2009年10月31日 (土)

・大腸内視鏡検査初体験 (無事これ名馬なりにもガタが)

人間ドックで、3つの再検査要事項といくつかの経過観察事項が指摘された。

3つの要検査事項は、

1.軽い高血圧

2.PSA値が高い(前立腺がん疑義)

3.便潜血反応。

高血圧と前立腺はこのブログでも何度か記事を書いているもので、定期的に診てもらっているのだが、便潜血は初めての指摘だ。大腸内視鏡検査を勧められ昨日受診した。

大腸に便が残っていると、観察が充分に行われないので、胃腸に残ったものを全て体外に出し切らなければならない。

朝病院へ行くと、1500mlの下剤の入りの水が入ったボトルと紙コップが渡され、注意事項が始まる。

「1時間以内に飲みきって下さい。1時間たったら便意がなくてもトイレに行ってください。その後もできるだけ頻繁にトイレに行って出し切って下さい。下剤が下に速く降りるように立って飲んで下さい。できるだけ飛び跳ねたり、体を回転させたりして下さい。トイレに行った回数と内容を記録して下さい」

1時間もしないうちにトイレに駆け込むことになる。1時間でのみ切るのは悠々クリア。8回目ぐらいから、薬の色か、食べ物のカスかの判定がつくづらくなる。看護師がいつでも呼んでくれと言っているので、少々抵抗があったがコールした(看護師は年配の女性。配慮有り)。OKが降りない。

飲み始めから2時間経過。(飲み終えて1時間10分)。12回目のトイレで看護師を再コール。NG。「もう300ml飲みましょう。」

2時間30分経過。15回目のトイレで再々コール。OKがおりない。

「もう300ml飲みましょう。これ以上は飲めませんから。」。絶句。飲み会で最後の最後までもう一杯とすすめられている気分。

3時間経過。18回目のトイレで再々々コール。ようやく合格。

飲み始めてから4時間経過。検査開始。

他の患者さんは飲み終わって3時間たっているのでお腹も落ちついているようだが、私は直前まで飲んでいて、まだ現役のトイレ通学者だ。「えっ!。検査?」

看護師が「21回もトイレに行っているので固形物は残ってないから、漏らしても吸水するので安心して下さい。」

でも、そうは言ってもお漏らしはいやだ。

と思っているうちに検査開始。

異常なし。

良かった。お漏らししなくて。

「無事これ名馬なり」で、30数年の会社勤めで当日体調不良で休んだのは3回。50数年生きてきてインフルエンザにかかったことがない私にも、さすがにガタがきているようだ。

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2009年10月28日 (水)

・同窓会の準備

学生時代の友人と10年位前から毎年同窓会を開催している。私が幹事をやっている。メールやインターネット普及のおかげで、東京にいても故郷での同窓会開催の運営に大きな支障はない。

今年の初めに、1年下の後輩から電話を貰った。彼の学年は5年前に久々に集まり、以降5年ごとにやろう、と取り決めたとのこと。今年がその年。合同でやりませんかと。

その後輩のなかに<一生会うことはない>と思っていた女性がいる。「彼女と再会できるかな」の思いが脳裏を駆け巡りながら、「いいね。やろうよ。」と返事をしていた。

せっかくなので、1年上の先輩にも声をかけた。

1次会(ランチ同窓会)は、それぞれの学年で

2次会(ティータイム同窓会)は、3学年合同で

の開催がきまった。

会場確保や、幹事間の調整などやや面倒なことが起きるがこれが楽しいのだ。

後輩(幹事)から出席予定者の名簿が送られてきた。彼女の名前もあった。

あまり期待をかけないように抑えながらも、楽しみが膨らんできた。

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20071113日 「今年の同窓会

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2009327日 「26年ぶりの再会

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200924日 「【ブラジル】らっぱ屋公演をみる

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2009年10月 1日 (木)

・涼しかった9月

温暖化が進んでいる地球。でも今年の東京の9月は涼しかった。

最後の真夏日が9月1日で31.5度。

1961年に統計開始以来

1965年の8月25日

1968年の8月29日に次ぐ3番目の記録とか。

また、最後の熱帯夜は、8月30日の26度。

9月は熱帯夜が一度もなかった。こちらは13年ぶりとか。しかも最低気温の最高が6日の21.8度で余裕をもって熱帯夜を回避している。

こちらは、さらにありがたかった。しっかり眠ることができた。

街路樹の銀杏やけやきも心持ち色づきはじめた。心穏やかに秋を過ごしたい。

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2007917日 「秋も猛暑」

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2008911日 「秋の気配? その2

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2009年9月29日 (火)

・恩人の訃報

お世話になった方の訃報が届いた。

享年六十一。くも膜下出血による急死。

私が前にいた会社は、入社以来2度合併をしている。その方とは入社した会社の先輩(=後に上司)・後輩の関係だった。最初の合併は、実質も名目も対等合併だったが、融合は上手く進まず、合併して3年を経過した頃から、徐々に力関係が崩れてきた。相手の思惑通り人事が動き、主要ポストを押さえられ、決定権がなくなり、なすがままにされるようになってしまった。

勝負ありとなった時、次の合併が決まった。今度は、名目は対等だったが、実質は差があった。我々の方が弱かった。弱い上に、分裂状態だったため、始めから結果は見えていた。負けチームの負けチームだった我々(以下「負け負けチーム」)は、居場所を失った。

気がつくと「負け負けチーム」の幹部たちは、誰も残っていなかった。その方が唯一生き残っていた代表選手だった。特殊な技術の保有者や健康上の問題を抱える者など、そのような会社であっても残った方がいい人員と、飛び出した方がいい人員とを、丁寧に面接して、振り分けていただいた。

私が前の会社とそう遜色のない条件で、今の会社に移れたのも、その方の尽力の賜物である。その後もことあるたびに、相談(大半は愚痴)にのってもらった。

「いつまでもいい年をして甘えるなよ!」とその都度暖かく励まされた。

もう甘えることはできない。

さようなら。ありがとうございました。

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2009年9月23日 (水)

・土手道の彼岸花(曼珠沙華)

休日の午後、自宅裏を流れる川の土手道をi-Podを聴きながら瞑想・妄想しながら歩くのが私の「至福の時」である。その土手に彼岸花が赤く咲いている。市と地域住民の共同作業でようやく根付いたそうだ。

同じ土手にもうしばらくすると咲き誇るコスモスとは好対照なやや緊張感を漂わせる存在感のある花だ。春に葉が枯れた後は、秋が近づくまで地下で生息して、夏の終わりごろ突然、花茎が葉のない状態で高さ50cmまで伸び、秋の彼岸には赤い花を咲かす。彼岸花といわれる由縁だ。ただし、有毒植物で、モグラ、ねずみなど田を荒らす動物を寄せ付けないよう古来、土手やはぜ道に植えてきたそうだ。土葬時代には、同様の目的で墓のそばにも植えたようで、お彼岸の墓参りにも縁がありそうだ。もちろん人が食べても危険な食物ということになる。

そういった背景もあり、彼岸花は日本では、あまり縁起のいい花ではないとされてきたようだが、別名「曼珠沙華」(まんじゅしゃげ)と呼ばれ、仏教の世界では「天界に咲く花」という意味でおめでたい花とされている。

曼珠沙華」といえば、我々の世代は山口百恵の歌を思い出す。私のi-Podにも収録されている。作詞は阿木耀子。この歌では語源のサンスクリクト語に忠実に「マンジュシャカ」と表現している。

「お彼岸」といえば、墓参り。亡くなった父は墓参りを、盆と正月におこなっていた。年をとってからも。「お年寄りがお墓参りをしやすいよう、気候の穏やかな春と秋がお彼岸なのだから、暑い夏と寒い冬は避けたらどうか」と私が言うと、「そうだな」といいながら相変わらず盆と正月に墓参りしていた。

私はお墓が遠方であることもあり、帰省の折に立ち寄っているので、はやりお彼岸は外すことになる。今日は仏壇に線香で許していただくことにする。

<関連記事> お彼岸とは

2007924日「暑さ寒さも彼岸まで

http://yamaken38.cocolog-nifty.com/blog/2007/09/post_84f1.html

<関連記事> 土手道の散歩

2007122日「至福の時

http://yamaken38.cocolog-nifty.com/blog/2007/12/post_5c59.html

<関連記事> 墓参り

2009826日「夏休み その1 父の墓参りと宇治平等院http://yamaken38.cocolog-nifty.com/blog/2009/08/post-6979.html

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2009年9月22日 (火)

・シルバーウィークと高速道路の1000円大渋滞

シルバーウィークとかで、5連休の最中である。

19日(土)

20日(日)

21日(敬老の日)

22日(国民の休日)

23日(秋分の日)

1.シルバーウィーク

上記5連休が実現したのは、

2003年から敬老の日が、9月15日から9月の第3月曜に移行したこと。

198512月に成立した改正祝日法で、祝日と祝日にはさまれた日は「国民の休日」となったこと

③今年の秋分の日が23日であったこと。

④今年の第3月曜が21日であったこと。

が重なったことによる。54日をお休みにするための法案②が、初めて9月に適用された。

ちなみに、2007年から54日は「国民の休日」から「みどりの日」という祝日に昇格した。よってカレンダーに「国民の休日」が登場するのは2006年以来。

シルバーウィークは、ゴールデンウィークに対して秋の連休(91011月)をそのように呼んでいたらしいが、さすが2-3日の連休ではその呼び方定着しなかったようだ。それが5連休であることや、シルバーが当該期間の祝日の敬老の日のイメージにあうことなどから、旅行業界などのキャンペーンもあってすっかり定着した呼び方となった。

もっとも、9月が5連休になるためには、カレンダーの組合せがうまくいかないとダメなので、毎年と言うわけにはいかない。次は2015年が予定されている(秋分の日が23日に確定することが前提)とのこと。

2.高速道路は大渋滞

高速道路1000円政策のおかげで、ゴールデンウィーク、お盆に匹敵するもしくは上回る大渋滞が起きている。「同じ1000円なら遠くまで行こう」から「近くでも1000円は安い」ということで、連休中日でも大渋滞となっている。

政権をとった民主党は<ただ>を公約しているが、マスコミが行った緊急アンケートでは<ただ>反対のほうが多いとのこと。頑なに公約を守るより、柔軟な判断をしたほうがいいと思う。

3.私への影響

中日は高速を使ってゴルフへ行った。新浦安でピックアップしてもらって、東関東道を使ったが、往復とも全く渋滞なしだった。

ただし、新木場から乗ったJR京葉線はディズニーランド客で大混雑だった。開園前からすごい行列になっているのが電車から確認できた。

関越、東北道、東明、中央道などで朝から下りは渋滞だったようで、中日なら大丈夫だろうとゴルフを組んだ人たちが軒並み、時間通りに到着せず、ゴルフ場は大変だっただろう。

5連休はありがたい。天気にも恵まれて高速にかかわらず各地で多くの人出があったようだ。ゆとり教育で大人も鈍ってしまったようだ。

<関連記事> 祝日以外の休日

200856日 「5月6日(火)は振替休日 なのにhttp://yamaken38.cocolog-nifty.com/blog/2008/05/post_0e85.html

<関連記事> 高速道路1000

2009119日 「高速道路1000円のゴルフへの影響http://yamaken38.cocolog-nifty.com/blog/2009/01/post-c547.html

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2009年9月18日 (金)

・山手線に阪急電車が…(山手線命名100周年)

新宿駅で山手線に乗ろうと階段を駆け上がってびっくり。ホームに阪急電車が止まっているではないか。よく見ると、車体には「山手線命名100周年」と「meiji」の文字が。茶色の車体はチョコレートのイメージのようだ。

帰宅して調べてみると、命名100周年記念のラッピング電車で、9月7日から12月4日まで走行するとのこと。昭和30年代、山手線は茶色だったらしく、それを復刻したもの。1編成の運行だそうで、1時間ホームに立っていたらお目にかかれるということになるが、通勤時に偶然出くわすのは、なにか縁起のいいことに思える。今日は外回りだったけど、毎日外回りなのだろうか。

新宿駅のホームはラッピング電車を携帯に納めようとする人たちで、乗降者がスムースに動けない状況となっていたが、茶色の電車に気づき、少々和やかな表情になっていた。事故のないようにしたいものだ。

阪急電車はあずき色。よく似た色だ。

<関連記事> 妙に阪急電車にこだわって…

2008619日「「阪急電車」有川浩

http://yamaken38.cocolog-nifty.com/blog/2008/06/post_e278.html

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2009年9月15日 (火)

・ぼくも綴りたい鬼嫁日記

「会社でのストレスと家庭でのストレスのバランスがとれているから持っている。」

友人に冗談めかして話すことがあるが、冗談ではなく本音。

双方のストレスが日々バランスよく大きくなっている。いくらバランスが取れているとはいえ、これ以上大きくなると天秤のささえ棒が折れてしまう。

ぼくも鬼嫁日記を開設してすべてを吐き出したい。

勘弁してくれよ!

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2009年9月 4日 (金)

・夏休み その4 新宿「あづま」でのランチと雑司ヶ谷霊園

夏休み。前半は帰省して、父の墓参り、母の見舞い、友人とのゴルフで過ごして、腰痛を抱えて帰宅した。後半は自宅で過ごした。ゴルフのミニ合宿と称して練習に明け暮れる予定だったが、腰痛のためひたすら自宅での安静となった。

そして、最終日。幸い腰痛もほぼ癒えたので、外出した。

まず、新宿へ出て眼鏡の調整をしてもらった。随分長い間見てもらっていなかったので、かなり歪んでいたうえに、汚れていた。徐々に汚れていくので気がつかなかったようだ。見違えるようにきれいになった。

1.「あづま」でランチ

今回は、洋食屋「あづま」に挑戦。

新宿3丁目。寄席「末廣亭」の隣。上野の「鈴本演芸場」、浅草の「浅草演芸ホール」、池袋の「池袋演芸場」とともに都内にある4軒の落語定席のひとつだが、他の3つとは違って唯一の木造建築で風情がある。「鈴本演芸場」は何度か行ったことがあるが、ここは未経験。一度行ってみたいが、今日は腰痛もあり、パス。

お隣の「あづま」。こちらも雰囲気のある、いかにも洋食屋らしい店構えだ。昭和21年開業とか。

評判のオムライスを注文。おもしろいことに、海老フライ、ハンバーグ、カニクリームコロッケ、一口ステーキなどから1品無料で、トッピングできることだ。一口ハンバーグを選択した。

スープが出てくる。強烈に塩辛い。高血圧症の私にはちょっと腰が引ける。

オムライス登場。味が濃い。量が多くお腹一杯になるが、それが返って、味の濃さと油っぽさが浮き上がる。少々不満。

2.雑司ヶ谷霊園 

新宿から山手線で目白へ。ぎっくり腰も歩いている方が楽だ。目白駅から雑司ヶ谷霊園へ足を延ばす。有名人、それも文豪が多く眠っている霊園。お墓の観光は不謹慎かもしれないが、せっかく東京にいるのだから、寄って見た。管理事務所が目に付いた。地図があるとネットにのっていたので、立ち寄る。事務員は慣れている。「こんにちは」と声をかけられる。「こんにちは。地図はありますか。」。「有名人!」聞くというよりは断定してくる。やや気迫に押されながら「はい」と答える。

「これは豊島区が作成しているものなので、差し上げます」

永井荷風:1-1号7側3番

小泉八雲:1-1号8側35番

金田一京助:1-22号5側24番

荻野吟子:1-5号23側7番

夏目漱石:1-14号1側3番  など

区画がしっかりされていて、<側>まで表示板が出ている。最後の<番>はお墓ごとの振られ個々の表示はないので、順番に数えるしかない。が、すぐに慣れて目的のお墓には順調に到着していく。お墓の敷地や墓石の多くさまちまちだが、墓石のみが並んでいる普通(?)の墓地よりは少し個性がある。

大きな霊園なので、この中を通り抜けた方が近道なのだろう。お参りの人でも、私のような見学者でもない、ビジネスマンたちが足早に通り過ぎていく。

これで今年の夏休みは終わった。

とはいってももう1週間以上も前のことで、仕事にはとっくに復帰している。

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2009年9月 1日 (火)

・夏休み その3 友人とのゴルフ(チーピンが治る)

先々週の週末に2泊3日で帰省した。行事は昨年と同様、父の墓参り、認知症で施設入所している母の見舞い、友人とのゴルフ。

3日目は友人とのゴルフ。

年に1度、帰省の折学生時代の友人たちとゴルフをする。メンバー集めやコースのセットなどをやってくれる。私は帰省日程を連絡するだけでいい。ありがたいこと。

母親を施設に預けておいて、一方でゴルフをするのは後ろめたいところがあるが、母の入所は現実的な選択であり、格好をつけて後ろめたいなどと言わない方がいいとも思える。

さて、ゴルフ。

練習グリーンに向かう。ボールを転がす前にパットの素振りをしようと構えたところ、腰に電気が走った。やってしまった。せっかく帰省し、友人も集まってくれているのに棄権か、とあせったが、腰は重く痛みはあるものの、なんとか歩けるし、一応スイングもできそうだ。

友人たちには黙ったまま、ティーグランドへ。チョロ。第2打もチョロ。おっかなびっくり振っているので、しっかりボールにクラブが当たらない。第3打もチョロ。でもチョロのおかげでフェアウエーをキープしている。第4打。ゆっくり体全体で回転させば腰の負担も小さいだろうと思って、ゆったり振ると、これがナイスショット。グリーンにのった。

この半年、悩みに悩んだチーピンがでない。腰を痛めたおかげで治ったのだろうか。

なんとか無事ラウンドできた。チーピンは完治。が、しっかりボールが飛び出したおかげで、右方向へ真直ぐ飛んでのOBを連発。スコアはいつもと同じだった。チーピン対策がようやく功を奏したのか、腰をかばってのスイングが良かったのか。

その日の夜から、3日間。椅子から立ち上げるのも大儀なほどの痛みが続いた。4日目からようやく楽になってきた。その程度で回復するのは、ぎっくり腰ではなかったのだろうか。確かに人生は初の腰に電気が走る体験だったのだが。

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2009年8月29日 (土)

・財源問題に違和感(大きな政府をいつ選択したのだろうか)

いよいよ政権交代の総選挙だ。

各政党が主張する政策への財源問題がひとつの論点になっている。消費税UP、無駄な支出の削減、埋蔵金の活用など。いずれも収入をどうやって賄うかの議論になっている。

どうも違和感がある。無駄な支出を減らしたら、その分は国の膨大な借金返済にあててほしいと思う。

冨の再配分は、基礎控除と累進課税で機能していると思う。多額の税金を集めて、役人と政治家の思惑によって再配分するより、自然ではないだろうか。社会インフラ整備と真の弱者への福祉だけで充分だ。

大きな政府をとるのか小さな政府を選択するのか、それぞれ考え方があるのだが、そんな基本的な国の指針の議論がなされないまま、いつの間にか大きな政府を前提に財源問題に焦点があたっていることに違和感が拭えない。

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2009年8月27日 (木)

・夏休み その2 母の見舞い、三ツ輪、兵庫大仏

先週末に2泊3日で帰省した。行事は昨年と同様、父の墓参り、認知症で施設入所している母の見舞い、友人とのゴルフ。

二日目は母の見舞い。

1.母の見舞い

認知症のため施設に入所している母を見舞う。と言っても息子である私も認識できていないようで、見舞いの甲斐もないのだが。少しでも刺激になるよういろいろ声をかけるが、脳が収縮しているようで、頭を使う質問をするとイライラが始まるのでできない。「よく寝られる?」。「食欲は?」。「暑いね。元気?」程度が関の山。職員によると完食、熟睡だそうで、その面では手間がかからない入所者といえそうだ。9時の開門と同時に入ったのだが、10時になるとトイレタイムになる。職員総出で順番にトイレや寝たきりの人のオムツ交換が始まる。全員が終わるのに1時間はかかる。職員は体力も必要で一番大変な仕事である。かなり居た堪れない気分。

入所者も、職員も微妙に変わっている。あのおばあさんはどうしたのだろうと思う。

この日、母はやや穏やか。一日中車椅子を自ら手や足で動かして、館内を周回しているようなので、私が押して移動させる。帰るときに「帰るね」と声をかけると、「ありがとう」と答えた。入所後見舞いに行って初めて聞く言葉だ。

2.三ツ輪

3時間ほど施設にいて、三宮に出る。今回のランチのお目当ては三ツ輪。神戸在住の方のブログに紹介されていて、次回帰省の折にはと楽しみにしてきた店だ。時刻は1時を少しまわっている。1階はテーブル席があるが、全て埋まっている。2階はテーブル席だが、靴をぬいで上がるもの。ここにした。3階は座敷とのこと。

ちょうど入れ替わりなのか、私が入ると、何組かが帰っていく。替わりに男女4人ずつ計8名の高齢者の団体が入ってくる。なんだか楽しそう。夫婦固有のかまい合いのような気配がないので、4組の夫婦というのではなく、何かのサークルの仲間のようだ。

メニューを眺めながら、皆であれこれウンチクが始まる。楽しそうだ。店員も「ごゆっくりお選び下さい。」と笑顔で応対して一旦下がって行く。

次にまた、高齢者のカップルが入ってくる。私の横に座る。これは夫婦かな、と思ったが女性がやたらと丁寧な敬語を使っている。このぐらいの世代になると奥さんが表面上敬語を使う夫婦もあるが、どーも夫婦ではなさそうだ。高齢者の不倫?。不倫は敬語を使うか?

などと余計なことを考えているうちに、お目当ての牛鍋定食(500円UPの肉増量分)がやってきた。集中。上品な味だ。上品とはどんな味?

デジカメを持っていないので、紹介者(?)のブログをリンクさせていただく。

① yoriko  さん

② seiyo39 さん

3.兵庫大仏

食後は、兵庫大仏に挑戦。三ツ輪と同じ方のブログで初めてその存在を知った。いろいろ調べて、このブログで「兵庫大仏は日本三大大仏?」(200981日)を書いた。帰省の折立ち寄ってみたいと思ったが、案外早く実現した。

兵庫駅から南東に約10分とあるが、東西に走っているイメージのあるJRがこの周辺では、南西から北東に延びているので、感が狂う。地理的には真東。しかも途中の道には、看板すらない。

ようやく大仏のある能福寺に到着。正門が開かれ、正面に大仏様がどーんと構えていた。ここだ!。でも、人の気配なし。観光客も参拝者も、そしてお寺の人も。全くの無人。かなり不気味。せっかくなので中に入って真近で見てきました。りっぱな大仏様。

日本三大大仏を称するには少々静かすぎる境内だった。

こちらも紹介者のブログをリンクさせていただく。

seiyo39-2  さん

デジカメがほしい。

<関連記事> 昨年

2008814日 「夏休み その2 認知症の母の見舞い」

http://yamaken38.cocolog-nifty.com/blog/2008/08/post_e4f1.html

<関連記事> 兵庫大仏

200981日 「兵庫大仏は日本三大大仏?

http://yamaken38.cocolog-nifty.com/blog/2009/08/post-88d0.html

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2009年8月26日 (水)

・夏休み その1 父の墓参りと宇治平等院

先週末に2泊3日で帰省した。行事は昨年と同様、父の墓参り、認知症で施設入所している母の見舞い、友人とのゴルフ。

今年は、姉とのスケジュールが合わなかったので単独行動。朝、新幹線で東京をたつ。父の墓のあるお寺に立ち寄る。さすがにお盆と彼岸の間になるので誰もいない。住職の奥さんに塔婆を書いてもらって、墓参り。

住職の奥さんと、新型インフルや東京の地震の話など、世間話をした後早々に引き上げる。

単独行動なので、午後の時間が空いている。宇治の平等院へ足を延ばすことにした。父は階段から落ち、頭を打って亡くなったのだが、最後に会ったのが宇治にある父のすぐ上の兄のお墓参りに同行した時だった。その霊園に向かうタクシーの中で、平等院2kmといった道路標識を目にした。父に「平等院に行ったことがない」と言うと、父は「これから寄ろうか」と答えた。時間がないので、またと言うことにして実現できなかったものだ。

私が中学の時、美術の先生が、中学生向けの美術史の本を副読本として指定した。おそらく美術の筆記試験の問題を作りやすくするためだったと思う。試験問題はいつも美術史だった。その教材に出ていた平等院になぜか心を惹かれた。行ってみたいと思っていたが、京都の南にある平等院、東寺、東福寺はどうも観光やデートコースのエアポケットになるようで長らく機会がなかったのだ。

平等院鳳凰堂。実物は、イメージより小さかった。そして地味だった。もっと大きく、きらびやかだと思っていたが、少々違っていた。手前の池ももっと大きく、水を一杯たたえていると思っていたが、これも少々異なった。でも、その方が素朴で味があるように感じた。平等院は「古都京都の文化財」として世界遺産の指定を受けた寺院のひとつ。

想像とは異なっていたが、充分堪能できた。10円硬貨の平等院にようやくたどり着いた。

<関連記事>

2008813日 「夏休み その1 父の墓参り」

http://yamaken38.cocolog-nifty.com/blog/2008/08/post_3575.html

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2009年8月22日 (土)

・郵政民営化はどうなってしまったのか

4年前、小泉自民党総裁は国民に問いかけた。「今回の選挙は郵政民営化が是か非かの選挙です。」

選挙の結果は自民党の大勝。郵政民営化に国民の賛同を得た、となった。

郵政民営化の強烈な反対者は、同じ自民党にいた。一部は離党、大半は死んだ振り。

自民党が<是>。民主党が<非>。なら分かりやすかったのだが、国民は<非>が多くいる自民党に<是>のつもりで投票してしまった。

今回の選挙。いずれの結果になっても、民営化の推進はストップしてしまいそうだ。郵貯や簡保を通じて集めた莫大な資金が、国会の決議なしで、運営できる財政投融資に回り、お役人の使い放題、無駄使いになってしまった。これに対して国民は「NO」と意思表示したのに、どうなってしまったのだろうか。

そもそもひとつの政策を<是>か<非>か、と問うのは国民投票でやってほしい。総合的な政策で、内閣を運営する政党を選ぶべきなのに。

今回の選挙はましにはなっていると思うが。

民主党政権になったら、民営化のシンボルの西川社長にはお止めいただくと鳩山代表は宣言している。郵政民営化はどうなってしまったのか。多くの議席を与えて意思表示したのに。

4年前のことを国民は忘れたのだろうか。おめでたすぎないか。

マスコミは何をやっているのだろうか。

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2009年8月20日 (木)

・繁忙期の新幹線の指定券を確保する方法

母の従姉弟が亡くなった。86歳。母とは仲がよく、私の子供の頃には姉とともに母に連れられてしばしば遊びに寄せていただいた。母は今認知症で施設に入所しているので、私が名代で告別式に参列することにした。

場所は京都。日取りは16日(日)。連絡が来たのが14日(金)の夜。

おっつ。お盆の最終日。Uターンのピークではないか。日帰りすることにして、ネットで予約状況を確認した。行きの東京⇒京都は全く問題なさそうだ。自由席で充分だ。問題は帰り。普通席は夜遅くまで満席。グリーンもほぼ埋まっている。グリーン代は出せない。

15日、買い物もあり都心へ出た。みどりの窓口をのぞく。窓口は長い列だ。横に指定席券売機が3台並んでいる。1台しか使われていない。精進落ちにも声をかけてもらっているが、15時ごろにはお開きとのこと。16時以降でトライ。だめだ。昨夜と同じ結果。使われていた1台も空いた。心おきなくリトライ。あっつ。16時半過ぎに△マーク登場。早速キープ。乗車券は?と表示。「買います。買います。」と心の中で叫びながら操作。乗る駅? えっー京都。降りる駅?えー東京?。新宿?。どちらでもおなじか。さあ、完了。

えっつ!。指定券が取れませんでした、と表示される。一瞬のうちに取られてしまった。

買い物の帰り。再度トライ。また満席。もう一度。また満席。もう一度。あっつ。19時35分に△マーク。早速キープ。乗車券は?とまた聞いてくる。迷わず不要。完了。やった!。とれた。

むかし、正月の切符を確保できなかった時は、暮れが押しつまるのを待って、みどりの窓口を通過するたび、キャンセルがでてませんか、と聞いたものだが、便利なものができた。

でも一人なら指定席に飛び乗れば、結構乗車しなかった人の席が空いているので何とかなるものだ。切符がとれたおかげで京都にて4時間の暇ができた。ネットカフェへ入り、女子ゴルフ(NECの最終日)をテレビ観戦することができた。京都では一見さんはネットカフェでも身分証明書の提示を求められた。

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2009年8月 6日 (木)

・神宮外苑花火大会を見下ろす

神宮球場を見下ろす高層ビル事務所を構えている、取引先企業から会社の会議室で暑気払いをするので、参加しないかとのお誘いを受けた。売りは神宮外苑の花火を見下ろしながら酒が飲めると言うことだった。

毎年、お誘いを受けながら参加できなかったが、ひょっとしたら来年は私が今の会社にいないかもしれないとも思いもあり、お誘いを受けることにした。

海の上のものと違って、地上で打ち上げる花火も制約か、大きさは今一歩。それに花火の迫力を味わえる「どーん」という音がしないのも物足りない。

でも花火を見下ろしてみるというのは、ちょっと感動ものだった。おまけに冷房の効いた部屋で飲み食いしながらの鑑賞だったので、とてもいい気分。

このシーズン。あちらこちらのブログに花火が登場しているが、皆さん花火の写真が貼り付けられている。デジカメがほしい。

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2009年8月 2日 (日)

・夏は一保堂の熱い麦茶

朝、会社に着く。すでに出勤している社員はほんの数名。皆が来るまでの時間を使って自分用のお茶を入れる。夏は麦茶、その他のシーズンはほうじ茶。

朝一番は熱いお茶。以降は、1Lのペットボトルに移した冷ましたお茶を飲んでいたが、1Lの魔法瓶タイプのステンレスボトルを購入。これに移して熱いままのものを一日かけて飲むように変更した。

夏に熱い麦茶はいいものだ。

お茶は京都、一保堂のものを採用。

1.一保堂の麦茶の袋に書かれた麦茶の入れ方

 ①やかん(2L)にお湯を沸騰させ、大さじ6杯の麦茶を入れて、すぐに火を止めます。

 ②20-30分そのままにしてから、他の容器に注ぎきり、冷蔵庫で冷やします。

      麦茶のさっぱりした味を引き出すポイントは煮出さないことです。

2.私の手順

 ①会社の電気ポットを持って給湯室へいってお湯を注ぐ。(お湯は80度)

 ②電気ポットをコンセントにつなぐ。(総務コーナー)

 ③魔法瓶(1L)に麦茶大さじ4杯を入れる。(自席)

 ④電気ポットの100度になったお湯を魔法瓶の1/3まで入れ、ふたをする。(総務コーナー)

 ⑤パソコンの電源を入れ、メール未処理の対応を開始。(自席)

 ⑥10分後、100均で購入した大型茶こしで麦を受けながら、魔法瓶から湯のみへ一番しぼりを注ぐ。茶こしへ出た麦を魔法瓶へ戻す。(自席)

 ⑦再び、電気ポットのお湯を魔法瓶へ注ぐ。今度は1L満タンにする。(総務コーナー)

 ⑧一番だしの熱い麦茶を口にしながら、このブログを見る。

  更新はセキュリティの関係で出来ないようになっているが、見ることはできる。前日夜に更新した記事を少し客観的に眺める。誤字などに気づくことも。その後は仕事を開始。(自席)。

 ⑨⑦から約30分後。多くの社員が出勤してくる。ほうじ茶を入れるのは時間がかからないが麦茶は少々手間がかかる。魔法瓶から、ハリオのコーヒーサーバー(1L)へ茶こしで麦を受けながら、全部移す。1Lのサーバーはなかなか売っていない。(自席)

 ⑩魔法瓶に残った麦を長いスポーンで書き出す。面倒だが、魔法瓶に麦が残ると苦味がでるので、しっかり書き出す。(自席)

 ⑪サーバーから麦と取り出した魔法瓶へ、完成した麦茶を移して蓋をする。(自席)

 ⑫茶こしはサーバーの上に乗せて、机の下で夕刻まで保管する。麦が乾いて捨てやすい(自席)

 ⑬夕方。麦をビニール袋に入れて給湯室の茶殻捨てに置く。

<関連記事>

2007410日 「夏が来た! 麦茶だ!

http://yamaken38.cocolog-nifty.com/blog/2007/04/post_f034.html

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2009年8月 1日 (土)

・兵庫大仏は日本三大大仏? 

神戸在住のある方のブログをみていると、兵庫大仏が「鎌倉の大仏、奈良の大仏とならんで日本の3大大仏」として紹介されていた。

兵庫大仏? 知らんなー

しかも日本三大大仏?

そこで調べてみた。

1.三大大仏

  1.奈良東大寺の大仏 15m  752年

  2.鎌倉高徳院の大仏 11m 1233年(推定)

長らくこの二つの大仏に肩を並べる三つ目の大仏がなかった。日本だけではなく世界的にも、三大美人、三大夜景、三大発明等という言われ方をし、代表は三つ、が物事の定番であるようだ。

日本の大仏。三つ目のポストが空席のまま年月が流れた。

2.兵庫大仏

福原遷都をした平清盛のゆかりの能福寺(神戸市兵庫区)に、明治24年(1891年)に豪商南条荘兵衛の寄進によって建立。待ち望んだ第三の大仏。当時日本三大大仏に数えられたとのこと。が、昭和19年、金属回収令によって供出、取り壊された。

平成3年(1991年)。地域住民や企業の出資によって再建された。

ということで、私の生まれ育った頃にはなく、東京へ出てきてから再建されたのだから知らなくても当然。

3.空席のまま

兵庫大仏が取り壊わされてから、第三の座を巡って激しい運動が展開されてきたようだ。いくら再建したとはいえ、新参ものにその座を渡してなるものかということだろう。そのような状況下、

ウィキペディアによると、2007年5月4日の「タモリ倶楽部」で「三大大仏が今夜決定!?日本全国大仏総選挙」という番組があったそうだ。

ここで紹介された大仏は( )内は建立年

1.福井県:越前大仏(1987年)   17m

2.富山県:高岡大仏(1932年)   16m

3.愛知県:布袋大仏(1954年)   18m

4.北海道:札幌大仏(2003年)    7m

5.神奈川県:三浦大仏(1984年)  15m

6.千葉県:鎌ヶ谷大仏(1776年)   2m

7.滋賀県:長浜びわこ大仏(1994年)18m

8.千葉県:奈良の大仏(1804年)     2m 千葉に奈良?

9.岐阜県:岐阜大仏(1831年)   14m

10.東京都:上野大仏(1972年)    2m

11.新潟県:白馬大仏(1969年)   24m

12.兵庫県:兵庫大仏(1991年)   11m

13.兵庫県:但馬大仏(1993年)   16m

14.東京都:おおくら大仏(1994年)  8m

番組では紹介があったに留まり、大層なタイトルだったわりには、尻切れトンボ。高さでは断トツ(120m)の牛久大仏が候補にもあがっていないのはなぜなのだろう。

暇になったら大仏巡りでもしてみようか。まず兵庫大仏だ。

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2009年7月29日 (水)

・朝のお天気お姉さんのはしご

平日、起床は5:15ごろ。

トイレ、洗面(先ずは口をゆすぐだけ)をすませ、リビングへ。テレビをつける。

日本テレビのズームイン。お目当てはお天気担当の小熊美香アナウンサー。昨年4月入社のアナウンサー。24歳。昨年10月、入社半年で、ダウンタウンの松本人志と結婚するため降板した伊原凛の後を受けて登場した。

明るく健康的でうるさくなく、朝の顔としてぴったり。モットーは倒れる時は前のめり!」。とか。いいですね。かなりのお気に入り。

5:30になるとNHKへ。手堅くオーソドックスなニュースをチェック。5:42分頃登場するお天気担当は渕岡友美(ゆみ)。30歳。慶応大学総合政策学部卒の気象予報士という肩書きへの先入観か大人の落ち着いた印象を与えてくれる。かなりのお気に入り。

5:45になると、テレビ東京のニュースモーニングサテライトへ。ニューヨークダウや外為相場や世界の経済(企業)ニュースを確認。5:57分ごろ登場するお天気担当は井口玲音。28歳。若く見える。元気系。アナウンサーでも気象予報士でもなくタレントのようだ。かなりのお気に入り。

この番組ではお気に入りが幅広く、

①キャスターの滝井礼乃(あやの)27歳。

②SMBCフレンド証券のCM(BGMが今日の日はさようなら)に登場する女性(かなり熟女)たち。

もチェック。

6時になると新聞チェック。この番組らしく新聞チェックは日経のみ。タイトルも「日経朝特急」。日経の一面から4-5の記事と他のページから1-2の記事を紹介する。ここは滝井アナが担当。

これが終わると再びズームイン。この間、髭剃り、着替え、朝食、新聞を読むなど忙しい。

小熊アナは6時以降のお天気以外のコーナーにも顔を出すので、家を出るまでの20分弱はそのまま彼女の笑顔で、会社へ行く気力をおこさせてもらっている。

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2009年7月23日 (木)

・「牛すき鍋定食」

外食チェーン店に行って、「牛すき鍋」と注文した。店員が復唱する。「牛すき定食ですね」。

?。

おもわずメニューを見直した。「牛すき鍋定食」と書かれている。他にはなさそうなので「はい」と答えてしまった。あまり時間を置かずに別の店員が料理を持ってきた。「牛すき定食です。」

ようやく分かった。ここでは、丼と定食では作業工程(?)が異なるので、これを明確にすることにしているようだ。でも「牛すき鍋丼」というメニューはない。「牛すき」は「牛すき鍋定食」しかないのである。客の注文を自分たちのルールで勝手に換えて復唱するなんて失礼ではないか。

と少しだけ気分を害した。でも2度と行くものか、という程のことはない。

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2009年7月14日 (火)

・顔面神経麻痺2年経過

顔面神経麻痺発病から早いもので2年が経過した。周辺の人々も時々「そういえば、あれ!。すっかり良くなったね。」、と言ってくれるが、実はこの1年進展がない。回復9割の状態から進まない。微妙に顔の半分がつっぱったままだ。おそらく一生ものかもしれない。

7年前:前骨間神経麻痺(手術)

2年前:顔面 神経麻痺(注射と薬)

前骨間神経麻痺では左親指と人差指が曲がらなくなって、手術をした。4箇所神経が引っ付いていて、顕微鏡でその箇所を探し、剥がすものだった。症状に比べて大きな手術だった。顔面神経麻痺とも原因がはっきりしない。ウイルスが有力と言われた。

同じ神経麻痺。7年前のウイルスが体内に残っていて2年前に発病した可能性もある、との見立て。

今度はどこで暴れだすか、少々心配だが、くよくよしても仕方がない。普段のマッサージを忘れる位まで回復した、と思えばいい。

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2009年7月 8日 (水)

・雨、降ってきましたか?

外出中に急に雨が降ってきた。会社へ戻ってきてエレベーターを降りたところで、社内の若手に出会った。彼は私の傘を見て、「やまけんさん。雨、降ってきましたか?」

「そう。急にね。」

廊下を歩いて部屋の入り口まで来たときに、別の若手が廊下へ出てきた。同じく「やまけんさん。雨、降ってきましたか?」

「そう。急にね。」

「やだなー。これから出かけるんですよー。」

「すぐ止みそうだよ。」

彼らは別に私に雨の情報を求めているわけではない。ちょっとしたコミュニケーションを実践しているだけだ。二人続けて声をかけてもらったので、心温かい気分にさせてもらった。彼らも就職氷河時代の若者だ。まだ捨てたものでもない。

私も頑張って挨拶にひとこと添える努力を心して実践してみよう。

<関連記事> 就職氷河時代の若者

200976日「就職氷河期世代の凶悪事件の兆しは身近にも

http://yamaken38.cocolog-nifty.com/blog/2009/07/post-65d8.html

<関連記事> あいさつに一言を加える

200911日「2009年今年の目標 その2」

http://yamaken38.cocolog-nifty.com/blog/2009/01/2009-08e5.html

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2009年7月 7日 (火)

・七夕2009(星に願いを)

願い事

「心安らかに暮らせるように」

疲れているかなー。

<関連記事> 昨年の七夕

200877日「「今日は七夕」から1年http://yamaken38.cocolog-nifty.com/blog/2008/07/post_02d0.html

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2009年7月 6日 (月)

・就職氷河期世代の凶悪事件の兆しは身近にも

人とコミュニケーションがうまく取れない。仕事上の連絡はすべてメール。とはいえ文章がうまい訳ではないので、メールでも適切に意思が伝わらない。電話で補足することはしない。メールにメールで応対しているので、時間がかかるし、すれ違いも拡大していく。その結果仕事が上手くいかない。そして責任を追及される。

打たれ弱い。相手からクレームが来ると、とたんに平常心を失くし、いわゆる「キレる」状態になる。普段暗い顔をして、挨拶もかろうじて必要最低限の人にだけ、ぼそぼそとしか言えないのに、突然キレて、相手が悪いと大声でわめき散らす。社内に友だちはいないどころか雑談をする相手もいない。

最近の凶悪犯によくあるタイプの就職氷河期世代の人間が部下にいる。私の隣の席に座っている。

彼は、27歳。中途採用で入社して2年ちょっと。採用した部長も役員も面接の時は、しっかり話をしていた。と、言う。入社後しばらくは頑張っていたが、半年たった時点で同僚とやり合い、爆発した。以降、周期的に周辺の社員とぶつかり、たらいまわしにされて、この春から私のところへやってきた。社内のあちらこちらに、かつてぶつかった敵がいて、仕事の制約になっている。

思い通りにならない人生。生きづらい性格。

爆発は予兆があるので、そろそろ危ないと感じると別室に呼んで、話を聞くことにしている。

はじめは、「なんでもありません。」とか「私が悪いのです。」とか、言って壁を高くして話し合いには応じようとはしない。そのうち、「あいつがこんなことをした…」。「あいつがこんなメールを送ってきた。」など、聞くに堪えられない他人の悪口を興奮してしゃべり始める。論理的にしゃべる能力がないし、深く考えての言動ではないので、すぐにその悪口も終わってしまう。やがて、少し落ち着いたころに、私から励ましとも、軽い説教とも言える話をする。心底自分が悪くないと思っているので、ヒートアップを一時的に覚ます効果しかないのだが。

なんで、こんな仕事を私はやらされるのだろう。花形部門にはこんな変な社員はいない。よってこんなヤツと後ろ向きの面接で時間や気を使うことはない。底辺の現場には変な仕事が一杯だ。

でも、彼の気持ち。ひとつひとつはよくわかるのである。とはいえ、その不満への対応は紙一重。紙一重には、一重ではあるが重さと深さがある。皆、歯を食いしばって手前で踏み留まっている。爆発する彼を見て「簡単でいいなー。」と思ってしまう。

27歳。1983年の秋の生まれ。いわゆる「キレる17歳」世代で、その後就職氷河期に大学を卒業した。

「病んだ現代」と、「格差社会」の申し子のような世代でもある。

いづれの時代にも「貧乏くじ世代」というのが存在する。彼らの親の世代は、いわゆるベビーブーム世代で、厳しい受験競争にさらされ、就職後も当然競争は続き、いよいよ報酬の刈り取りの頃がやってきた時には、突然成果主義などと急にルール変更がおこる。バブル崩壊後の「失った時代」には、リストラの標的にされ、挙句に子供は凶悪犯、親は要介護で苦しんでいる世代である。

親の世代の方がキレてもいいと思うのだが、親のガマンが子供に乗り移って爆発しているのだろうか。

<「キレる17歳」世代の事件>

事件  事件名        当時の 生まれ

発生             年齢

1997年 神戸連続児童殺傷事件 14歳 1983

1998年 黒磯教師刺殺事件   13歳 1985

2000年 西鉄バスジャック事件 17歳 1983

2000年 豊川主婦刺殺事件   17歳 1983

2008年 土浦連続殺傷事件   24歳 1984

2008年 秋葉原無差別殺傷事件 25歳 1983

2009年 中央大学教授殺害事件 28歳 1981

生まれは、事件発生年から当時の年齢で逆算したもの。

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2009年7月 3日 (金)

・久々の串揚げ「立吉」新宿

関西から東京へ転勤で出てきた時に、いわゆる文化の違いを感じたひとつに「東京は焼き鳥屋が多く、串かつ屋が少ない。」ということがあった。

関西の串かつ屋は、阪神梅田駅の周辺に多くあったと記憶に残っている、屋台に毛の生えたような店や、立ち食いの店が多く、「ソースの2度付け禁止」が基本の大衆店が多かった。

東京では、「串かつ」を「串揚げ」と呼ぶようだ。一説には地域に関係なく大衆店が「串かつ」で、高級店が「串揚げ」と区別しているとも言われている。いずれにしろ東京では大衆店をあまり見かけないこともあり、「串かつ」という言葉を聞くことはあまりない。

私と同じ関西出身者の会社の同僚と、「久々に串かつが食べたいな」ということで、新宿「立吉」へ出かけた。ビルの4階にあるので、通りすがりで立ち寄る客はいない。18時30分過ぎに到着したのだが、もう2組待っている。店員が出てきて「喫煙席ならすぐご案内できます。」という。せっかくの高級店なのだから煙い中で食べることはない、と思い待つことにした。

約15分で呼ばれる。さてどんな店だろう。

高級店のお決まりで、何を揚げるかはお任せ。飲み物と苦手な食材を聞かれる。飲めない私だが、少しはアルコールをと言うことでグラスワインと、苦手な食材「蛎」を申告。からし、ソース、味のついたソース、醤油、塩、レモンが用意されたお皿がひとりずつ置かれ、スタートだ。話に夢中になりながらも、次々揚げられる串を口にする。うまい。

50歳も半ばなのに、刺身より揚げ物なのだ。

ストップをかける。数えてはいなかったので、何本いっただろうと思うと、19本ずつだった。1本170円で精算してくれる。相方は少し飲んだので、二人で1万といったところ。時間にして1時間半。回転のいい利益効率の高い料理店だ。20時に店の外へ出ると大勢の人が待っていた。

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2009年6月15日 (月)

・エコポイント家電買い替え

景気刺激、地球温暖化対策推進、地上デジタル放送対応テレビの普及策とし、エアコン・冷蔵庫・地デジ対応テレビを買うと、エコポイントがつく制度がスタートした。

制度の是非は別にして、そもそも我が家の家電自体がエコの象徴のようなものだ。

①冷蔵庫   25年6ヶ月

②電子レンジ 25年6ヶ月

③エアコン  25年

④テレビ   21年2ヶ月 使っている。

①②③は初代。④は2台目。それ以外もビデオ2台目、アイロン2台目。毎日使わないといけない掃除機と洗濯機は3台目だ。

長持ちの秘訣は使わないことに尽きる。冷蔵庫にはあまりものが入っていない。冷蔵庫を温存している。が、ちょっと小腹を思っても冷蔵庫には食べるものがないことになる。極論をいうと卵と牛乳とバターとお弁当用の冷食が少し。かなり生活の潤いには欠ける。

テレビは見ない。エアコンはつけない。

もちろん私の主義ではない。

さすがにそろそろ寿命で急に冷蔵庫が動かなくなると困る、ということでこの機会に買い換えることになった。テレビも赤のジャージが赤に映らなくなって半年たつので、そろそろ限界ということで、ビデオとともに買い換えることになった。

ちなみに、車は始めからない。

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2009年6月 9日 (火)

・古閑美保のビールのCM

テレビCM。

プロゴルファー古閑美保が、ラウンドを終えクラブハウスで仲間と楽しそうに一杯やっている。男性が、「車?」と尋ねながらビールをついでいる。古閑も「車。車。」と答えながら、グラスを差し出し、実においしそうにビールを飲み干している。

かなりどきっつ、とするシーンである。

CMは続く。

ナレーションが入る。「できました。世界初。アルコール。0.00%。ノンアルコールビールテイスト。……。」そういうことか。

キャディバッグを車に積んで、仲間と別れの挨拶をして、シートベルトを締めて一言。「ゴルフの後はこれです」。

「ノン・アルコールビール」とはアルコール分が1%未満のビールことを指してきたらしい。0.9%でもアルコールが入っていれば、りっぱなアルコールである。

これを「ノン・アルコールビール」と呼ぶのは不適切ということで、最近は「ビールテイスト」というようになったらしい。

麒麟麦酒が、世界初のアルコール分0.00%の「ビールテイスト」飲料として「キリンフリー」という商品(ビール)を発売して、いろいろなパターンのCMを打っている。冒頭はそのひとつ。古閑の個性を見事に引き出している。

昔、ノンアルコールビールは、飲めない営業マンの接待時のお助けビールと聞いたことがある。

「飲めないのに飲まないといけない」のと「飲みたいけど飲めない」は随分異なる。「飲みたいけど飲めない」、飲酒運転をしないようにというコンセプトのようだけど、そんなにしてまで飲みたいものだろうか。アルコールは酔うために飲むものではないのだろうか。ビールもどきで満足できるのだろうか。

でも、最大の問題は、本物かどうか紛らわしいことだ。運転をするのにアルコールを飲もうとする人がいれば、周りの人は止めないといけない。注意をすると、アルコールが入っていないビールと反論される。下手をするとけんかになる。次からは注意しづらくなる。本物のアルコールを飲んでいる人を止められなくなる。

このようなビールは大々的にCMを打つ商品ではないような気がする。コンセプトがはっきり伝わるいいCMだとは思うが、ちょっと困るCMだとも思う。

このCMのBGM。どこかで聞いたことがある。そうだ!やすきよ(横山やすし、西川きよし)が司会をして一世を風靡した「プロポーズ大作戦」の主題歌だ。なつかしい。

いいCMなのだが…。

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2009年5月22日 (金)

・幻冬舎の見城徹社長のテレビゲスト出演

何気なく見ていたテレビに幻冬舎の見城徹社長がゲスト出演していた。印象的な話しが2つあった。ビデオに撮っていたわけでもないし、メモをとったわけでもないので、少々発言内容が違うかもしれないが、意はくみ取ったつもりだ。

1.スケジュール帳

35年間使った手帳が山のようにテーブルに置かれた。

「やることを書き出してできれば消していく。」という。おお!私と一緒ではないか。

「嫌なことから書いていく。」あーあ。そこが事を成し遂げた人と、変凡な会社員のちがいなのか。

それに私は、やることを書き出して満足してしまうところがある。書き直すたびに同じ課題が残っていて、また同じ課題を書くことが多い。

分かっていてもやらないと、結果としてはやろうと思わなかったのと同じだ。

人生、残り時間は少なくなってきた。先延ばしばかりしていられない。

2.後何回花見ができるか

「僕は今58歳。70歳まで生きると決めている。とすると花見は後12回しかできない。お正月も12回。その12回をどのように使うか決めていく。目標をはっきり決めないとなにごともできない。」

私も大差ない年齢。東京に出てきて一度は上野公園の花見客を見たいと思って毎年、実現できずに終わってしまう。いい話を聞いたと思った。

かつて、「いくら元気でも70歳を超えると正しい判断や処理ができなくなる。」と父の友人に言われたことがある。70歳からの逆算。

人生の終焉までに、やりたいこと、やらないといけないことを書き出し、マスタースケジュールとして組んでみよう。

人生、残り時間は少なくなってきた。やりたいことはしっかりやっていかないと、出来ないまま終わってしまう。

<関連記事> 私の消しこみ

200911日「2009年今年の目標 その1

http://yamaken38.cocolog-nifty.com/blog/2009/01/2009-31ea.html

<関連記事> 私の消しこみ

200911日「2009年今年の目標 その2http://yamaken38.cocolog-nifty.com/blog/2009/01/2009-08e5.html

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2009年5月12日 (火)

・「IPod」に河島英五と遊佐未森を追加

IPod」に河島英五を11曲、遊佐未森を34曲追加した。これで私の「IPod」に収まっている曲は4918曲になった。

IPod」を購入した直後は、一人の歌手のアルバムからは、特にお気に入りの曲を厳選して収納していた。が、だんだん、聞き込んで曲を選ぶのが面倒になってきた。それに8000曲まで入れることができるので、無理をしなくてもいいと思えるようになってきた。

河島英五も厳選して3曲しか入っていなかった。「何かいいことないかな」、「酒と泪と男と女」、「時代おくれ」。ここへ今回11曲追加した。お目当ては「生きてりゃいいさ」。これは、先月、松本清張生誕100年記念でテレビドラマ化された「駅路」の主題歌として加藤登紀子がカバーしたものが流れたことがきっかけだ。加藤バージョンは「IPod」にすでに収納されていた。以来お気に入り曲になっていた。単純ではあるが、「駅路」の話とオーバーラップして心に響く曲に昇格してしまったのだ。

加藤の作詞、作曲とも思っていたが、調べたら河島英五とわかり今回収納した次第。加藤と河島の聞き比べの楽しみが増えた。

遊佐未森は初収納で、いきなり34曲。いままで一度も聞いたことがない歌手だった。最近、中年の私でさえ、当初のヒットをしらない曲のカバーに凝っていて、曲集めをしている時に、少々変わった名前に引っかかった。「IPod」収納後、初遊佐。すっかりはまってしまった。少し時代がかった曲にぴったりの味のある声。当面遊佐の日々になりそう。

でも、遊佐って誰?

<関連記事> 河島英五収納のきっかけ

2009429日「「駅路」松本清張

http://yamaken38.cocolog-nifty.com/blog/2009/04/post-720b.html

<関連記事>

2009222iTunes( アイチューンズ)」はおせっかいhttp://yamaken38.cocolog-nifty.com/blog/2009/02/itunes-7abd.html

、、

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2009年4月30日 (木)

・寒暖の差激しく

寒暖の差が激しい一ヶ月だった。月初は3月末からの長い寒の戻りで桜が長持ちする効果もあったが、その後初夏のような陽気の日が続いた。再び月末近くは最低気温が10度を割ることもあり、温度調整の難しい新年度のスタートだった。

最高気温の最高は、11日の26.1度。

     最低は、 2日の12.5度だが

     その次は25日の13.3度。

最低気温の最高は、22日の16.8度

     最低は、 2日の 5.4度

月末になって10度割れが、28日、29日と続いた。

一日の温度差では

11日の最高26.1、最低13.3、差12.8

が最も大きかった。

それも含めて一日で

10度以上の差があった日が   6日

 8度以上10度未満の差の日が14日

といかに朝晩と日中の差が大きく服装や体調管理が大変だったかよくわかる。

前日との温度差も、最高気温で

前日と差が最も大きかったのが

25日の13.3、26日の22.7、差9.4

これは上がった方だからまだいいとして

次の差は

16日の22.8、17日の15.4、差7.4

でこちらは気を抜くと風邪をひくところだった。

気象庁の「毎日の全国データ一覧表」から東京の温度を拾うと以下のとおり。

  最高 最低
1日 12.5 05.7
2日 14.8 05.4
3日 17.2 07.2
4日 18.1 09.4
5日 19.0 10.3
6日 19.2 10.5
7日 20.7 11.3
8日 20.4 12.0
9日 24.3 12.9
10日 23.2 14.6
11日 26.1 13.3
12日 20.6 12.1
13日 23.1 14.4
14日 23.0 15.1
15日 24.4 15.3
16日 22.8 14.7
17日 15.4 11.5
18日 18.9 11.7
19日 22.5 14.2
20日 20.2 13.3
21日 20.2 16.3
22日 24.3 16.8
23日 21.6 14.0
24日 16.4 10.2
25日 13.3 10.0
26日 22.7 11.8
27日 19.4 10.8
28日 17.6 09.1
29日 20.8 09.9
30日 23.0 12.1

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2009年4月15日 (水)

・次女の化粧

朝、次女が洗面所の鏡に向かって化粧をしている。二十歳をすぎているのに、小学生がいたずらで初めて化粧をするかのように、試行錯誤的に、しかもとてもうれしそうにやっている。

何か変な気分

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2009年4月10日 (金)

・今年の桜は長持ち

東京では、3月21日に桜が開花した。通常なら5日から7日で満開になり、同じ位の期間で散ってしまう。よって、せいぜい4月の頭に少しかかった頃には、桜は終わってしまっているはずだった。今日は4月10日、まだ桜は残っている。郊外の我が家の近所では、ようやく散り始めた頃で、この週末も桜を楽しめる。

原因のひとつは、3月下旬に寒の戻りが続いたこと。満開まで10日以上かかって4月2日だった。もうひとつの原因は、桜のシーズンに付き物の雨もなったことで、はかなく散らずに長持ちした。

桜が終わると、いよいよ大好きな新緑の季節に向かっていく。

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2009年3月27日 (金)

・26年ぶりの再会

認知症のため施設でお世話になっている母の見舞いのため、3ヶ月に1度帰省している。その度、大学時代の友人と合ったり、ゴルフをしたりの行事を付け加えており、何をするために帰っているのかという後ろめたさもある。

学生時代の仲間とは年1回同窓会を開いている。大学のそばの勝手知った店を長時間特別に借りて開いている。昨年11月の同窓会参加できなかった男性1名と女性1名(Aさん)から、次の同窓会までに、是非会いたいとの連絡を受けていたので、今回のタイミングで会うことにした。

Aさんと仲が良く長らく同窓会に顔を出していない女性(Bさん)がいる。独身のまま会社勤めを続けていて、同窓会で子供の話で盛り上がる場にいるのはつらい、とのことで同窓会から足が遠のいたままになっていた。年に数回メールの交換はしているし、同窓会の会話が、子供の話から親の介護の話と自身の病気自慢に変化していることは伝えていたが、いきなりは大勢の前にでるのははずかしいとかわいいことを言ってきていた。

ということで、今回はちょうどいい機会だと、Aさん経由で誘ってみた。OKの返事。26年ぶりに再会が実現した。彼女は元気一杯でパワフル。「恥ずかしがっている場合かよ」とつい突っ込んでしまった。

今年の秋の同窓会には是非とすすめたが、五分五分の様子。

ランチ2時間、喫茶2時間。あっという間のひとときだった。

翌日会社の女性(おそらく30歳ぐらい)に26年ぶりに女性の同級生にあった、という話をしたら、「26年ぶりにあって、どんな話をされるのですか」。「27年前の話!」と答えたが、近況の話などは1年ぶりに会った友人との会話と全く同じだ。

これが、同じ青春の空気を吸った仲間というものだろうか。

<関連記事> 一昨年の同窓会(昨年は記事にするタイミングを逸してしまった)

20071113日「今年の同窓会」

http://yamaken38.cocolog-nifty.com/blog/2007/11/post_89e3.html

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2009年3月26日 (木)

・40年ぶりの二重橋と皇居一周

昨日の休暇は特に予定もなかったので、都内をぶらぶらすることにした。「ランチは天ぷら」は昨日記載したとおり。

雨は午後からという予報だったので、朝のひと時を使って江戸城跡(皇居)を一周することにした。市民ランナーのメッカを歩いて確認しようというものだ。ほとんどの行程は細切れで歩いた経験があるが、通しは初めて。

地下鉄桜田門駅から地上へ。桜田門から皇居前広場へ入っていく。ランナーの目印、時計台を発見。いよいよスタート。と言っても歩き。二重橋(石橋)へ進む。目の前でじっくり見るのは、中学の修学旅行以来だ。40年の月日がたっている。平日の朝8時半だが、結構人がいる。観光バスが到着して団体客がやってくる。二重橋の前で楽しそうに記念写真を撮っている大半は、日本語をしゃべらない東アジアの人たちだ。太平洋戦争の日本のシンボルだった天皇の住居前で、賑やかな様子だ。平和な世の中になったのであろうか。北朝鮮が人工衛星(?)を近々打ち上げるという報道もあるが、ここではのどか。

内堀通りへ出て歩き始める。お目当ては歩道に埋め込まれた都道府県の花パネル。あった!。これだ!。北海道。花は「はまなす」。しばらく歩くと青森は「りんごの花」だ。これを確認しながら、励みにしながら歩く。

北海道では、旭川出身の友人小林を、青森では八戸出身の友人岡田を思い出す。元気か。パネルに2人でたって心の中で記念撮影だ。

竹橋で、大きく左へ曲がってコース最大の登りに入る。やがて左手に北桔橋門。ここから東御苑へ入ってひと休み。さすがに朝9時すぎの開門直後で天気も悪いと人影もまばら。北桔橋門から入るのは初めてだ。天守台を見上げると見事だ。休日には人であふれている天守台には誰もいない。占有だ。下をみると外人(西洋人)の女性が芝生でバレー(?)の練習をしている。ちょっと刺激的。

再びコースへ戻る。ここらからはしばらく車が真横を通る。やがて三宅坂の下り。下りきったところからお堀を眺めると見事な絵になる。天気がよければもっと感動的なのだが。

後ろからランナーの集団が抜いていく。ようやくそれらしい風景に出くわした。

やがて桜田門へ。ここで桜田門へ入ってしまうと、沖縄まで達しない。真直ぐ進む。宮崎県の「はまゆう」。そして祝田通交差点を左折して鹿児島県の「ミヤマキリシマ」。そして最後は沖縄「デイゴ」で締めだ。

まだ、10時30分。

<関連記事> 

2008129日「小春日和 銀杏の黄葉をもとめて(神宮外苑、明治通り他)

http://yamaken38.cocolog-nifty.com/blog/2008/12/post-7e47.html

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2009年3月25日 (水)

・今日のランチは天ぷら「みやび」人形町

今日は休暇をとった。家族はそれぞれ活動の日なので一人で都内をぶらぶら。先週のぽかぽか陽気とは打って変わって、小雨で薄寒い。

ランチは天ぷらにしようと、前日ネットで研究。人形町の「みやび」にした。

12時を過ぎると行列ができる、との記載がいくつのブログにあったが、何時からの営業かわからない。まあ、暇だし満員なら待てばいいと思ったが、到着したのが想定より少し早く11時15分。まだやっていない。11時半とめぼしをつけて周辺をひと回り。11時29分に再び店につくと、すでに開店していた。中へ入るとカウンター9席はすべて埋まっていた。皆コートを掛けたりしていたので、開店と同時に満席になってしまったようだ。

店の女性から「テーブルでよろしいでしょうか」と声がかかる。「はい。」。半分個室のようなテーブル席に案内される。3人座れるようで、お膳が3人分用意されていた。

内心、相席になるかな、と思ったら、2つのお膳が撤去される。

良心的だ。

すぐに女性の2人づれのお客さんが入ってくる。声だけ聞こえる。「あら、もう一杯!」。時間をおいて出直すとのこと。少々申し訳ない気分だ。

コースは1,260円

海老2、帆立、かぼちゃ、なす、こんにゃく、穴子、いんげん(?)、御飯、漬物、赤だし

テーブル席なので、揚げたものが一斉に盛られて出てくる。問題なし。ご飯が足りないかな、天ぷらだからこんなものでいいかな、と思いながら全てたいらげると、タイミングよく、かき揚げがのったミニ丼が登場。ゆずがさりげなく効いて美味しい。これで充分だ。ご飯のお代わりをしなくてよかった。午後も天ぷらの余韻がしっかり残る。

料理人の店主と女性2人で切り盛りしている。カウンターではなかったので店主とは接しなかったが、女性2人はとても感じのいい、さりげない接客で、楽しい気分にさせてくれた。

天ぷら好きの母にも食べさせたい。

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2009年3月18日 (水)

・母は認知症&糖尿病患者 その6 世界が小さくなっていく

長年糖尿病を患っていた上に認知症も併発した母は、今施設でお世話になっている。入所できてまもなく1年になる。私も3ヶ月に1度ではあるが帰省して母を見舞っている。

会いに行っても、母はなんとなく知った顔が目の前にいる程度の反応しかしなくなっている。頭が萎縮して多くの情報で判断をすることができなくなっているようだ。認知症がかなりひどくなってきた1年前でも、「いつ来たん?」とか「いつ東京へ帰るの?」とか聞いていた(最も何度も何度も聞かれてかなり閉口したが)のに、そのような会話ですらできなくなっている。

自分で歩くと転んでしまうので、いつしか車椅子に乗せられてしまっていた。車椅子を自分で動かし、施設内を徘徊している。会話といえば(車いすにのって)「次どっちにいくのか」。「前の人が邪魔だ」。としか言わない。施設にはいると急速に衰えると一般に言われているようだが、悲しいほどその通りになっている。

たくさんの施設をみた中では一番いい施設であるが、マンツーマンではないので限界がある。大勢の家族に守られて暮らすのがいいには決まっているが。そうもいかない。

私自身が子供の頃には、気づかなかったが、母は随分偏食が激しい。父と二人暮らしをしていた頃には、父は高血圧対応、母は糖尿病対応の弁当をとっていた。毎日配達され、安否確認も兼ねているものだった。その弁当に入っているおかずの半分以上(量ではなく食材の種類で)は残していた。

それが今は完食。すごい勢いで食べる。何を食べているかの意識もないような見事なものだ。

<関連記事>

2008113日「南田洋子もサッチャーも認知症」

http://yamaken38.cocolog-nifty.com/blog/2008/11/post-f08a.html

<関連記事>

20081021日「母は認知症&糖尿病患者 その5 つらいことは気がつかない 忘れてしまいたい」

http://yamaken38.cocolog-nifty.com/blog/2008/10/post-bd06.html

<関連記事>

2008814日「夏休み その2 認知症の母の見舞い」

http://yamaken38.cocolog-nifty.com/blog/2008/08/post_e4f1.html

<関連記事>

2008531日「母は認知症&糖尿病患者  老人健康施設へ入所できる」

http://yamaken38.cocolog-nifty.com/blog/2008/05/post_2664.html

<関連記事>

2008112日 「母は認知症&糖尿病患者 ③ ショートステイ断られる」

http://yamaken38.cocolog-nifty.com/blog/2008/01/post_3d35.html

<関連記事>

2008526日 「老老介護の悲惨

http://yamaken38.cocolog-nifty.com/blog/2008/05/post_d4b3.html

<関連記事>

200791日 「母は認知症&糖尿病患者 

http://yamaken38.cocolog-nifty.com/blog/2007/09/post_3ce4.html

<関連記事>

2007828日 「母は認知症&糖尿病患者」

http://yamaken38.cocolog-nifty.com/blog/2007/08/post_6b19.html

<関連記事>

200769日 「「介護士が希望を失う前に」コムソンに行政処分」

http://yamaken38.cocolog-nifty.com/blog/2007/06/post_d319.html

<関連記事>

200749日 「「母に襁褓をあてるとき - 介護闘いの日々」舛添要一」

http://yamaken38.cocolog-nifty.com/blog/2007/04/post_287b.html

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2009年3月16日 (月)

・春の実感(最高気温15度越え)

今年は2月の終わりから天気が悪く「なんとなく寒い日が多いな」と思っていたが、桜の開花予想は「例年より早い」と言っているぐらいだから、そうでもないようだ。ここ数年、暖冬が続くので寒さに慣れてしまったのかも知れない。

最高気温15度越えが春を実感できる分岐になっているようだ。

以下、3月の15度越えの日数。( )内は15日までの日数

2007年 14日(4日)

2008年 13日(4日)

2009年    (2日)

ということで、今年が特別寒いわけではない、ということになる。天気の悪さが気持ちを寒くさせ、そのように感じたのかもしれない。200708年とみてみると、はやり月後半になると春満開に向けて加速するようだ。

東京も明日は20℃近くまで上がるとのこと。オフィスをちょこっと抜け出し春を実感してみたい。

東京の気温。気象庁資料から

  1日(日)最高  9.0℃   最低  5.5℃

  2日(月)最高 10.6℃   最低  3.2℃

  3日(火)最高  6.0℃   最低  1.2℃

  4日(水)最高  9.2℃   最低  1.1℃

  5日(木)最高 11.9℃   最低  5.3℃

10日(火)最高 17.6℃   最低  6.6℃

11日(水)最高 11.6℃   最低  4.8℃

12日(木)最高 11.8℃   最低  4.1℃

13日(金)最高 13.6℃   最低  4.5℃

14日(土)最高 16.3℃   最低  6.4℃

15日(日)最高 13.9℃   最低  4.9℃

となった。

<関連記事> 昨年の記事

2008312日「春の息吹

http://yamaken38.cocolog-nifty.com/blog/2008/03/post_6355.html

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2009年3月12日 (木)

・人徳のなさ

同じことをしても

人から感謝される人もあれば

人からうらまれる人もいる。

さらに言えば

ひどいことをしていても感謝される人もいれば

一生懸命誠意を示していてもうらまれる人もいる。

経験的に、私は後者だと思う。

やや悲劇の主人公的に評価している面もあるが

基本的に人を引き付ける力が弱いのだ。

俗に言う人徳のなさである。

なぜだろう。

人の対する愛情のなさであろうか。

でも

そんなかけらもない奴の周りに人が集まる。

堅苦しいから?

ほめないから?

違う。

はやり人徳に欠けるからだ。

それでは、なぜだろうの答えになっていない。

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2009年3月10日 (火)

・「おつかれさま」は現代用語?

1.本来の使い方

部下:「お先に失礼します」

上司:「おつかれさま」

私のイメージする「おつかれさま」の使い方だ。

2.草彅剛の「おつかれさま」

テレビドラマ「僕と彼女と彼女の生きる道」で、仕事一筋で家庭に関心のなかった銀行員を草彅剛が演じた。彼の妻は、小学校低学年の娘を残して家を出てしまう。娘が問題を起こし学校に呼び出された草彅は、外訪と称して出かける。ようやく銀行に戻った彼を上司がにらむ。上司の視線に気づいた草彅は、上司に帰社の挨拶をする。

当然、「ただいま戻りました。」か「遅くなりました」と言うと思っていたら、なんと彼は「おつかれさまです」と言ったのである。

今から5年前のドラマである。

3.決裁会議での冒頭

今から3年前。入社して1年のういういしい女性社員。初の決裁会議に臨んだ。開口一番、彼女から発した言葉は「おつかれさまです」。私はひっくりかえった。

朝一番から「おつかれさま」!。帰りたくなった。

4.廊下で

廊下で社員がすれ違うとかるく会釈、といったところだが、声をかけるとなると関西出身の私は当然「まいど」。ここでも今は「おつかれさま」が主流。メールの冒頭も「おつかれさま」。

「おつかれさま」がすっかり日常会話の主役におさまったようだ。

なにか変だけど。

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2009年3月 6日 (金)

・マンションの管理組合(管理費の分担はいかに)

入居しているマンションの管理組合の役員を昨年6月からやっている。輪番で回ってくるもので任期は1年。まもなく引継ぎでお役御免となる。

この管理組合は、5階建ての低層12棟のマンションで構成されている。12棟ともエレベーターがない。高齢化のことを考えると大きな問題を抱えているが、なんといっても管理費が安くすむ。

地域はマンション群が連なっており、隣の管理組合の構成マンションに25階建ての高層がそびえ建っている。ここも老朽化が進み、エレベーターの保守や部品の交換が費用もかさみ大変なようだ。各地で事故も起こっていることもあり、取替えも検討課題に挙がっているとのこと。

驚くべきことに、そのマンションに住む1階の住民がそもそもエレベーターはいらないと言い出したそうだ。廃止までは無理だとしてもせめて受益者負担で行こう、と提案しているらしい。全てのエレベーターに関する費用は住居階数で按分しようというものだ。1階の住民は1倍、2階の住民は2倍、3回の住民は3倍、そして25階の人は25倍。この倍率で按分しろ、と強行に主張しているらしい。

老朽化マンションは住民も高齢者であることが多い。仕事をリアタイアされて悠々自適の年金生活の方も多い。こういう人たちはマンションの管理組合にとって厄介な存在になる。攻める方は、時間を持て余して各種攻撃材料を集たり研究する時間はたっぷりある。片や守る方は現役で月一の理事会に参加するので精一杯、となると勝負にならない。

<関連記事> 役員の始まり

2008512日 「管理組合の役員」

http://yamaken38.cocolog-nifty.com/blog/2008/05/post_53e0.html

<関連記事> 役員の始まり

2008925日 「マンションの管理組合(木を切れ、切るな)」

http://yamaken38.cocolog-nifty.com/blog/2008/09/post-7622.html

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2009年3月 2日 (月)

・河川敷の「耕作禁止」看板のやる気のなさ

自宅裏に流れる川の土手道を、休日の午後「IPod」を聞きながら散歩するのが、私の至福の時である。その往復6km強(帰りは橋を渡って対岸を戻ってくる)の間に、「耕作禁止」と「ゴルフ禁止」の看板が立てられている。

「耕作禁止」看板の方が圧倒的に多い。荒れた河川敷の一角がきれいに整地されて菜園になっている。土も肥えた色合いになっている。中には小屋のような建物が立っていたり、そこまでいかなくても道具などを置く棚が設置されていたりする。堆肥にするのか枯葉を詰めた大きなビニール袋も置かれている。本格的である。

河川の地権者は誰なのだろう。河川には多くのゴルフ場があり、それもメンバーコースで会員権も販売されているが、これは地権者である国か地方公共団体から使用権を買っている業者が会員権を販売しているものなのであろうか。

話を戻して、不法耕作。勝手にやっているようだ。「耕作禁止」なんて看板を立てる暇があったら、注意するなり、強制執行して整地してしまえばいいと思う。どうも、一応対応は取っていますよ、と言う責任回避用の看板にしか見えない。

河川敷の不法練習ゴルファーと違って、危険なこともないし、お金を払って菜園としている人と不公平ということぐらいしか禁止する理由が思いつかない。とすれば看板は大げさだ。

<関連記事>

2008912日「河川敷練習ゴルファーは軽犯罪法違反?」

http://yamaken38.cocolog-nifty.com/blog/2008/09/post-e2d3.html

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2009年2月28日 (土)

・「おくりびと」で認識した職業:納棺師と湯灌師

今週発表された第81回アカデミー賞の外国語映画賞に滝田洋二郎監督、本木雅弘主演の「おくりびと」が選ばれた。世界的規模の不況で暗いニュースが続くなか、受賞の明るい話題にちょっとほっとした気分が日本中に流れた。

この「おくりびと」は納棺師を描いている。

納棺師

納棺師は、告別式に先立ち、遺族の見守るなか故人を棺に納める仕事で、遺体を清め、旅立ちの装束への着替え、化粧を施す。が、重要な仕事は、納棺は遺族と故人のお別れの場を執り行うことだ。告別式でもその場はあるが、時間が限られているため、実質的な最後の対面の場となる。

遺体といっても事故死や自殺もあり決して楽な仕事ではないが、死と直面した究極のサービス業としてやりがいのある仕事でもあるようだ。

湯灌師

映画とは直接関係はないが、父が事故で亡くなった時、葬儀会社から湯灌を勧められた。祖母や祖父の死の時、職業として意識はしていなかったが納棺が行われたことは記憶していたが、湯灌はやらなかったので、「どのような事をするのか」知らなかった。

納棺の前に、故人を湯につけ体を清めることで、生前の煩悩を洗い流すとともに、生まれ変わりのための産湯の意味合いもあるとのことであった。こちらもゆっくりとした時間がとられるので故人とのお別れの貴重なひと時だ。

父の葬儀を行った葬儀会社では、納棺師は葬儀会社の職員であったが、湯灌は別会社から派遣されてきた湯灌師が執り行った。昔の身分制度の名残で葬儀の仕事にも階級があったのだろうか。

納棺師、湯灌師とも、遺族にとって混乱の中に関わってくれる職業で、悲しみを思い出に変える大切なひとときを演出する仕事。

父の死の時には、当然のことながら遺族側からの立場で見ていたが、ひとつの職業として重要な役割を果していることを、映画が世界に紹介した形になった。

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2009年2月26日 (木)

・今年の目標 進捗確認(毎朝の階段登り)

欲張ってお正月に書いた「今年の目標」。

その中のひとつに、

06.体育館と日々のストレッチ

(1)毎週1回は体育館へ行こう。筋トレだけにして有酸素運動は散歩にまかせよう。

(2)平日はストレッチを週3はしっかりやろう。

(3)ビルの階段は歩いて上がる。少し上の階まで。記録に取ろう。

がある。

(1)は1回も行っていない。

(2)は気持ち程度。

が、現実的な目標として今年追加した

(3)は会社へ行く日は毎日実行している。目標を忘れて気がついたら席に座っていた一日と、腹痛で意識的に止めた一日以外は毎日駆け登っている。事務所は5階にあるのだが、まず1月は手始めに倍の10階まで上がることにした。軽めの目標と思っていたが、結構きつい。息が切れる。一息つかないと5階まで降りてこれない。

2月からは12階までとバーを上げた。すると不思議なもので10階は軽く通過できるようになった。が、12階までたどり着くと、さすがに苦しい。でも毎日行うと言うことは偉大で、月の初めには、12階が限界で、3月から14階までにするのはとても無理と思っていたが、なんとか挑戦できそうだ。

今月初め、会社のシニア仲間で高尾山に登った。上の娘が小学校低学年、下の娘が幼稚園の頃に登って以来だ。幼稚園の子供が登ったのだから、今いくら年をとっても軽いと思っていたが、それなりに歯ごたえはあった。でも、最後急な階段で息が上がらなかった。成果だ。うれしい。

我が事務所の入っているビルは61階建て。まだ2合目だ。

<関連記事> 今年の目標

200911日「2009年今年の目標 その1」

http://yamaken38.cocolog-nifty.com/blog/2009/01/2009-31ea.html

<関連記事> 今年の目標

200911日「2009年今年の目標 その2」ttp://yamaken38.cocolog-nifty.com/blog/2009/01/2009-08e5.html

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2009年2月22日 (日)

・「iTunes( アイチューンズ)」はおせっかい

パソコン上で動画や音楽を再生・管理するソフトをメディアプレーヤーと言うが、代表はアップル社の「iTunes」とマイクロソフトの「Windows Media Player」である。

どちらも私のパソコンには収納されているが、音楽再生はもっぱら「iTunes」。

iTunes」はパソコンの管理ソフトであるともに、「IPod」の管理ソフトも担っているためである。

iTunes」には、「再生回数」と「最後に再生した日」が表示される。どの曲を何回聴いたかが一覧でわかるし、またいつ聞いたのが最後かもわかるので便利。

「再生回数」順に並べることも可能なので、眺めていると自分のお気に入り状態と異なることに気づくことがある。この曲はちょっと聴きすぎ、とかこの曲はちょっと聴く回数が少ないからもっと聴こう、とかの行動が取れる。アーティスト別の再生回数があるとさらにいいのだが。

でも、おせっかい。

好きな曲を好きな気分で聴けばいいはずなのだが、まさに管理ソフトなのである。

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2009年2月13日 (金)

・ワールドカップ最終予選 もうひとつの戦い

我が家にはテレビが1台しかない。

サッカー。代表の試合はリーグ戦との関係で平日それも水曜日に開催されることが多い。仕事があるので、「見れるかなー」という不安にいつもかられるのだが、「もうひとつの戦い」に比べれば軽い問題だ。キックオフまでに家にたどりつかないので、会社の近所のネットカフェに駆け込むことが多い。上司に捕まらなければ問題なく観戦できる。

これが休日の試合となると、逆に厄介なことになる。

妻:「いつもの番組を見たいのだけど。今日は祝日だけど、水曜日だから平日だから、いつものペースを崩したくない。」と訳のわからないことを言う。

私:「今日は建国記念の日だ。それに合わせた国家的行事だ。オーストラリア戦を見ない奴は非国民だ!。」とさらに訳のわからないことで応戦せざるを得ない。

最後は拝み倒し。いつもの番組はこだわりのある番組ではなかったこともあり何とかチャンネルを譲ってもらったが、キックオフの頃には疲れ切ってしまった。妻は娘2人とで酒盛りを始める。やかましいこと。でも文句は言えない。

耐えて。騒音に惑わされず集中して。「もうひとつの戦い」も不毛なスコアレスドロー。

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2009年2月11日 (水)

・「ウサギのダンス」

朝日新聞の生活面に「ひととき」という読者による投稿欄がある。時事問題への投稿ページ「声」との違いは、「ひととき」は投稿者が女性限定であること、テーマが日常の生活での出来事や思い出であること、が特徴だ。「声」は読まないが、「ひととき」は毎日読んでいる。

身の回りのことが綴られているので、エセーを読んでいる気分になる。心のひだにぴたっとはまる話もあれば、全く心に訴えるものがない時もある。その落差も楽しみのひとつ。

いつのころの投稿であろうか。切り抜いて会社の机のなかに収まっている記事がある。日付をメモらなかったのでいつのものかはわからない。5年以上前のものだと思う。異動のたびに私と一緒に移動して黄ばんできたが、今も時々読み返す。タイトルは「ウサギのダンス」。

こういう記事を引用するにはどうしたらいいのだろうか。変に丸めて趣旨を変えてもいけないのでそのまま記載させていただいた。

***************************

「それっ! 1,2、はいっ跳んで!」

今夜も下の空き地でお母さんと弟がダンスの練習をしています。弟は今度の運動会の「ウサギのダンス」のスキップがうまくできないのです。 でも、私が見たところではだいぶ上手になってきたみたいです。耳の横にそろえた両手が街灯の影でウサギの耳みたいに見えました――。

 私が小学校3年生のときの日記です。当時1年生の弟は弱視でしたが、普通学級でがんばっていました。

 小学校最初の運動会なので、母も一生懸命だったのでしょう。でも、本番で弟のダンスを見ることはありませんでした。両親が見たのは、救護テントの中でひざを抱えて友だちのダンスを見ている弟の後ろ姿でした。

 先生は「ペアを組んだ子が休んだので見学させた」と説明されたそうです。母は「先生が組んでくだされば、踊れたのでは」という言葉をのみ込み、残りの競技をうつろな心で見たそうです。

 その弟も今では3児の父になりました。先日、小学6年生の長男の運動会がありました。

 「開会式でね、みんなの前で朝礼台の上で指揮したのよ。手がピッと伸びてたよ。」弾んだ声で母が電話してきました。

 受話器を置いた私は久しぶりに「ウサギのダンス」のメロディーをくちずさんでいました。              

松山市 園田美佐子 主婦・55歳

**********************************

一生懸命準備をしても、その準備が報われないというか、出番がないことは往々にして起きる。

・会議資料を作って想定問答を幅広く準備する。が、当日思いもかけない役員の気まぐれ発言で、議論は本筋とかけ離れていく。あまりに想定外の展開に質問に答えられない。

・傾向と対策を入念にやって臨んだ試験。先生は自身のマンネリ打開の目的でがらりと試験内容を変えてきた。

・会合。いろいろ想定会話を準備したが、キーパーソンの欠席でその話題は色あせる。

日々の生活とはそういうものだろうけど、ほんの少し思いやりを持つことで、他人の準備を生かすことができる面もある。難しいことではあるが。人生は短いようで長い。うまく行かなかったことにあまり落胆せずに生活しているとまたいいことに出くわすかもしれない。

※ 2年前の2月24日にこの「肩の力を抜いて」を立ち上げて約2年。これが500本目の記事である。

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2009年2月 4日 (水)

・【ブラジル】ラッパ屋公演をみる

新宿の紀伊國屋ホールで、1月17日から25日まで上演された「ラッパ屋」の第34回公演「ブラジル」を見に行った。

設定された舞台に家族や近所の人たちが次々と登場して、ちょっとした問題を起こし、それなりに解決していく。ちょっとした問題は、身の回りにいくらでもありそうな些細なものばかりだけど、これがかえって身につまされる。いつもの「ラッパ屋」ワールドが展開されていた。

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当日リーフレットより引用

「ブラジル」は千葉の海辺のペンションを舞台にした物語です。そこに様々な人々が集まってくる。全員、ある大学の、軽音楽サークルのOB&OG。ボサノバやってた連中です。ゆるいですね。ボサノバだから。でも皆、実はそれぞれややこしい問題を抱えている。そして晴れやかに始まった二泊三日の同窓旅行に、やがてポツリポツリと雨粒が落ち始め・・。

以下 略

***********************

今回の舞台設定は同窓会。「ラッパ屋」の公演自体が最近では1~2年ごとなので、見にいくと見慣れた出演者に久々に会ったなあ、という同窓会気分になる。「ラッパ屋」はそもそも早稲田大学で演劇をしていた仲間が、卒業後も仕事をしながら演劇をつづけようと「サラリーマン新劇喇叭屋」として旗揚げされたものだ。当時とはメンバーがかなり変わってしまったが、ベースは「青春時代を同じ夢を持って過ごした仲間」の雰囲気がそのまま引き継がれ、まさに「ブラジル」の仲間と等身大のうらやましい集団になっている。

1984年(昭和59年)11月。第1回の公演「ジャズと拳銃」を高田馬場に当時あった小さな劇場(芝居小屋といっていい)でみた。友人が劇団関係者にいた縁で見にいったのだ。未知の世界へ足を踏み入れた気分だった。始めから終わりまで腹を抱えて笑った。劇団員も見ているほうもパワーがあった。今も元気なのだが、成熟したのだろう。今回も舞台にたった、福本伸一、おかやまはじめ、熊川隆一とはじめて出合った。

その後、その友人は劇団から離れたのでそれっきりになっていたが、ある日NHKの30分もののドキュメンタリ番組「人生を棒に振るというけれど」(不確か)でラッパ屋も紹介された。「まだ、やってるー。」以来、1991年の12回公演の「愛のスッタモンダの世界」からはほぼ見にいっている。彼らが人生を棒に振ったかどうかはわからないが、これからも1~2年毎に彼らの老け具合を確認しに見にいって、私自身の老いを見つめることになるのだろう、と思う。

「ブラジル」。

幹事の2人の会話。「ほかに楽しみがないから幹事をやっている。」(不確か)。そんなキーワードが頭から飛び出す。

私が各種幹事をやっているのは、「さみしいから」?。「満たされないから」?。

今回はいつも以上に心の振幅が大きかった。

<関連記事> 前回公演

2007330日「【妻の家族】ラッパ屋 をみるhttp://yamaken38.cocolog-nifty.com/blog/2007/03/post_8324.html

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2009年1月17日 (土)

・14回目の1月17日

阪神大震災から14回目の1月17日を迎えた。

私の実家は造成されたニュータウンに越した後だったので、ほとんど被害はなかったが、生まれ育った地域は大きな被害を受けた。あれから14年。父は亡くなり、母は認知症がひどくなり、施設でお世話になっている。時は確実に流れた。

私は当時すでに東京にいたので、テレビを通じての震災だった。はやり衝撃的だったのは長田の町が燃える映像だった。

阪神大震災が1995年(平成7年)。

空襲で神戸が火の海になったのが、震災のちょうど50年前の1945年(昭和20年)。

空襲で、この日と同じように長田の町が燃える様子を描いた妹尾河童の小説「少年H」は15歳の少年の目で戦争を描いている。出版は1996年。妹尾は震災で燃えた、自身が育った町をみて書くことを思いついたのかもしれない。

妹尾と同じ昭和5年生まれの野坂昭如。野坂の直木賞受賞作品が神戸の空襲をえがいたアニメにもなった「火垂るの墓」だ。野坂の実体験に基づいた強烈な小説だ。事実は多少異なるようだが。

今日マスコミでは、震災は小さく扱われただけではあったが、亡くなった身内をしっかり心の中に刻んで生きている人たちの、胸をうつ記事もあった。戦争と天災。自身ではどうすることもできない大きな波と、自身でなんとかしようとする小さいけれど強い人の意志と。こういう事態に遭遇したときに、生き方があらわになる。

<関連記事> 

2008117日「13回目の1月17日」

http://yamaken38.cocolog-nifty.com/blog/2008/01/post_364a.html

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2009年1月10日 (土)

・最後の山田太一 「ありふれた奇跡」始まる

脚本家の山田太一が手がける12年ぶりで人生最後となる連続ドラマ、といううたい文句で「ありふれた奇跡」が8日からスタートした。

私が連続ドラマを見ることまれであるが、山田太一と聞けば、それも最後なら我々の世代としては、どうしてもチャンネルを合わせてしまう。

駅のホームにたたずむ中年男の藤本誠(陣内孝則)。その場にたまたま居合わせた田崎翔太(加瀬亮)と中条加奈(仲間由紀恵)は藤本が自殺をしようとしていると感じ、突き飛ばして助ける。なぜそう感じたのか。

翔太と加奈はぎこちなくメールの交換を始める。そして事件と担当した警官(塩見三省)は藤本からの翔太・加奈への謝罪の場を設定する。

翔太は、左官で自身の親方である祖父と公務員の父の3人暮らし。加奈はりっぱな家に父と母と祖母との4人暮らし。

登場人物全員が「わけあり」な何かを持っていることを暗示して1回目は終わった。

藤本の心の傷だけが紹介された。出張中にマンションの階下から出火で、妻も娘も失っている。

翔太と加奈の会話は、「沿線地図」の広岡瞬と真行寺君枝の会話を思い出させた、まさに山田ワールドだ。

8日は飲み会があり、帰宅したのはちょうど放送が始まる22時。妻も娘たちもすでに部屋に引きこもり、テレビ(我が家や1台しかない)のあるリビングは私しかいない。ビデオのセットもされていない。人間の感情の機微を描く作品には興味がないようだ。

これは幸いなことで、ゆっくり山田太一と接することができる。

私にとって、山田太一作品は昭和48年(1973年)の「それぞれの秋」と昭和52年(1977年)の「岸辺のアルバム」だ。

<関連記事> 

2007112日「「岸辺のアルバム」山田太一<再読>

http://yamaken38.cocolog-nifty.com/blog/2007/11/post_3c97.html

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2009年1月 5日 (月)

・仕事始め

今年の正月休暇は31日から4日までの5日間。今年は出勤もスポーツ生観戦もなく自宅および自宅から半径3km内でのんびり過ごした。図書館から借りた10冊の本は3冊しか読めなかったほか、予定としてノートにあげたことも1/3しか消化できなかったが、天気もよく、ゆっくり散歩も楽しむことができた。まずまずの休暇であった。

今朝、起きてみると休みの間は治まっていた吐き気が復活。いよいよ仕事だなと実感が湧いてくる。電車もいつもの混雑だし、いつもの顔も見られる。

会社の最寄り駅について地上に出て歩道を歩く。半月前までは黄色で染まっていた銀杏もすっかり葉を落として冬のたたずまいだ。一陽来復の言葉どおり、もう地下では春の息吹が芽生えているのかもしれないが、後2ヶ月はこの寒々とした風景を楽しむことになる。

会社の入居しているビルに到着。今年の目標のなかに「ビルの階段は歩いて上がる。少し上の階まで。記録に取ろう。」をエントリーした。この目標の達成への最大の難関は嫌になって止めることではなく、目標を会社に着いた時に忘れてしまうことである。さすがに初日覚えていた。事務所は5階なのだが当面は10階まで駆け上ることにしてチャレンジ開始だ。マンションより1階の高さが大きいので、10階まで速いペースで上がると息が切れる。長い距離を歩く体力と階段を上がる体力は異なるようだ。

席に着くとまず手帳(日誌用)を開き、にんまりして1月5日の欄に「10階○」と書き込んだ。さあ、仕事の開始だ。

<関連記事> 今年の目標

200911日「2009年今年の目標

http://yamaken38.cocolog-nifty.com/blog/2009/01/2009-31ea.html

<関連記事> 手帳の役割分担

20081217日「手帳が物語る降格の事実」

http://yamaken38.cocolog-nifty.com/blog/2008/12/post-9844.html

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2009年1月 4日 (日)

・時事用語集を購入

会社のそばに大型書店がオープンした。夜も遅くまでやっているので会社帰りに立ち寄るには最適だ。本屋で本を眺めていると楽しい気分になる。本を読んだ気になって賢くなったと勘違いしていた子供の時のままだ。

昨年暮れ立ち寄った時に「日経 キーワード重要500」を購入した。編著:日経就職ナビ編集部 となっているので就職活動する学生用に編集されたものらしい。

購入しようと思ったのは、毎日新聞やニュース、あるいは仕事や日常会話で時事用語に接していても、その単語をひとつ取り出してどういう意味かと問われると(問われることはないけれど)答えられないことが結構ある。ということで基本に立ち戻って確認しよう購入に至ったわけである。(そんな大げさなものではないが)

あやふやだった時事用語

・「いざなぎ景気超え」の終焉 ⇒ 実感のない好景気だった。

・「BRICs」(ブリックス)   世界で高い成長率を維持する4カ国(ブラジル、ロシア、インド、中国)を指す。4カ国で世界総人口の45%、総面積は30%を占める。

・「モンスターペアレント」⇒ 教育現場に、無理な要求や理不尽なクレームなど、無理難題を持ち込む保護者をいう。そういえば私は「「理不尽な親」対策」の記事を書いている。「モンスターペアレント」というのを忘れてしまっていた。

・「フリー百科事典」⇒ インターネット上の百科事典。そうか、いつもお世話になっている「ウィキメディア(Wikipedia)」は改まるとそう表現するのだった。

<関連記事> 私の記事

20076月25日「「理不尽な親」対策」

http://yamaken38.cocolog-nifty.com/blog/2007/06/post_e4e1.html

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2009年1月 1日 (木)

・2009年今年の目標 その2

09.プラスワンストロ

(1)まず朝の挨拶から

これは継続。気合を入れないとすぐ安易な方向に流れる。

((おはよう。の後に「いい天気だね。」とか「昨夜は遅かったの。」とか「元気そうだね」とか一言加える。さらにその相手しか通用しないことを一言付け加える。ちょっとした潤滑油になる。

今はおしゃべりおじさんになってしまったが。元々は人付き合いが苦手。今もプラス一言はかなり心がけないと出ない。))

10.健康維持

(1)前立腺治療の方向感を

(2)高血圧を抑える

(3)顔面神経麻痺全快へマッサージ継続

(4)一日10000歩。+ ストレッチ。

これも継続。

(1)前立腺はガンではなさそうだが肥大は確実に悪化している。(2)高血圧は11個のりんごなど継続的な努力を。

(3)少し元へ戻ってしまった。

((長年使っていた手帳を行間の大きいものに替えた。健康診断の血液検査などの数値は理想的なものを維持しているが、部品系のガタがきている。そんな中枢の血圧がやや高いといわれたのはショックだ。60歳からの20年(or10年)健康に過ごしたい。体が動けなくなっては元も子もない。やっと自由になれるのに。50歳台でばててしまって話しにならない。))

11.新しいことに挑戦

(1)……

これも継続。

具体的なトライは?。仕事かな。マンションの植栽ボランティアに応募してみるか。

((昨年はブログ開設、万歩計購入、ゴルフレッスンを受ける、など新しいことに挑戦した。ささやかなことでも、なにか生活の刺激になるよう未知の世界に挑戦してみたい。今のところなんにも予定がないが常に新規挑戦を心がけて気持ちの若さを維持したい。一方同じことを続けることも大切だが。))

12.60代の準備(NEW!)

(1)何を準備したらいいのかの研究

体がぎりぎり自由が利く60代を心豊かに生きる準備を始めたい。生活の拠点をどこにおくか。家族との関係をどうするか。経済的基盤をどうするか。健康維持のために何をするか。ホームドクターをどうするか。何がしたいのか。他人とどう関わるか。どのようか団体(サークルなど)とかかわるか などテーマを上げ考えていこう。

<関連記事> 昨年の今年の目標

200811日「2008年今年の目標」

http://yamaken38.cocolog-nifty.com/blog/2008/01/post_7368.html

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・2009年今年の目標  その1

あけましておめでとうございます。

東京は昨年に続き穏やかなお正月。気温は低いが、風もなく晴天だ。昨年秋に「100年に1度の津波」といわれる世界規模の不況が突然あらわれたが、静かなお正月の朝を迎えている。

多くの方に「肩の力を抜いて」を訪ねていただきました。自分自身の記録と言いながらもアクセス件数は気になるところ。今年もごひいきに!

例年正月は帰省していたが、父が亡くなり、認知症の母は施設でお世話になっているので、帰省する必要がなくなり、昨年に引き続き東京で新年を迎えた。例年帰省のどさくさ等で「今年の目標」をまとめることができなかった。

昨年((肩の力を抜いて今年の目標を書いてみようと思う。いつもりっぱにまとめようとするから形にならないまま春になり夏が過ぎ1年が終わってしまうので。徒然なるままに…。思いついたものから綴ることにした。昨年の総括も込めて。))と書いた。

「言霊」。言葉に出して、文字に落とす事によっても目標が具体化する。人生もぼやぼやしていると後わずか。のんびりとしたペースでかまわないが無駄にはできない。

といっても、基本的には今年の目標は昨年と同じなのである。目標が達成しなかったという面もあるが、成果に上がったか否かにかかわらず、やること、やりたいことはそう劇的には変化はないからだ。

(( ))は昨年のコメント。

01.ブログ充実

(1)しっかり分析をして、考えて、いい記事を書こう

(2)反面、生活がブログに振り回されないように

(3)少し工夫を(画像も、図表もない味気ないブログなので)

これは、全く昨年と同じ目標だ。

((昨年2月24日にこのブログ<肩の力を抜いて>を開設した。かなりインパクトのある出来事になった。常に何か文章に書こうとするので、物事をしっかり見て自分の言葉にしなくてはいけない。今まで、いかにあいまいに見てきたか、しっかり考えていなかったか、が良くわかった。(中略)。また書くこと(調査や他の方のブログ検索を含む)にかなりの時間がとられ、その犠牲になったことも多々ある。あまりブログに振り回されないようにしよう。))

02.万歩計

(1)休日も10000歩確保(散歩を楽しもう)

これも昨年と同じ。休日で行事のない日が厳しい。

((毎日測定して意外に通勤などでかなりの歩数を歩いていることに気づいた。しかしながら万歩には少し足りない。毎日少し余分に歩くことを心がけるとクリアする。一日一万歩とは良くできた目標だ。休日はとたんに足りなくなる。打ちっぱなしはカウントアップしない。散歩をしっかりしないとクリアしない。土手道のi-Podを聞きながら散歩するのは至福の時なのだからがんばろう。))

03.仕事

(1)60歳までのプランをしっかりと立てつつ、足元もしっかり

昨年 この目標のコメントが((……))。だった。結果は散々。……、がいけなかった。

「花の咲かない寒い日は下へ下へ根を伸ばせ」でいくか。?。

04.ゴルフ=100切りプロジェクト

(1)年間平均スコア 103。

(2)2回に1回は100切り

昨年の目標は

達成!。よって、

(1)なんとしても100を切る

(2)練習方法に工夫を

100切りどころか90も切ってしまった。がその後100切りは1回だけ。だけど1昨年は110を切ったのが1回だけだったが、昨年の平均スコアは108。そこで新目標。年齢的にチャンスは限定的。時間がない。

05.読書

(1)骨のある本も読んでみよう。

未達成。昨年と同様の反省

((ブログの犠牲になった典型。昨年は読書量が減った。読んだ本の感想・感動、さらには話の内容まで忘れてしまうので、備忘録的にブログに書き込もうと思って始めたのがきっかけ。とすれば本末転倒になっている。いい本を探して読んでみよう。))

06.体育館と日々のストレッチ

(1)毎週1回は体育館へ行こう。筋トレだけにして有酸素運動は散歩にまかせよう。

(2)平日はストレッチを週3はしっかりやろう。

(3)ビルの階段は歩いて上がる。少し上の階まで。記録に取ろう。

昨年の目標は

未達成。少々重い目標だったので軽減。

(1)2週で3回は体育館へ行こう。筋トレだけにして有酸素運動は散歩にまかせよう。

(2)平日はストレッチを週3はしっかりやろう。

(1)の目標を<2週で3回>を<毎週1回に>。

(2)はもう1時間生活時間を前倒することで達成させよう。

(3)現実的な目標の追加。問題は朝この目標を覚えているか、だ。

((週末2週で3回、体育館のトレーニングルームで有酸素運動と軽い筋トレを10年ほど続けてきた。2年前父が亡くなってから途絶えがちになっている。毎週のように帰省していて習慣が途絶えた。その後落ち着いてもなかなか再開しても定着しない。筋肉がぶよぶよになってきた。少し締めないといけない。時間がとれないこともあるので、体育館でいつも45分はやってきた有酸素運動は、散歩に譲って軽い筋トレだけにして続けられるようにしよう。))

07.幹事

①今年もいろんな幹事をやろう

達成。これは仕事みたいなものだから。今年も新企画を。

08.母と娘

これは目標達成。で目標自体取り下げ

(1)母は施設でお世話になっている。当面は一安心。

(2)合格。次は就職だけど

(3)医学部へはいけなかったがひとまずは

(1)認知症の母が落ち着ける施設が見つかりますように

(2)上の娘が薬剤師の国家試験に受かりますように

(3)下の娘が大学受験をクリアできますように

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2008年12月27日 (土)

・喪中通知に接して

ようやく年賀状を書き終え投函することが出来た。年賀状だけの付き合いになった人も随分いる。年賀状という習慣がなければ、その人たちは記憶の向こうに消えてしまっていると感じる。年に1度元気かなと思うのもいいことだ。

今年も喪中通知が次々と届いた。年とともに枚数が増えていくのは仕方がないことかもしれないが、昨年は訃報にゼミの同級生が混じっていた。今年も気になる通知があった。

1.長男

前の会社で揉め事に巻き込まれ閑職に異動になった時、その部署で私に丁寧に仕事を教えていただいた方からの通知。長男。27歳。閑職でも誠意を持って仕事に取組んでいる人がいると感動したものだ。当時息子さんが勉強をしないとこぼしておられたが、どうしたのであろうか。11月のことなのでまだ落ち着いておられないだろうから、年が明けて自然とお会いできる機会がないか考えてみたい。

2.夫

学生時代の後輩からの通知。ご主人。クラブの構成上隔年で親しくなりやすかった。2年後輩からは今も何人から年賀状をもらう。彼女は元気系で、いつも年賀状に気の利いたコメントを書いてくれていたが、1昨年はコメントなし。昨年(正確には今年の正月)はコメントなしの返信だった。今思うとこの頃から悪かったのかもしれない。数年前のコメントではお子さん2人とも国立の医学部在学中とあったので、子育ては一段落しているようであるが。

3.離婚

前に会社で一緒に仕事をした女性。人づてに離婚をしたと聞いたのが数年前。彼女の年賀状はその後も姓が変わっていなかった。職場でもそのままの性で仕事をしてようだ。おかあさんの訃報通知。旧姓で届いた。

「年明けから戸籍上の姓で仕事を続けます。」とあった。このおかあさん一緒に仕事している時は結構有名人だった。娘の会社へ残業をさせるな、と抗議の電話をたびたびよこした。残業といっても1時間程度だったのだが。大きな存在だったおかあさんの死が対外的にも旧姓に戻すこと決意させたのであろうか。

皆それぞれの人生を生きている。

<関連記事> ゼミの同級生の訃報

2008116日「年賀状が来なかった その2」

http://yamaken38.cocolog-nifty.com/blog/2008/01/post_91b6.html

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2008年12月21日 (日)

・今日は冬至(一陽来復)

今日は冬至だ。1年で一番夜の時間が長い日で、地球が冷えたり温まったりするのには、時間がかかるので、寒さのピークは1から2ヶ月遅れてやってくる。ここまでは小学校でならったとおりだ。

ただし、日没の時間の早さはこの冬至より少し前にピークを迎える。

このことはゴルフをしていると実感できる。遅いスタートだと日没が気になるのは11月の下旬から12月上旬にかけてである。特に11月はまだまだゴルフにはベストシーズンだけに意外なところに落とし穴がある感じだ。

国立天文台のデータによると、東京では今年の日没時刻は

11月23日から   24日までが16:30

11月25日から   27日までが16:29

11月28日から12月12日までが16:28

12月14日から   16日までが16:29

12月17日から   18日までが16:30

となっている。

反対に日の出は、冬至の後遅いピークを迎える。

12月25日から27日までが6:49

12月28日から31日までが6:50

1月 1日から13日までが6:51

1月14日から17日までが6:50

1月18日から19日までが6:49

冬至と言えばかぼちゃとゆず湯だが、もうひとつ「一陽来復」の日でもある。

三省堂の大辞林によると

(1)冬が去り春がくること。新年がくること。

(2)悪いことが長く続いたあとで、ようやくよい方へ向かうこと

(3)陰暦十一月または冬至のこと

となっている。

そもそもは中国の占いの本「易経」に出てくる言葉。陽(いい運気)は多くなったり少なくなったりを繰り返すので、悪いことが続くと上記(2)のように考えたようだ。冬至を境に日が長くなっていくので、「一陽来復」も転じて冬至をさす言葉になったらしい。

努力には成果が出るまで時間がかかる。まだ外は寒いが地下では春の息吹が目覚めている。今の世界の経済状態はまだ底まで至っていないと思うが、私は底かもしれない。ふて腐れずに春の準備を怠らないようにしよう。

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2008年12月17日 (水)

・手帳が物語る降格の事実

新しい年の手帳を手にすると何となくうれしくなる。何の根拠もないが何かいいことがあるような気がする。年が押し詰まってきて来月の予定を書き込むのにそろそろ来年の手帳が必要になってくる頃だ。

手帳は長年2冊使っている。1冊は「日誌帳」で、もう1冊は「予定兼備忘メモ帳」である。

「日誌帳」は原則仕事以外のプライベートな行動記録で、飲み会や休日のイベント、万歩計が計測した歩数、会社を出た時刻などを淡々と記載している。心情は書かないので「日記」ではなく「日誌」と区別している。もう30冊を超えている。30年余りの私の年輪を記録しているのだが、繰ってみるのはせいぜい1・2年前までである。年々精緻な記載になっていく。ゴルフならコース、コンペ名、同伴競技者、往復の同乗者、そしてスコア。

飲み会なら、メンバー、会場、開催趣旨、費用など。読書は書名と作者を、読み始めの日と読み終わった日に記載している。

一方の「予定兼備忘メモ帳」。こちらはプライベートも仕事も込み込み。会社のパソコンにはスケジューラー機能を備えたグループウエアが入っていて、出ないといけない会議は自分で入力しなくても主催者からエントリーされる仕組みになっている。席にいる時はこれで充分なのだが、会議室や出先では確認できないので、手帳に書き写して、毎朝間違いがないか確認することにしてきた。

その仕事の予定が降格(責任者⇒管理者)以来すっかりなくなってしまった。定例のミーティングが、週1回あるだけで、それ以外の予定はほとんどない。私の上司になった責任者が、権限を集中するため、私には情報が入らないよう、管理者の私を飛び越す体制にしてしまったので、すっかり窓際族になってしまった。手帳はすっかりプライベートプラン帳になってしまった。

でも、仕事はある。皆がやりっぱなしにしていく仕事ひとつひとつ拾うことをやっているので、結構忙しい。せっかく私が積み上げてきたものが表面だけで体裁を整え、どんどん崩壊いくのが耐えられないからやっている。昨今のニュースを見ていると雇用されているだけでもありがたいという気になってくる。まさしく「窮すれば鈍する」である。

新しい手帳にあやかってなんとかこの状況を脱したい。

<関連記事>

2008108日「肝っ玉が小さい

http://yamaken38.cocolog-nifty.com/blog/2008/10/post-f0e4.html

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2008年12月11日 (木)

・健康診断 高血圧と体重減

昨年の健康診断で下の血圧が高いと指摘を受けた。その後、塩分控えめの食事と、塩分を体外に出すための食材として1日1個のりんごを食べることを実行してきた。劇的な効果はないけれど、上昇を抑えている程度との認識を持って今回の診断を受けた。

初測は91-121で昨年の94-134を気持ち下回る。「まあまあかな」と思っていると、数値を見た看護師が「もう一度測って下さい」という。下が90以上だったのでひっかかったようだ。次は89-150。この数値が書き込まれて、医者による問診へ。「血圧が高いですね。」と、いいながら医者が測定する。101-162。「再検査の通知が行くと思いますよ」と看護師。血圧は測るタイミングによって数値が大きく変動するので微妙だ。91-121がよってたかって101-162にさせられた気分だ。

医者:「少し運動をされたらいかがですか」

私 :「運動はたっぷりしているんですがね」

   (少々不機嫌)

医者:「…」

もうひとつ気になることがあった。体重が昨年の59.5kgから4キロも減ってしまったことだ。人によって嫌味に聞こえるかもしれないが、細い私にとって体重減は心配なことである。普段体重計にのることがないので、気がつかなかった。特にダイエットをしているわけではなく、特に重い運動を急に始めたわけでもない。どこか悪いところがあるのだろうか。筋力が急激に落ちたのだろうか。

<関連記事> 昨年の健康診断

20071110日「健康診断で高血圧と診断される」

http://yamaken38.cocolog-nifty.com/blog/2007/11/post_6f4e.html

<関連記事> りんご

200848日「高血圧との長い戦いの始まり その2」

http://yamaken38.cocolog-nifty.com/blog/2008/04/post_ec7e.html

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2008年12月 9日 (火)

・小春日和 銀杏の黄葉をもとめて(神宮外苑、明治通り他)

先週の金曜日は健康診断だったので、いっそのことと思い休暇にした。朝一番からの検査は10時には終わり、今日のプランを心の中で反復しながら,ようやく朝食を口にする。

1.明治神宮外苑の「いちょう並木」

私にとって、東京の銀杏といえば、外苑の「いちょう並木」だ。上の娘が小さい頃、銀杏の黄色のじゅーたんの上に座ったいい表情の写真が残っている。何もかも昔のことだ。

ぽかぽかした小春日和の陽気の中たどり着くと、見事な「いちょう並木」が今をさかりと輝いていた。青山通りから樹高順に絵画館を大きくみせる遠近法を使って、大正12年に出来上がったとのことで、随分歴史がある。

平日なのにさすがに人が多い。幼稚園の遠足、高齢の元気な女性の団体、営業マンらしき姿の男性、どこかの絵画サークルなど多彩。介護施設のバンが横付けされた。車椅子にのった高齢者が数名降ろされる。「いちょう並木」を見て豊かな表情をしている。母もこのようなサービスを受けさせてもらっているだろうか。

2.目白通りの銀杏

神宮外苑から、表参道へ足を延ばす。こちらはけやき並木。昼食をとって、所用をこなすため池袋へ。終わった頃には、午後の日差しが弱くなりかかっていた。

JR目白駅で下車。学習院大学に沿って目白通りを山手線の中へ向かって歩き始める。この通りの銀杏並木も見ごたえがある。銀杏を見に来ている人は私ぐらいで、生活道路として皆往来している。初めて学習院大学キャンパスに足を踏み入れてみる。学内にもりっぱな銀杏が植わっていた。かなり木が太い。あまり学生はいない。なぜだろう。

再び目白通りに戻って歩き出す。明治通り、都電荒川線をまたいでいる。明治通りとの立体交差が千登世橋、荒川線との交差が千登世小橋だ。

帰宅してから調べて見ると千登世橋は、昭和7年に架けられた当時としては珍しい立体交差橋だったとか。「東京都の著名橋」に指定され、平成2年には保存のための工事が施されたようだ。橋から明治通りへ降りる階段もあったようだ。残念ながら見過ごしてしまった。

3.のぞき坂と明治通りの銀杏

目白駅から千登世橋と千登世小橋を越えて少し行くと、高田馬場方面へ右折する道がある。