・「人生が二度あれば」♪井上陽水 1972年
「人生が二度あれば」なんと大げさなタイトルだろう
「人生が二度あれば」なんとストレートなタイトルだろう
と最初思った。ライブ「もどり道」の陽水の語りを聞いてこの詩へ印象が軽くほのぼのしたものに変わった。
「もどり道」で陽水は次のようなことを語っている。
以下勝手に要約。
「父は高知県の歯医者のいない村で生まれた。父はその村出身の唯一の歯医者になったのだが、福岡で開業したので父の生まれた高知県の村には歯医者がいないままである。
ぼくがこういうやくざな道に落ち込んで、歯医者を継ぐことが出来なくなったので、諦めて余生を自分の生まれたところで過そう帰ったのだが、よほど嬉しかったようで、戻って3日目に心臓発作で倒れて…
この歌を作った時、親父が非常に喜んでくれました。」
陽水は自分でしゃべっているうちに感極まったようで、語りの最後は少々涙声のように聞こえる。冒頭の歌詞、父親の年齢を間違うほどであった。サングラスをかけ、ちょっと斜に構えた感じだった陽水のイメージを多少変えた語りであった。そして「人生が二度あれば」という仰々しいタイトルから受けるこの曲の印象も変った。
炬燵に入って、老父夫婦がゆっくりお茶を飲みながら昔話をする。なんと幸福な人生なのだろう。人生が二度ある必要もない、いい光景が歌われている。
タイトルは「こたつでお茶を」で充分である。
人生が二度あるはずがない。子が思う親への気持ちを表すのが照れくさい。そこであえておおげさなタイトルをつけたのかもしれない。
私の父は認知症の母を抱えての生活のなかで、玄関先の階段から落ち、頭を打ってなくなった。母は認知症のまま、私の姉の家で施設入所の順番を待っている。
※ もどり道の陽水の語りはCDではカットされている。
★【肩の力を抜いて】を開設して今日で1年。258本の記事を書いた。おおよそ3日に2本。感覚的には毎日書いているように思えるが、そんなペースのようだ。ブログを書くことに追われているような気もするが、自身の記録を残すという意味で、日々の生活のスパイスになっている。当初の目的である読書記録からややスポーツ観戦記録の方が多くなってしまっているが。
多くの方に訪問いただき、コメントやTBをいただきました。ありがとうございました。
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