵をモチーフとした短編集かと思ったが、第3章で両者が結びつき、ひとつの話だとわかる。第2章のタイトルは「黄色い目の魚」になっている。1・2章ともかなり重い内容で、佐藤多佳子にしては肩に力が入っているなと感じされたが、その辺は作者によるあとがきで明らかになる。

第1章は、小学生の木島悟。幼い時に別れた父親と再会。父親との最後のひと時を過ごす。この時父親から絵心を強烈に伝授され、絵を書くことが生活の一部になっていく。

第2章は、中学生の村田みのり。家族や同級生とはうまく折り合いをつけて生きていくことができない。唯一心を開けるのは、売れっ子イラストレーターの叔父通ちゃん。通ちゃんのアトリエには、みのりが小学校1年生のときに描いた「黄色い目の魚」がりっぱな学に入れられ飾られている。みのりは絵を見ることが好きになっていく。

第3章以降は、悟とみのりが同じ高校の同級生となり、美術の事業でお互いを描くことになってからの二人の交際・悩み・成長が、章ごとに悟・みのりの一人称で描かれている。

折原みとの「制服のころ、君に恋した」と同様、高校生の恋が江ノ電沿線の高校を舞台に展開される。

<感想>

うらやましい!

自分探しに葛藤する高校生。

絵を見ることがすきなみのり。「描くのも才能だけど、いい絵をわかるのも才能だよ」

「絵が描けなくても、絵に関わっていく仕事はなにかできるかもしれない。」と自分の将来を見据える。人生の方向性の手がかりがみつかり、悟との交際を通じて一皮向けていく。

高校生でそんなしっかりとしたビジョンと人生をともに生きていけそうなパートナーを見つけるなんて。

サッカー部の仲間がいる悟。でも絵も気になる。みのりを描くことによって彼も自分の将来の方向性を見つけていく。

挫折の可能性も大きい将来プランだか、常に結論を出すのを猶予してきた私は本当にうらやましい二人であった。まだ私にも人生が残っている。正直に、素直になって生き様に葛藤してみよう。

<余談>

サッカー日本代表の中村憲剛のブログをみていたら、アジアカップの会場となったハノイへ「黄色い目の魚」を持って行って読んだと書かれていた。

一方、佐藤多佳子のブログをみると、アジアカップのことが書かれていて、中村憲剛のことを「ケンゴくん」などと表現していて、どーもお気に入りの様子。おせっかいと思いつつ憲剛のブログを紹介するコメントを書き込んだ。

やった!佐藤多佳子からお礼のコメントが入った!。

かなりうれしい!。

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2007年7月18日 (水)

・「制服のころ、君に恋した。」折原みと

舞台は湘南。高校が江ノ島で、自宅が鎌倉。通学は江ノ電。そして恋。サザンがBGMに流れてきそうな設定。

<本の内容>(セブンアンドワイ より) ネタバレ

海が見える鎌倉の高校に養護教諭として赴任してきた奈帆・28歳。高校時代に恋人を亡くした過去を持ち、目の前の新たな恋に踏み出せずにいた。そんなある日、彼女に奇跡が。10年の時間を超えて、もう一度、あなたに恋をした。

<感想>

母校に保健室の先生として赴任した主人公。保健室に恋の悩みを相談にくるのは、亡くなったかつての自分の恋人「シンタ」。その恋の悩みの相手は10年目の自分。

良く出来た設定だが、あまりにも甘くて、50歳を過ぎたおじさんには少々耐え難いものがあった。でも最後まで一気に読んでしまった。そしてうらやましかった。

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2007年7月11日 (水)

・「チーム・バチスタの栄光」海堂博

現在、医学部を目指して浪人中の娘が、高校三年生だった昨年、勉強時間を削ってみていたのが「医龍」。

漫画の映画化。バチスタ手術のために「バチスタチーム」が結成される。医師・看護師・麻酔医などをとおして大学病院の諸問題が浮き彫りにされ、私も毎週真剣にみていた。

さて、本書。同じくバチスタ手術を扱っているが、こちらはミステリー。

<本の内容>(セブンアンドワイ より)

東城大学医学部付属病院は、米国の心臓専門病院から心臓移植の権威、桐生恭一を臓器制御外科助教授として招聘した。彼が構築した外科チームは、心臓移植の代替手術であるバチスタ手術の専門の、通称チーム・バチスタとして、成功率100%を誇り、その勇名を轟かせている。ところが、3例立て続けに術中死が発生。原因不明の術中死と、メディアの注目を集める手術が重なる事態に危機感を抱いた病院長・高階は、神経内科教室の万年講師で、不定愁訴外来責任者・田口公平に内部調査を依頼しようと動いていた。壊滅寸前の大学病院の現状。医療現場の危機的状況。そしてチーム・バチスタ・メンバーの相克と因縁。医療過誤か、殺人か。遺体は何を語るのか。栄光のチーム・バチスタの裏側に隠されたもう一つの顔とは。第4回『このミステリーがすごい!』大賞受賞作。

『このミステリーがすごい!』大賞第4回2006年大賞受賞作。医療過誤か殺人か、不定愁訴外来担当の万年講師と厚生労働省の変人役人が患者の死と謎を追う。現役医師だからこそ描きうる医療現場のリアリティとコミカルな展開。

<感想>

大学病院を舞台にした小説・テレビはおもしろい。権力闘争、医療技術、人の命、医療側のいろいろな対場の仕事、そして命の危機に直面した患者のそれぞれの生活。材料はそろっている。

この作品、現役の医者の作品とかで、現場のこともしっかり書かれている。

しかし。しかしだ。『このミステリーがすごい!』大賞だからしかたがないのかもしれないが、なんでミステリーにするのだ。医学の知識がないのでついていけないからかもしれないが、ミステリーとしてはあまりおもしろいとは言えない。物語りやテーマがしっかりしているのだから、純文学でいけばいいのに。ミステリーでないと売れないのか

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2007年6月28日 (木)

・「オシムジャパンよ!」フィリップトルシエ

トルシエは日本が好きなようだ。日本に未練を持っているとも言える。妙な駆け引きや、金銭闘争はやめてもらって、サッカー好きで教育好きな、ちょっと怖い親父として、若手主体のJリーグクラブの監督として戻ってきてほしい。

ジーコが代表監督をしている時でさえ、トルシエやオシムの方が、チームとしての日本をよく理解していたと思える。さすがに世界の神様ジーコを露骨に批判していないが、「日本にジーコはまだ早すぎた」と遠慮がちに言っているのが妙にかわいい。

トルシエが、基礎を作った世代が円熟するドイツ大会は、私は本当に楽しみだった。ジーコの4年間はその楽しみが消えていく4年間であった。

トルシエは歯がゆくて仕方がなかったであろう。「日本サッカーの未来を考えなかったジーコ」と批判するのが精一杯。「落胆後の今こそ再建のとき」とオシムにエールを送っている。

オシムに対しては、尊敬の念を示している。尊敬の念を示しながらも、トルシエ論も展開している。話が通じると考えているのだろう、提言のようでもある。

オシムへの評価は同感できる。

1.埋もれた選手の発掘中で、まだチームの骨格と示していない。(評価している)

2.急ぐサッカーで落ち着きがない。よってミスの機会が増えている。

3.リアクションサッカーを自分たちより弱い相手に採用するのは問題だ。

そうなのだ。まだオシムは実験中と思う。そして今のチームは消化不良のチームだと思う。アジアカップ用(すべての対戦相手は日本よりFIFAランクは下)の戦いもしないようだ。神風が吹きまくった前回中国での成果(優勝)より小さい成果しかあげられなかった時の世間の風が心配だ。

まだオシムは実験中だ。できれば正しい実験であってほしい。

<関連記事>

2007年6月18日 サッカーアジアカップ日本代表予備登録メンバーが発表される

http://yamaken38.cocolog-nifty.com/blog/2007/06/post_faa9.html

2007年6月5日  サッカー日本代表キリンカップ(海外4人組機能せず)

http://yamaken38.cocolog-nifty.com/blog/2007/06/post_9580.html

2007年6月1日  サッカー日本代表キリンカップ(消化不良では?)

http://yamaken38.cocolog-nifty.com/blog/2007/06/post_85f0.html

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2007年6月21日 (木)

・「夜は短し歩けよ乙女」森見登美彦

挫折。読みにくい。せっかく京都を舞台におもしろい話が展開しているのに、とにかく読みにくい。読みにくい本を読み通す体力はもうない。第一章すら完読できず。

作者は京都大学の院卒。背伸びして難解な文章を読むこともない。身の丈にあった小説を楽むことにしよう。

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2007年6月20日 (水)

・「ダナエ」藤原伊織

先月17日、食道癌で59歳でなくなった藤原伊織。「ダナエ」は結果的に遺作となった。たまたま、5月の上旬に図書館にリクエストをかけ、到着を待っている間の訃報であった。1995年に直木賞をとった「テロリストのパラソル」が唯一今までに読んだ本である。

※「ダナエ」は3つの小説から構成されている。

1.「ダナエ」

銀座の画廊で主人公である新進画家の個展が開かれた。代表作の肖像画(財界の大物である義父の唯一の肖像画)が何者かによって切り裂かれ、硫酸を浴びせられた。エルミタージュ美術館でレンブラントのダナエの絵が損なわれた事件とギリシャ神話をベースにこの小説は構成されているようだ。妻と妻の前夫との間の娘、そして自分と自分の前妻との間の娘。画廊の受付の女性が主人公にからまって行く。

2.「まぼろしの虹」

現役サッカー選手の姉と元サッカー選手の弟。姉のサッカーの試合後、姉と弟が飲むところから話が展開していく。姉は母の連れ子、弟は父の連れ子。その母が浮気をして離婚の話が進む。母の相手には愛人がいる。その愛人とその息子と弟が食事をすることに。

3.「水母(くらげ)」

広告業界でかつては名声を極めたが今は色あせている主人公。その元妻。その元妻の現在の恋人で話が展開していく。妻に仕事上のチャンスがやってくるが、そのために妻の過去の秘密が表面化する。

※感想

各々はとてもおもしろい話なのだが、なぜ「謎解き」を絡ませるのであろうか。推理小説でもなさそうだし、なにか「謎は解けましたか」と聞かれているようで少々不愉快。

「謎解き」がない方がすっきりとしたちょっといい話でおさまる気がする。

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2007年6月11日 (月)

・「見えない誰かと」瀬尾まいこ

瀬尾まいこ。正教員になりたいと毎年教員採用試験を受け9回連続落ち続けた後、ようやく合格。有名作家になった今も中学の国語先生をやっているらしい。2001年「卵の緒」で坊ちゃん文学賞大賞、2005年「幸福な食卓」で吉川英治文学新人賞を受賞。

「見えない誰かと」は瀬尾まいこ初のエセー集。30数点のエセーは基本的に瀬尾まいこの周辺の見える「人」がテーマになっている。この人は、人見知りが激しかったとか、人付合いが悪いとか言っているが、要は「人」が好きなのだ。

日々平凡に思える生活でも、「人」を温かい気持ちでみることができれば、誰でも周りにこのエセーに出てくるような素敵な「人」々がいるのだということに気づかせてくれる。

「アンコール卒業式」の根っから生徒が好きな校長先生。

「犬猿の仲」の几帳面で口うるさい教頭先生。

「保護者」の親子行事を心から楽しむ宮津の保護者たち。

「ガブリエル松」の感謝の気持ち素直に表現した車中の高校生。

「教科書を捨て、校外へ出よ」の教育の本質を提言した農業高校の生徒。

「ミーハーおばあちゃん」のヨン様に夢中になったおばあちゃん。

「進化する母親」の瀬尾まいこの母。

素敵な人々と素敵な関係をひと時楽しむことができた。

私の周りにいる素敵な人々を探してみよう!

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2007年5月20日 (日)

・「花神」司馬遼太郎

「日本人は40歳を超えると温泉と司馬遼太郎だ」の格言(?)を何かで聞いたことがあるが正に言い当てていると思う。司馬遼太郎の歴史小説は、小説なのか歴史書なのか区別がつかないし、主人公が途中で長いこと出てこないまま話が随分進行する特徴がある。司馬遼太郎ばかり読んでいると歴史観がゆがんでしまうかもしれない。しかしながら、さすがに面白い。

主人公の大村益次郎は、幕末に長州の村医者の息子として生まれ、医学の勉強のため大阪の緒方洪庵の適塾で学ぶ。宇和島藩、幕府、そして長州と仕えるうちに、農民の身分の村医者が、倒幕の軍事の指揮官となり天才的な才能を発揮、その後明治政府でも活躍し日本近代兵制の創始者と言われたが、急激な出世への反感か暗殺されてしまう。

NHKの大河ドラマで「花神」が放映されたのは、私が20歳台の前半。全くおもしろくなく途中で見なくなってしまった。その影響か司馬作品の中でも読むのが後回しになっていたのだが、今回初めて読んでみるととても面白かった。年をとったためであろうか。

司馬小説が、どこまで小説で、どこまでが歴史書なのかによるが、印象的だったのは次の2点。

1.

天下の形勢を急転回させるには、方向性を与える大政略と実際に動かす筋書きが必要であった。その戦略構想の基礎は土佐藩の中岡慎太郎が立案し、坂本竜馬が展望を加え、公家の岩倉具視が書上げた。その筋書きにのって動いたのが、薩摩の大久保利通と西郷隆盛、長州の桂小五郎。幕府側からサポートしたのが勝海舟。仕上げの花咲爺を演じたのが「花神」こと大村益次郎だと司馬は維新の主要人物を評価している。

薩長連合軍は軍事的には圧倒的に劣勢で、勝利は奇跡的であったとか。その奇跡実現の台本を書き、実現させたのが益次郎ということ。

2.

黒船は日本史に大きなインパクトを与えたのだが、その黒船をつくろうと言い出し実際に作らせた殿様が3人もいたこと。

日本の恐怖の本質は黒船ではなく、アヘンで侵略された清の二の舞になること。それを避けようとしたこと。

危機意識の高さと対応力。300年鎖国をしていた国と思えない。今の日本人はその気質を受けついでいるのだろうか。

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2007年5月16日 (水)

・「夢を与える」綿矢りさ

フランス人の恋人からの別れ話をうまく切り抜け、その恋人と結婚することに成功した主人公の母。やがて二人にかわいい女の子が生まれる。主人公夕子。

夕子は幼いころからモデルとして活動、やがてチーズ会社のCMに採用される。主人公の成長記録としての半永久的続く契約のCMだ。高校生になった時に夕子は大ブレーク。それが転機として売れっ子芸能人となるが、やがて破綻。

うまく書かれているし、それなりに話も展開していくのだが、ガチガチに力が入っていて読んでいて息苦しかった。楽しくなかったのだ。「インストール」の時のような自然さやわくわく感がない。

桐野夏生に似ている。「OUT」を読んだ時の衝撃は大きかった。作者もプレッシャーがあったのではないだろうか。後の作品は、具体的にあったインパクトのあった事件を題材にした小説が続き、話としては読ませるのだけど、作者が肩に力が入りすぎて、読んでいる方が疲れてしまう感じがあった。この「夢を与える」もまさに「OUT」後の桐野作品のようだった。

桐野が「魂萌え!」まで時間がかかったように、生き生きした綿矢作品までは少し時間がかかるかもしれない。

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2007年5月 3日 (木)

・「しゃべれどもしゃべれども」佐藤多佳子

「一瞬の風になれ」で第28回吉川英治文学新人賞、第4回本屋大賞をとった佐藤多佳子の昔の作品。驚くべきは「しゃべれどもしゃべれども」も第19回(1998年)の吉川英治新人賞の候補作品だったこと。なぜか9年たっても同じ新人賞。そしてさらに驚くべきは同回の候補作品に桐野夏生の「OUT」も上がっていたことだ。ちなみに受賞は花村萬月の「皆月」。

「じゃべれどもしゃべれども」は97年度「本の雑誌」ベスト10 1位。佐藤多佳子ブレイクで10年も前の作品にスポットが。国分太一主演で映画になる。

さて、「じゃべれどもしゃべれども」。

若手二つ目落語家の今昔亭三つ葉は、話し方教室を開くことになった。生徒は4人。ハンサムだが吃音のため対人恐怖症のテニスコーチ、口下手で無愛想な美人OL,関西弁と阪神タイガーズファンのため転校した東京の学校になじめない小学生、毒舌なのにあがり症のプロ野球解説者。しゃべることがうまくいかない4人。

うまく対人関係を構築できない現代社会。どこにもいそうな4人である。

単にしゃべることだけではなく、それぞれ生きる悩みを抱えながらも、何とか現状打破に苦しむ4人。先生役になった三つ葉も落語家として壁にぶつかっている。

「教えることは学ぶこと」で三つ葉も生徒ともに戦い、一皮向けようとしていく。

少々コミカルに、少々胸キュンで話は展開していく。

しゃべれない4人なのに、「しゃべれどもしゃべれども」は意味有りのタイトルだ。

「しゃべれどもしゃべれども」も思いは伝わらない。

「しゃべれどもしゃべれども」も語りつくせない。

重要なのはしゃべることではなく、自信を持って相手に伝える強い気持ちということなのであろう。

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2007年4月23日 (月)

「ひとり日和」青山七恵

第136回(2006年下期)の芥川賞受賞作品。

二人で暮していた母が中国へいくことになり、遠縁のおばあさん吟子の家に居候することになった、主人公の知寿は二十歳の女性。大学に行って勉強する気にもなれず、かといって定職にもつかず、恋人を作ってもすぐに振られてしまう。

四季の移り変わりとともに、知寿や吟子、知寿の恋人や吟子のボーイフレンドとの生活が、実に淡々と描かれている。前に読んだ「窓の灯(あかり)」と同様読みやすいし、構成も良く出来ている。肩の力を抜いて風呂につかりながら読むのには最適。

でも、主人公以外の登場人物が老人なのでしかたがないのかもしれないが、あまりにも知寿が淡々としているので、今の若者はこんなに枯れているのかと思ってしまった。また、他人の小物を黙っていただくのはなんの比喩なのか、難しすぎて余計な話に思えた。

1年が過ぎ、アルバイト先の会社で正社員に勧め、社員寮に入れることになり、吟子との生活を終える。その社員寮が東武東上線のみずほ台駅にある。私は東上線沿線に住んでいるので、おもわずその本を会社の埼玉県人の人たちに宣伝をしてしまった。

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2007年4月 9日 (月)

「母に襁褓をあてるとき - 介護闘いの日々」舛添要一

作者は国際政治学者、参議院議員、テレビタレント。衆議院議員で小泉チルドレンの片山さつきは元妻。10年ほど前の本で、認知症の母の介護記録。「襁褓」はオムツ。「母にオムツをあてるとき」のタイトルに引かれて読んでみた。

私の母も認知症。私の故郷で、父と一緒に私の姉夫婦を同居していたが、父は3年前に死去。今は姉夫婦と3人暮らしだが、認知が進み、同居の限界にきている。年に数回、姉夫婦に時間をつくるため、休暇をとって私が帰省し、地元のホテルで母と過ごす。「母にオムツをあてるとき」はつらい。

この本。確かに介護の問題をいろいろ提起している。さらに施設を探す時のお風呂に本当に入れているかなど、参考になるポイントもたくさんあった。しかし。しかしながら舛添要一はやはり舛添要一だ。「自分が始めからみていたらこんなことにはならなかった」(当初から同居していた姉への攻撃)とか「女性の下の世話は男性がしてはいけない」とか。デリカシーにかけるではないか。そういう立場におかれている読者はいっぱいいるはずなのに。

舛添要一ははやり他人を攻撃することによって自分を守って生きている、思いやりのない人に思える。坊主にくければだけど襁褓」なんてむつかしい言葉をもちださずにどうして「オムツ」にしなかったのか。

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2007年3月31日 (土)

「人は「感情」から老化する」和田秀樹

サブタイトル  - 前頭葉の若さを保つ習慣術 -

人間の老化は、「知力」「体力」より、まず「感情」から始まる。感情のコントロールや切り替えができなくなったり、自発性や意欲が減退していく「感情の老化」が問題。記憶を司る「海馬」などよりも、人間的な感情を司る「前葉頭」から真っ先に縮み始める。「前頭葉を若く保つ習慣術」を見につけて、全ての老化の原因である「感情の老化」を抑えないといけない。

ニンテンドーDSをやっても行動にうつさないとだめで、「新しい経験」・「勝負事」・「恋愛」など刺激的な新しいことに挑戦していこうということ。

結局のところ、世間でよく言われる「何でも積極的に生きよう、その準備は40台から」と同じことになるが、それを「前頭葉」に絞り込んだところに、この本の妙な説得力があるところか。おすすめに従い風俗に挑戦するか。

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2007年3月11日 (日)

「窓の灯(あかり)」青山七恵

「ひとり日和」で第136回(2006年下期)の芥川賞を受賞した青山七恵が学生時代に書いて第42回文藝賞を取った作品。「ひとり日和」が図書館のリクエスト待ちになっているので先に読んだ。

大学をやめ、飲み屋のような常連客で成り立つ喫茶店に住み込みで働く私。窓の灯りはそれぞれの生活ということらしいけど、ストーリーは具体的なのにテーマが抽象的なこの種の小説は苦手だ。この本はこんな本だったといえないような本は。

話は穏やかで肩の力が抜けていいのだが。国語の試験問題のようで苦手。

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2007年3月10日 (土)

「戦場のニーナ」なかにし礼

太平洋戦争末期の昭和2088日。ソビエト軍が突然中立条約を破棄して満州へ侵攻。現地の日本人は大混乱に陥った。現地で命を落とした人、命からがら日本へ引き揚げた人、そして中国に残った人。残った多くは幼い子供。いわゆる中国残留孤児となる。今「華麗なる一族」で脚光を浴びている山崎豊子の「大地の子」で一面が描かれている。「大地の子」のような事実があったとしても、侵略者の子供たちを良く育てたものだと思う。

平成16年厚生労働省はロシアに住むニーナさんが日本人であると認定した。満州侵攻のおり、ロシア兵が戦場に取り残された赤子(ニーナさん)をロシアに連れ帰った。その後、紆余曲折がありながらも成人したニーナさんはロシア残留の日本人孤児ということになる。翌、平成17年には九州朝日放送が「私を探して~ロシアで育った日本人残留孤児」を制作、放送している。

旧満州、牡丹江市(ぼたんこう)生まれのなかにしにとって、中国人以外では初めて日本人残留孤児であると認定されたロシア在住の女性が満州で生まれロシア兵に助けられたと知ると小説家として書かざるをえなかったのだろう。

生まれ育った牡丹江から命からがら日本へ引き揚げるまでを母を通して描いた「赤い月」。引き揚げ後、阿久悠と並ぶ昭和後期の大作詞家の道を歩みながら、印税の差し押さえを受けるほど生活苦に追い詰めた兄との葛藤を描いた「兄弟」。奥さんの実家には弱いのか、奥さんが安らぎなのか、とっても暖かく奥さんの実家を描いた「てるてる坊主の照子さん」(NHK朝のドラマ「てるてる家族」の原作。上野樹里もでていた)

の3作ほどのインパクトはなかったが、ちょっとした運命のいたずらに左右される人の生涯を静かに印象的に訴えている。

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2007年2月27日 (火)

「一瞬の風になれ」 佐藤多佳子

兄は高校サッカー界の逸材。主人公の新二はサッカーに限界を感じたまま高校へ。そこで幼ななじみで気持ちが表にでないタイプの天才スプリンター連と体力測定で同走することに。それがきっかけで、二人ともとくに強豪でもない県立高校の陸上部に入部。陸上部をステージに展開する小さな恋もある青春ドラマ。100m・200mは個人種目。リレーは団体種目。個人の力量とチームの結束を高める課題がうまく展開されている。漫画を読んでいるような読みやすさがある。肩の力を抜くにはちょうどいい読み物。

136回(18年度下期)直木賞候補作品(結局該当なしで終わる)

ここ数年、高校生・大学生を主人公にした小説にはまっている。50歳を過ぎたころからか。

    恩田陸「夜のピクニック」

    村山由佳「天使の卵」、「天使の梯子」、「おいしいコーヒーのいれ方」

    瀬尾まいこ「図書館の神様」、「幸福な食卓」

    伊坂幸太郎「砂漠」

    島本理生「ナタラージュ」

彼らと同じ世代でいる気分になって読んでいる。そして想う。主人公たちはなんと大人の考え方をした学生なのだろうと。そのうち、少しおじさんに戻って、自らの青春の過ごし方を悔いるのである。そしてまた、学生時代に戻って悔いのない青春を生きているという空想の世界に入り込む。谷口若菜も俺のものだ。………。やれやれ。

でもくたびれた中年を主人公にした小説もやはり同じ中年の視線で読める。くたびれた中年の気持ちもはやりよくわかる。そうだ!大人にも子供にもなれるのだ。オジサンは素晴らしいではないか。

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