・女子マラソン 北京五輪の代表は誰に? ⑧ 名古屋国際 高橋尚子最後の挑戦
高橋尚子は、小出監督と袂を分けてから、他の実業団に属さず、いわば自身で調整するという無謀な道を選んできた。さらに年齢的に普通に調整することが難しくなってきている。瀬古の晩年のような姿は見たくない願う。
が、高橋尚子が普通に調整してくれば、優勝して北京の切符を獲得する確率は60%とみている。60%は応援の要素も含まれるものの、チャンスが来たと思う。アテネ以降若手の台頭がなかったおかげである。野口みづきと高橋尚子のゴールドメダリスト2人を北京に送りたい。
前の記事で書いたように原が優勝して、僅差で高橋が2位になるとややこしいが。
<本当のことを言わない>
高橋尚子のインタビューを聞いていていつも違和感を覚える。本当のことを言っていないように思う。なぜ、本当のことを言わないのだろう。私が勝手に答えを用意していてその答えと違うだけのことだろうか。
1.シドニーの最終選考となった名古屋(下記④)
前半のタイムを倍すると2時間25分を越えるペース。大阪2位の弘山のタイムから大きく遅れをとる。後半驚異的なスピードで追い上げ文句なしのタイムで優勝。
⇒ タイムは気にしていなかった。勝手に体が動いた。気持ちよかった。
2.シドニー五輪(下記⑤)
35kmの手前でサングラスを外しスパート。シモンを振り切る。この地点を合宿地にして、サングラスをその地点にいたお父さんが受け取っている。
⇒ スパート地点は決めていなかった。勝手に体が動いた。
3.アテネ落選のインタビュー
「名古屋を走らなくても大丈夫」の小出監督の判断が裏目に
⇒ 監督をオリンピックに連れて行ってあげられなかったことが一番悲しい。また元気な姿を見せたい。 と健気。
4.小出からの独立
アテネ落選の判断ミスが尾を引いたのか。翌年独立宣言。
⇒ 最後は監督に頼らず自己責任でやってみたい。結婚して親から離れていく娘のような気持ち
※ どうして本当のことを言わないのだろう。心の強い選手と思うが、しんどいのではないだろうか。
<高橋のマラソン暦>
①1997年 1月 大阪 7位 2時間31分32秒
②1998年 3月 名古屋 1位 2時間25分48秒
(日本最高)
③1998年12月 バンコク・アジア大会 1位
2時間21分47秒(日本最高)
④2000年 3月 名古屋 1位 2時間22分19秒
⑤2000年 9月 シドニー五輪 1位 2時間23分14秒
⑥2001年 9月 ベルリン 1位 2時間19分46秒
(世界最高)
⑦2002年 9月 ベルリン 1位 2時間21分49秒
⑧2003年11月 東京 2位 2時間27分21秒
⑨2005年11月 東京 1位 2時間24分39秒
⑩2006年11月 東京 3位 2時間31分22秒
<関連記事>
2007年12月19日 「女子マラソン 北京五輪の代表は誰に? ⑤ 福士加代子参戦 高橋尚子にもチャンス」
http://yamaken38.cocolog-nifty.com/blog/2007/12/post_54ce.html
<関連記事>
2008年2月28日 女子マラソン 北京五輪の代表は誰に? ⑦ 名古屋国際エントリー発表 原裕美子をどのように評価するか」
http://yamaken38.cocolog-nifty.com/blog/2008/02/post_7b6f.html
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