・オシムとPK
オシムは1990年のイタリアワールドカップのユーゴスラビアの代表監督である。
オシムとPKの物語はこの大会で生まれている。
当時のユーゴは、
7つの隣国
6つの共和国
5つの民族
4つの言語
3つの宗教
2つの文字 により構成される
1つの国 と言われ
1980年にカリスマ大統領のチトーが死去してから分裂の危機にみまわれ、1990年のワールドカップ以降、戦火を交えながら解体の道を歩んでいく。
6つの共和国①スロベニア②クロアチア③ボスニア・ヘルツェゴビナ④セルビア⑤モンテネグロ⑥マケドニアは現在の独立国家。
昨年のワールドカップにはクロアチアとセルビア・モンテネグロ(大会直前に分離独立)が出ており、クロアチアは日本と対戦し引き分けている。
1990年のイタリア大会。オシム率いるユーゴは、準々決勝でアルゼンチンと対戦する。
退場者を出したユーゴは、アルゼンチンと互角に戦い、試合は延長でも決着がつかず、PKにもつれ込んだ。
以下、「」内は 木村元彦「オシムの言葉」の引用
「監督、どうか、自分に蹴らせないで欲しい。」
「PK戦になった瞬間に二人を除いて皆、スパイクを脱いでいた。」
「誰が蹴って、誰が外したかが問題にされるからだ。そしてそれが争いの要因とされる。」
「祖国崩壊が始まる直前のW杯でのPK戦。選手は民族代表としての責務を背負いスポットにボールをセットしなければならない。」
オシムは、
「「お前らとにかく誰かが蹴らないと負けるぞ」と笑いかけ、自ら指名した」
「オシムは5人を決定すると、クルリと踵を返してベンチから消えていった。」
「「あんなものはクジ引きみたいなもの。私は自分の仕事をすべてやり終えた」」
PKを制したアルゼンチンはこの大会準優勝する。
結果はくじ引きと言って選手の重圧へ配慮を示した監督が、PKを見つめるわけにはいかなかったのであろう。
オシムのやさしさである。
2005年のナビスコカップの決勝もPKとなった。この時もジェフの監督だったオシムはベンチに下がっている。しかしPKは制している。
今回のアジアカップのPK。ロッカールームで心配そうに待機しているオシムが画面に映った。
オシムの祖国の政情が安定して、
南アフリカワールドカップでは、
日本がアジア予選を勝ち抜いて、
本戦のグループリーグを突破して、
決勝トーナメントでPKになって
トラウマから脱したオシムがピッチにたって
川口のナイスセーブを見つめる
ということになればいいと願う。
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コメント
TBありがとうございました!
なんか、オシムさんて憎めません。
苦しみや悲しみを知っているからこそ
人間に厚みがあるのではと思います。
ちょっとくせの強い感じはしますけどね(笑)
投稿: まゆ | 2007年7月22日 (日) 22時58分