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2008年1月31日 (木)

・プロ野球 オリックスは球団経営から撤退すべし パウエルの契約問題

私は阪急ブレーブスのファンだった。オリックスへの球団売却のニュースが流れた時は驚きのあまり声も出なかった。自分の会社(前の会社)の合併を朝のテレビのニュースで知った時は、「えっつー」と声が出たことを思うと、球団売却はありえないことが起こった感じであった。「阪急?阪神の間違いだろう!」と思ったぐらいだ。

が、譲渡後も引き続きオリックスのファンを継続。日本ハムが北海道へ本拠地を移した後も、日ハム-オリックス戦は年に3試合だけ東京ドームで行われる。この3試合のうち1試合は儀礼的に観戦に出かけ続けた。でももう行かないと思う。

オリックス。イチロー・田口を擁し、仰木彬監督のもと優勝もするが、その後は混迷。ここ数年は球界のトラブルメーカーになってしまった。オリックス(親会社)の球団への愛情のなさがすべて。いやならさっさと撤退してほしいものだ。

巨人がゴルフバックへ最新のドライバーばかり詰め込んで、ラウンドして始めてウエッジたパターを入れなかったことに気づくことを繰り返しているのに対して、オリックスは中古でシャフトが折れかかったドライバーばかりゴルフバックに詰めているようだ。

<主なごたごた>

今回は、パウエルの契約問題。11日にオリックスが背番号や契約内容を含めて獲得を発表。これに対して、29日のソフトバンクが、オリックスの契約を正式なものでないとして獲得を表明したもの。オリックスは、獲得発表後も支配下登録選手の公示申請をしていなかったため、ソフトバンクに隙をつかれた形となった。

昨年は、中村紀洋の年俸交渉でもめたあげく自由契約。その後中村は中日と契約。優勝に貢献している。

また前川勝彦がひき逃げ、無免許運転で起訴され解雇。長年無免許で球場へ通っていたことも判明し、球団としての管理責任が問われた。

2004年の近鉄との合併時には、近鉄選手会長の礒部公一からのプロテクト拒否に続き、オリックスの保有選手としてプロテクトした岩隈久志の入団拒否にあい、最終的に楽天へ譲渡するはめに。

同じく2004年の秋のドラフト。自由獲得枠で獲得予定だったトヨタ自動車の金子千尋が怪我をしてることが、ドラフト直前に球団幹部の知るところなった。他の選手を獲得しようと逆指名を取り消し申請し却下され、他の球団の笑いものに。トヨタ側もスカウトは怪我の状態を知って獲得に来たと反発した事件もあった。

そして極めつけは、1998年のドラフト。オリックスは沖縄水産の新垣渚を指名。ダイエー以外なら進学と表明していた新垣の入団拒否にあう。交渉にあたった三輪田スカウトは球団幹部から袋たたきにされ、自殺する事件があった。イチローを発掘した名スカウトは53歳で命をたったのだ。

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2008年1月29日 (火)

・「真冬日」と「真夏日」

思い切り暑かった去年の夏。連日お天気お姉さんは真夏日(時には「猛暑日」)だと伝えていた。冬の寒さも、気球温暖化でどーせたいしたことないだろうとなめていたら、今年の冬はしっかり仕事をしている。寒い!

夏があれだけ「真夏日」が多かったので、きっと連日「真冬日」かと、思っていたらとんでもないのである。

「真夏日」:その日の最高気温が30℃以上の日

「真冬日」:その日の最高気温が 0℃未満の日

そんな!。東京ではそう簡単に最低気温が氷点下の気温にはならない。まして最高気温が氷点下とは。夏に甘く(?)、冬に厳しい基準ではないか。なぜだろう。夏の暑さは全国一律同じように暑いのに対して、冬の寒さは地域格差があるので寒冷地にあわせた基準になっているのであろうか。

「夏日」:その日の最高気温が25℃以上の日

「冬日」:その日の最低気温が 0℃未満の日

「真夏日」、「夏日」、「真冬日」は最高気温で基準を設定しているのに、「冬日」だけが最低気温が基準になっている。なぜだろう?。冬は朝の寒さを基準にするのが感覚的にぴったりくるのだろうか。

先週からの東京の気温

23日(水)最高 5.7℃  最低 1.1℃

24日(木)最高 8.9℃  最低 1.8℃

25日(金)最高 7.0℃  最低 0.8℃

26日(土)最高 8.2℃  最低 1.5℃

27日(日)最高 7.8℃  最低 1.0℃

28日(月)最高 7.7℃  最低 0.8℃

連日かなり寒い。でも「真冬日」どころか「冬日」にもならない。最高気温が10℃を割ると寒さが身に沁みる。「夏日」の25℃と同じような境界線だと思うけど。せめて最低気温0℃未満を3℃まで引き上げて「冬日」と呼んでほしい。

東京でも今日は寒かったなーといった日には、お天気お姉さんにも「今日は「冬日」でした。」と言ってもらい、寒さを分かち合いたいものだ。

気象庁天気相談所の調べによると(2004年2月確認)、1876年の観測開始以降東京で「真冬日」になったのは4日しかなく、そのうち3日は明治時代。残りの1日が1967年(昭和42年)2月12日だそうだ。もう40年以上も出現していない幻の日のようだ。死ぬまでにもう一度だけ体験しておきたいものだ。

<関連記事>

2007924日 「暑さ寒さも彼岸まで」

http://yamaken38.cocolog-nifty.com/blog/2007/09/post_84f1.html

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2008年1月28日 (月)

・顔面神経麻痺6ヶ月経過

顔面神経麻痺発病から6ヶ月経過。

とうとう半年経過してしまった。5ヶ月経過からあまり進展はないが、目がかすんでいるのがほぼ消えたので、随分気が楽になった。

周辺の人たちも口々に「随分よくなったね。見た目わからんよ。」と言ってくれる。

発病した時、「半年位かかるから、あまり気にしないほうがいい。」と言ってくれた人がいて救われた思いがしたが、病気の人や弱っている人への声かけとは「かくあるべし」のような言葉だったような気がする。

自身も他の方へ声をかける時は、「自身であまり追い詰めない」ことのヒントになるようなやわらかい一言をかけることができたらいいなと思う。

<関連記事>

2007927日 「顔面神経麻痺2ヶ月経過」

http://yamaken38.cocolog-nifty.com/blog/2007/09/post_1721.html

20071218日 「顔面神経麻痺5ヶ月経過」

http://yamaken38.cocolog-nifty.com/blog/2007/12/post_48aa.html

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2008年1月27日 (日)

・大相撲 白鵬が意地で朝青龍を破る

大相撲初場所千秋楽。横綱同士の相星決戦は2002年秋場所以来32場所ぶり。朝青龍が謹慎中の2場所を連続優勝していた白鵬にとっては、朝青龍が出てきた途端に優勝をさらわれては立つ瀬がないところ。見ごたえのある一戦、最後は白鵬の意地が勝利を引き寄せた。

でもどうして朝青龍の方に人気があるのだろうか。「ちょい悪」程度ではすまないと思うのだが。あれだけ皆でバッシングしたのに。日本人はあまりに空気に流されるのではないだろうか。「空気読めない=KY」とは違うものだと思う。

<関連記事>

200783日 「ズル休み朝青龍に処分 人生の潮目」

http://yamaken38.cocolog-nifty.com/blog/2007/08/post_9d43.html

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・女子マラソン 北京五輪の代表は誰に? ⑥ 福士加代子は惨敗 

1218日の記事で予想したように、福士が飛び出し途中で失速した。追うべき一番手の原は体調不良で欠場。二番手の加納は途中棄権。優勝はマーラ・ヤマウチで2時間2510秒。2位で日本人1位は天満屋の森本友で2時間2534秒。前半の消極的な走りが響いた形になり、代表になるには厳しい結果だ。

40km走。30km走も走らずにぶっつけ本番で臨んだ福士。マスコミがあおったがそう甘くないという結果になった。最後は感動的なゴールであったが、惨敗は当然の結果だったと思う。今後じっくりマラソンに取組んでロンドンをマラソンで目指してほしいものだ。

これで、名古屋組にチャンスがやってきた。高橋尚子にもチャンスがやってきたということだ。最後の1枚は名古屋でということになる。が本命不在。アテネのあと若手が台頭していないことへのつけだ。名古屋の有力選手が軒並み30台とういうのはその証拠だ。

風の名古屋。風避けで牽制し合うレースにはしてほしくない。大崎、中村に次世代への期待ができるレースをしてほしい。

私の希望は「高橋か坂本が優勝し、2位に若手が入る。」という結果だ。

<名古屋の予想選手>( )は年齢

高橋尚子(35)、弘山晴美(39)、

坂本直子(27)、嶋原清子(31)

橋本康子(32)、大島めぐみ(32)

小崎まり(32)、大南敬美(32)

新谷仁美(19)⇒出ないみたい。残念。

大崎千聖(20)(土佐礼子の練習パートナー。マラソン初挑戦)

中村友梨果(21)(天満屋、マラソン初挑戦)

らということになる。今回欠場した原裕美子(25)も出るかもしれない。

<関連記事>

2007830日 「女子マラソン 北京五輪の代表は誰に? ①」

http://yamaken38.cocolog-nifty.com/blog/2007/08/post_22d1.html

<関連記事>

2007年9月20日 「女子マラソン 北京五輪の代表は誰に? ② 大阪世界陸上で土佐礼子に1枚目の切符」

http://yamaken38.cocolog-nifty.com/blog/2007/09/post_f743.html

<関連記事>

20071030日 「女子マラソン 北京五輪の代表は誰に? ③ 東京女子マラソン 野口VS渋井」

http://yamaken38.cocolog-nifty.com/blog/2007/10/post_dc29.html

<関連記事>

20071118日 「女子マラソン 北京五輪の代表は誰に? ④ 東京国際女子マラソン 野口貫禄のV」

http://yamaken38.cocolog-nifty.com/blog/2007/11/post_e331.html

<関連記事>

20071219日 「女子マラソン 北京五輪の代表は誰に? ⑤ 福士加代子参戦 高橋尚子にもチャンス」

http://yamaken38.cocolog-nifty.com/blog/2007/12/post_54ce.html

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2008年1月26日 (土)

・サッカー 岡田JAPAN初戦 チリ戦0-0

2月6日に始まるワールドカップ予選の前哨戦として組まれた、国際親善試合の1試合目。シーズンのオープングゲームであったこと、オシムの時と選手はあまり代わっていないものの新コンセプト(『接近・展開・連続』)で合宿を組んだ後だったこと、で多少の混乱もあったかもしれない。0-0。まずは初戦としては無難な結果だったが、新コンセプトはサッカーを難しくしているように思えた。

なり退屈な試合ではあった。

後半大久保・羽生が出てきてからようやくリズムが出てきた。高原は調子が悪そうだ。2月6日は使ってほしくない。

基本的にはオシムの時とあまり選手に変更がない。センターバックに阿部。岡田は専門家を使うと思っていたので、ちょっとがっかり。ここは岩政を試してほしかった。闘莉王は怪我が多いし、競争による活性化のためにもセンターバックの専門家がほしいところだ。

もうひとつ人材難はサイドバック。できれば加地・駒野を越える選手の出現を望みたいところだが、最低競争相手がほしいところ。その点内田(19歳)の初代表初先発はうれしい起用だった。加地に脅威を与えるところまでは行かなかったけれど。本来駒野も右なので左サイドバックの育成も急務だと思う。

反面、人材が豊富なボランチをワンボランチにしてしまうのは惜しいような気がする。

<出場選手>

GK:川口能活(磐田)

DF:右サイド 内田篤人(鹿島)

                ⇒(後半26)加地亮(G大阪)

   左サイド 駒野友一(磐田)

   センター 中澤佑二(横浜FM

   センター 阿部勇樹(浦和)

MF:ボランチ 鈴木啓太(浦和)

  :2列目トップ下 遠藤保仁(G大阪)

  :2列目右 中村憲剛(川崎)

               ⇒(後半35)山瀬功治(横浜FM

  :2列目左 山岸智(川崎)

              ⇒(後半12)羽生直剛(FC東京)

FW:     高原直泰(浦和)

               ⇒(後半17)大久保嘉人(神戸)

  :     巻誠一郎(千葉)

               ⇒(後半35)矢野貴章(新潟)

<控え選手>

GK:楢崎正剛(名古屋)、川島永嗣(川崎)

DF:坪井慶介(浦和)、岩政大樹(鹿島)、

   水本裕貴(G大阪)

MF:橋本英郎(G大阪)、今野泰幸(FC東京)

FW:播戸竜二(G大阪)、前田遼一(磐田)

<指宿合宿参加で代表未選出>

GK:西川周作(大分)

DF:徳永悠平(FC東京)、青山直晃(清水)

   安田理大(G大阪)

MF:水野晃樹(セルティック
FW:田代有三(鹿島)

<海外移籍のため合宿辞退>

MF:長谷部誠(ボルフスブルグ),本田圭佑(VVVフェロン

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2008年1月24日 (木)

・「人形の家」♪弘田三枝子 1969年

30年も前のこと。就職した時、新人歓迎ハイキング(なんと当時は牧歌的だったのだろう)というのがあった。兵庫県の仁川ピクニックセンター(地元ではピクセンと読んでいた)へ若手で出かけた。芝生に円形に座って自己紹介。といっても職場で数日顔を合わせた人たちばかりなので、趣味とか特技とかを紹介する場になった。

その時2年先輩が青空の下、雑誌か何かを丸めてマイクに見立てて、突然「人形の家」を歌いだした。陶酔しきって絶唱していた。周りにいた知らない人たちも寄ってきてニタニタした表情で聞いていた。

翌年、入社してきた顔のつくりのはっきりしたややぽっちゃりした女性と、その先輩は付き合い始めた。「人形の家」よりも弘田三枝子が好きだったようだ。が、二人の付き合いは長く続かず、先輩はやがて会社を辞め、家業を継いだ。今も順調に経営されているようだ。

「人形の家」を聞くたびその先輩と新人歓迎ハイキングを思い出す。

顔も見たくない程

あなたに嫌われるなんて

とても信じられない

愛が消えたいまも

ほこりにまみれた 人形みたい

愛されて 捨てられて

忘れられた 部屋のかたすみ

私はあなたに 命をあずけた

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2008年1月22日 (火)

・「あなたに似たひと」澤地久枝

昨年、向田邦子の「父の詫び状」を再読した。その中で澤地久枝と南米旅行した時の話があり、澤地久枝を思い出した。25年ぐらい前に読んだ本をもう一度読んでみようと思った。その本は「愛が裁かれるとき」だったのだが、間違って「あなたに似たひと」を読んでしまった。

よって初読である。

1977年に出版され、「11人の女の履歴書」という副題がついている。著者が後書きで「女なら誰でも通らざるを得ない人生での出会い。そのごく平凡な日常的な出来事をどう生きてきたかという女の智恵―。だからあなたに似た女の、あるいはこれからあなたがめぐりあうであろう出会いとよく似た人生の、秘めた物語として読んでいただければと思っています。」と記している。

が、どの話も劇的でごく平凡とは言えない。ただ、そんなぎりぎりのところで女の人生を生きてきた人は他にも大勢かつ身近にもいるように思えるし、誰もが一歩間違うとそんな人生になる、とも思わせた。

11人。25年前に澤地が関心を持って取材した11人。ほとんど知らない。

01.榎本美佐江 02.浅香光代  03.高杉早苗

04.マダム路子 05.長嶺ヤス子 06.胡暁子

07.エリザベス寺岡  08.石牟礼道子

09.澤田美喜  10.壇より子  11.大宅昌

浅香光代はミッチー。壇より子は壇ふみの御母さん。大宅昌は大宅映子の御母さん。

特に胸を打ったのが次の3人

1.エリザベス寺岡。

第二次世界大戦の末期、外交官寺岡がハンガリーに赴任。ハンガリー人エリザベスは寺岡と恋に落ち結婚。後に料理家となるバーバラ寺岡を生む。戦後夫の母国日本へ。が、夫は肺がんで亡くなってしまう。母国は共産化されエリザベスは娘と日本で生き抜いた。

2.石牟礼道子

有機水銀公害水俣病を地元住民の立場から描いた「苦海浄土 わが水俣病」の作者で、公害告発の運動家でもあったようだ。この作品第1回大宅壮一ノンフィクション賞を受けたが辞退したそうだ。読んでみたい。

3.澤田美喜

戦後日本で、進駐した米軍兵と日本人女性の間に子供が生まれ、米軍兵が帰国してしまって子供を抱え生活に困った女性から子供を引き取って育てた女性らしい。そのためにエリザベス・サンダースホームを開設。2000人近い混血孤児を育てたとのこと。

そのような社会問題があったことは知らなかった。

<関連記事>

20071210日 「父の詫び状」向田邦子 <再読>」

http://yamaken38.cocolog-nifty.com/blog/2007/12/post_6a87.html

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2008年1月21日 (月)

・女子ゴルフ W杯 佐伯三貴&諸見里しのぶ 健闘3位

南アフリカのゲーリープレーヤーカントリークラブで開催された、「第4回ワールドカップ女子ゴルフ」で、佐伯三貴・諸見里しのぶの日本チームは健闘し3位に入った。この大会は世界20カ国から2人1組で参加、3日間の成績で優勝を競うもの。

下の娘のセンター試験の真っ只中だったので、深夜の放送は少ししか見られなかった。その映像や各種報道によると佐伯が諸見里を引っ張って戦ったようだ。

諸見里しのぶ

1986年7月生まれ 21歳。

2005年プロテスト合格(77期生)

2007年賞金ランキング7位

佐伯三貴

1984年12月生まれ 23歳

2007年ツアー優勝によりLPGA会員に(79期生)

東北福祉大学4年。

2007年賞金ランキング9位

諸見里がLPGAでは2年先輩だが、年齢は佐伯が2つ上。サラリーマンの世界。大卒で入社すると、高卒の年下の先輩と仕事をすることがある。そのような関係に見てしまうのはおじさんの悲しいところ。

年齢も学歴も全然関係ない世界だから、そのような微妙な関係ではないようだ。

諸見里しのぶは今年の賞金女王の可能性があると私は思っているが、「女の子」を脱しきらないと無理かな。最終ホールでイーグルを決め3位に滑り込ませた、マダム佐伯の方が有望かもしれない。

この大会、ロレックスランキングで出場国と指名選手が決まるようだ。次に、指名選手がパートナー選手を指名する方式で出場選手が決まる。本来上田桃子が指名選手だったが、辞退し、全英オープンで日本人最上位の7位となった佐伯を指名。佐伯は諸見里をパートナーとして選んだということらしい。

1回大会 優勝

    指名選手 宮里藍、 パートナー 北田瑠衣

第2回大会 12位

  指名選手 宮里藍、 パートナー 横峯さくら

第3回大会 14位タイ

  指名選手 上田桃子、パートナー 諸見里しのぶ

第4回大会 3位タイ

  指名選手 佐伯三貴、パートナー 諸見里しのぶ

<関連記事>

2007930日 「日本女子オープン 諸見里しのぶが制す が…」

http://yamaken38.cocolog-nifty.com/blog/2007/09/post_c17c.html

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2008年1月20日 (日)

・女子レスリング 吉田沙保里ついに敗れる

中国で開催されている、団体戦で行うワールドカップ戦で、吉田沙保里が敗れる波乱があった。

公式戦の連勝は119でストップし、2001年12月に山本聖子に敗れて以来の黒星となった。外人選手への連勝も114でストップ。国際大会は初の敗戦。

その日の試合の出場は急遽決まったそうだ。体重制限も通常より甘く吉田には不利な条件が揃っていたようだ。が、なんと言っても、力の差のある相手に対する油断が大きかったと思われる。微妙な判定は柔道でお馴染みのことだ。

連勝のプレッシャーからは解放されるが、気になるのは、スポーツの世界では一度負けると、負け癖がつくことが往々にしてあるということだ。なんだかんだと言っても緊張の糸が切れるのであろう。相手が吉田のタックルを研究しているのは当たり前なのだから、しっかり分析した後は、あまり神経質にならずに、自身を鍛えれば北京五輪は大丈夫だろう。

北京五輪に向け、いい薬になったと考えよう。

昨年、世界選手権の出場資格を得るために不戦敗をして、記録上は国内外の連勝記録を「81」で止めてしまった伊調馨。こちらも吉田の敗戦を生かして、スポーツの世界によくある連鎖を起こすことなく北京に向かってほしい。

金メダルが最も固い二人だから。

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・都道府県対抗男子駅伝 長野が逃げ切り優勝

第13回都道府県対抗男子駅伝も、先週の女子同様冷たい雨がふる気象条件のなか、広島で開催され、長野が最終7区で追い上げられたものの逃げ切り、4回目の優勝を飾った。

女子は今年26回だったから男子の方が歴史は短い。

1区 高校生区間  7km

2区 中学生区間  3km

3区 大学・社会人 8.5km

4区 高校生区間  5km

5区 高校生区間  8.5km

6区 中学生区間  3km

7区 大学・社会人 13.0km

過去の実績では、3・4・5区を制するとそのまま勝ってしまうことが多いようだ。3区で誰に出てもらうかで決まるともいえるのではないだろうか。

優勝した長野はこの3区間を区間3位・1位・1位と駆け抜け最終7区で区間33位だったにもかかわらず逃げ切った。

2位となった愛知のこの3区は5位・3位・5位。

3位となった兵庫は9位・2位・14位だった。

長野の3区は箱根駅伝3年連続区間新の佐藤悠基。長野は予定通り佐藤でトップに出て逃げ切ったのだが、区間記録は3位。箱根からすぐ走るのは大変ということかな。

兵庫1区は西脇工業の八木勇樹(早稲田進学)。風邪による発熱で高校駅伝の1区(10km)10位に終わった。その後も体調が回復せず、今日も「皆について行く」と弱気の発言。その言葉通りスタートからしばらくは最後尾。最後は貫禄で2位まで上げたが、もう少し前に位置取りをすべきだったと思う。最後尾から追い上げるために余計な足を使っただろうし、先頭集団が競り合っていれば、追いつかなかったかもしれない。無理をしてバテルよりましだが、真ん中につける等もう少し健気な走りをしてほしかった。

兵庫の4・5区は、高校駅伝全国3位の西脇ではなく、須磨学園から中山卓也(早稲田進学)と近藤洋平(法政進学)が出場したが、近藤は区間14位と高校駅伝不出場校の意地を見せることは出来なかった。

今日は下の娘のセンター試験だったが、父親はいつもどおりの休日だった。

<関連記事>

2008113日 「都道府県対抗女子駅伝 京都大会新記録で圧勝 小林祐梨子問題も」

http://yamaken38.cocolog-nifty.com/blog/2008/01/post_4afa.html

20071223日 「高校駅伝 女子は立命館宇治が圧勝、男子は仙台育英が接戦を制す

http://yamaken38.cocolog-nifty.com/blog/2007/12/post_bd4a.html

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2008年1月18日 (金)

・サッカー 今年の移籍

サッカーでよく移籍金という言葉が使われる。所属クラブとの契約期間中に、他のクラブに移籍する際、新クラブから旧クラブへ支払われる補償金である。必要な選手なら移籍金を払ってでも獲得したいということだ。

不思議なのは、契約期間中でも選手に選択権があることだ。(報道はそのように伝えている。)移籍金の額の算定も、Jリーグ間、Jリーグと海外クラブ、海外クラブ間によって違うみたいだ。

要は、サッカーはわりと簡単にチームを移れるということらしい。以下の移籍金は各種記事から集めたもの。

1.レッズの補強

<補強>

高原直泰(28)  移籍金2億(海外から)

梅崎司 (20)  移籍金2億(大分から)

エジミウソン(25)移籍金ゼロ(新潟から)

三都主(30)見込 移籍金ゼロ復帰のため?(オーストリア:ザルツブルグ)

<流出>

ワシントン

ネネ

長谷部誠(23)  移籍金ゼロ(ボルフスブルグ(独))

代表選手を多く抱えたうえ、JリーグのほかACLにも参戦。勝ち抜くためには選手層を厚くする必要がある。しかし昨年は、休養のため試合によって選手を入れ替えることはせずに年間を戦い、疲れのたまった終盤失速した。集めた選手の出場機会が少ないのはとても残念だ。梅崎や、伸びてきた細貝が埋もれてしまわないか、心配である。うまくローテーションを組んで使ってほしいところ。もともと層が薄く、闘莉王が夏以降海外移籍の可能性のあるなかディフェンダーの補強がなかったのはなぜだろうか。

2.千葉の崩壊

<流出>

山岸智 (24)   移籍金2億5千万(川崎Fへ)

水野晃樹(22)   移籍金ゼロ(スコットランド:セルティックへ)

水本裕貴(22)   移籍金3億6千万(G大阪)

羽生直剛(28)   移籍金7600万(FC東京)

佐藤勇人(25)   移籍金28千万(京都)

<補強>

坂本将貴(29)  新潟より

苔口卓也(22)  C大阪より

馬場憂太(23)  FC東京より

谷澤達也(23)  柏より

      移籍金は不明

千葉は、日本代表候補が巻を除いてすべて移籍という結果になった。オシムが代表監督に抜かれた後、オシムをつれてきた祖母井GMが退団。その後出資会社の勢力争いもあり体制ががたがたになり、今回の事態となったようだ。オシムのいる間にしっかり経営体制を作ってほしかったが、また元の降格争い常連チームに戻ってしまいそうで、残念だ。

もともと財務基盤が弱く、過去にも山口智、酒井友之、佐藤寿人、中西永輔、崔龍洙、茶野隆行、村井慎二、阿部勇樹、ストヤノフらを放出してきた。大半は高い年俸(といってもそれほどではないが)が払えなかったことによるが、今回は根本的に異なる。オシムが築いたものが意図も簡単に崩壊するのはとてもむなしい。

3.海外移籍

<進出>

水野晃樹(22)   セルティック(スコットランド)千葉から

本田圭佑(22)   VVVフェロン(オランダ)名古屋から

長谷部誠(23)   ボルフスブルグ(独)浦和から

      3人とも契約切れで移籍金なし

中田英寿の成功以降多くの選手が海外(欧州)へ挑戦してきた。代表監督のトルシエも海外でプレーすることを進めてきた。しかしながら海外に行っても言葉の問題や根本的には実力の問題で試合のい出れない選手が大量に発生。オシムはまず海外で力をつけてからと言って代表は国内選手で固めるようになった。岡田も基本的には同じ方針のようだ。

とたんに海外へ挑戦する選手が減った。さらに小笠原、高原、三都主らが帰国し、中村俊輔、中田浩二らも帰国が噂される。そのような中、若い代表当確線上の3選手が海外へ挑戦する。果敢な挑戦に拍手をしたい。一方、3大リーグを避け身の丈に合ったいい選択をもしている。是非試合に出て活躍し、岡田代表監督を悩ませてほしい。

4.オリンピック世代

水野晃樹(22)  セルティック(スコットランド)千葉から

本田圭佑(22)  VVVフェロン(オランダ)名古屋から

梅崎司 (20)  浦和(大分から)

水本裕貴(22)  G大阪(千葉から)

伊野波雅彦(22) 鹿島(FC東京から)

家長  昭博(22)  大分(G大阪)

オリンピック世代の積極的な移籍が目立つ。家長が出場機会を求めて、他の4人はステップアップを求めて。4人は是非レギュラーをとってほしい。とれないと五輪が危ない。

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2008年1月17日 (木)

・13回目の1月17日

阪神大震災から13回目の1月17日を迎えた。追悼行事をマスコミは報道しているが、当然のことのように毎年その量は減ってきている。