最後の大会の勝者は新しい力、マラソン2回目の尾崎好美が制した。
世界で始めて国際競技連盟が公認する女子マラソンとして、1979年に第1回大会が開催された「東京国際女子マラソン」は今年の30回大会で幕を下ろした。大都市東京で男女の国際マラソンが開催されてきたが、交通規制上年2回の開催は困難との警視庁の要請を受けたもの。男子の「東京国際マラソン」が再編成され、シティーマラソンとしての「東京マラソン」が2007年からスタートしたが、テレビ局の関係か「東京国際女子マラソン」はこれに加わらなかった。来年からは「横浜国際女子マラソン」として再スタートする。
1.予想外に面白いレース
有力選手といえば、渋井陽子、加納由理、尾崎好美と北京五輪5位のマーラー・ヤマウチ、コズゲイ位で、最後の東京国際でなければ興味もわかなかったが、これらの選手が皆上位にからみ見ごたえのあるレースとなった。マラソンの醍醐味はなんといっても逆転。前半リードを奪った渋井は、お約束のように後半失速。2位の加納が急激な追い上げをはかり見る見る間に、差が縮まっていく。が、加納が渋井を捉える前に、その加納を3位の尾崎が抜き去り、渋井も抜き去った。
2.尾崎好美
初マラソンは今年3月の名古屋国際。北京の最終選考会ということで有力(or有名)選手が大勢、いわば敗者復活戦のような形で参戦したが、これらのベテラン選手を抑え、優勝した中村と共に初マラソンで2位に入った。タイムは2時間26分19秒。
今回の成績は、29回野口みずきの2時間21分37秒、21回山口衛里の2時間22分12秒に次ぐ、2時間23分30秒という立派な成績。27歳と遅咲きであるが、新星が現れたことは確かだ。指導者は山下佐知子。珍しい女性監督。山下は、1991年同じコースで実施された世界陸上東京大会2位になっている。
3.次世代へ
27回は高橋尚子
28回は土佐礼子
29回は野口みずき が勝者として名を刻んでいる。
難コースで記録が出にくいため、選考会レースの指定を受けても東京を選択する選手が少なかったが、最後の27回からはビックネームが名を連ねている。30回はあの尾崎だといわれるよう成長してほしい。
4.生理でも走った女子マラソン
1985年の第7回大会。30kmぐらいだったと思うが、先頭集団にいた、旧東ドイツのビルギット・ワインホルトに異変が起こった。生理が始まったのだ。ランニングパンツが赤く染まる。テレビはあわてて上半身の映像に切り替える。なにしろ優勝争いとしている選手だから映さないわけにはいかない。結局優勝は同じ東ドイツのカトリン・ドーレだったが、ワインホルトは血まみれになりながらも、2位でゴールする。翌日の会社ではこの話で持ちきりだった。女性ならでの戦い。「生理になってもそのまま走れるのか」と、男性にとっては畏敬の念しか起こらない事件であった。
5.国際女子マラソン
国際女子マラソン。東京・大阪・名古屋と我々にはお馴染みの大会が3つあるが、世界に国際女子マラソンというのはこの3つしかないのでは。昔「ロンドン女子国際マラソン」というのがあったように思うが、今はなくなっているように思える。いずれにしろ「女子マラソン」好きな日本ならの事のようだ。
6.コース
国立競技場を出て、日比谷通りを南下して大森海岸交差点で折り返し、国立で戻ってくる。
途中のコースは部分的に変更されてきた。青山通りから赤坂見付の交差点で外堀通りへと曲がるコースだった。帰路はこの交差点が勝負どころだった。
男子もこのコースを使っていたので年2回見ることができたので、単にテレビでみている私にもすっかりコースが頭に入っていた。このコースを見られなくのは残念だ。
7.東京国際マラソン
男子の「東京国際マラソン」は、1981年から2006年まで開催されていた。私は当時の瀬古・宋兄弟の印象が強いので、先に男子の大会があって後から女子の大会が出来たものと思っていたが、反対であった。
<関連記事> 尾崎初マラソン
2008年3月9日「女子マラソン 北京五輪の代表は誰に? ⑨ 高橋尚子夢実現せず 中村友梨香初優勝」
http://yamaken38.cocolog-nifty.com/blog/2008/03/post_a436.html
<関連記事> 北京惨敗
2008年8月17日「女子マラソン 北京五輪の金メダルは誰に③ 日本5大会連続メダルならず」
http://yamaken38.cocolog-nifty.com/blog/2008/08/post_77b2.html
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